子どもたちに残すもの

【作詞】柴田鉄世


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作者コメント:
この曲をつくるきっかけになったのは、東日本大震災後一か月半ほどして、何か自分にもできないかと、ボランティアに申し込みましたが、定員が一杯で参加できなかったため、2011年5月の連休に、一人で4日ほど宮城県、岩手県の沿岸部を視察してきました。それは、もう地震、津波の被害は大変な状況でした。
しかし、宮城、岩手の方たちは、時間は、かかっても少しづつ復興へ歩き始めています。
一番大変なのは、原発の被害であり、避難生活をされて、原発の被害にあり、避難生活をされて、原発事故でふるさとに帰れない福島の方たちです。そこで、福島県いわき市で、保育園の保護者で結成したアマチュアフォークグループの雑魚塾の皆さんが、笠木透さんの指導で原発事故への怒りなどを込めた10曲入りのCDを発売されたと知り、『でれすけ原発』というCDを聴きました。
CDに込められたそれぞれの作者の思いを聴き、作られた雑魚塾の皆さんにお会いしたいと思い、昨年8月に代表の比佐さんのところを訪問し、福島の原発事故後の様子などを伺ってきました。
その後、昨年6月の朝、散歩の時、神座のみかん畑や大井川を見ながら、浮かんできたのがこの歌の歌詞とメロディでした。それから、岡田京子さんと電話口で歌ったり、3日ほどやりとりして、楽譜を書いていただき、この歌が完成しました。
先日も福島県、浪江町から兵庫県に避難されている菅野みずえさんの講演を聞く機会があり、原発からの避難生活の実情を伺いましたが、本当に原発事故により、やむなくふるさとを離れるつらさを伺い、しんときまいた。神座地区も、浜岡原発から27キロ程で、地震により浜岡原発から放射能が漏れたときは、関東、甲信越地方に避難するという計画になっていますが、『ふるさと』を離れたくありません。子どもや孫のためにも浜岡原発は、再稼働しないでほしいと思います。

製作日誌:
2016年11月1日 歌詞を掲載しました。