「原爆を許すまじ」の作詞者 浅田石二さんにお会いしました

 「原爆を許すまじ」が誕生したのは…

  2/1号のうたごえ新聞1面で、「えっ、『原爆を許すまじ』ができたのはビキニ被災の前だったのですか」。私もそれまで読み聞いていたのは「ビキニを機にできた」だったので、これは大いに驚きました。しかし、「1953年8月6日に広島で演奏」と記録を見せてもらい、そうなのだ、と。

 ところが、9/20号6面に掲載の、「1949年頃、『原爆を許すまじ』を歌いました」の一行に、「ありえなーい」と反響次々。

  その一つにメールで「1949年、これは編集部が校正で気づくべきでした。1953年ですものね」と返信すると「いや、1954年です」と資料も送ってもらう。またもや???

  こうなったら、作詞者がおられるのだから直接聞こう、と初めて作詞者浅田石二さんに連絡する。電話口の浅田さんはとてもやさしい口調で話され、なぜまた?とも言われた。こうなったら、つくろえない。かくかくしかじか。

20100924浅田石二さんでは、と20日、渋谷でお会いした。       

  もう、“ゆるぎない事実”を聞く。そしてこれまで疑問だったこと、なぜ「三度なのですか」「白い花とは」…と聞く。浅田さんは「原爆は二度です。もちろん水爆実験の被災は意識していますよ。でも原爆は二度です。三度許すまじです」。「白い花は、夾竹桃です。ですが、名もない野の白い花を重ねました」…、この際聞いたこの歌にまつわるお話…。うたごえ新聞をご期待

 もとは最初に私が作者にあたらなかったミスです。ですが、被爆65年に、この歌のことを作者の話からきちんと伝えられて良かったと思う。

コメント / トラックバック4件

  1. 玉里 紘子 より:

    広島の玉里と申します。最近、歌の勉強を始めましたが、唄いたい歌があればリクエストしてくださいとおっしゃってくださったので「原爆を許すまじ」の歌をリクエストしました。この歌は校時代に唄った歌ですが、とても美しかったのを覚えていました。先生が楽譜を探してくださり、再び唄うことができました.感動して涙が出ました。美しくて、恨みがましい歌詞がなく、とても清らかです。
    また、作曲も歌詞によくマッチしていて唄っていて涙が出てきました。
    木下航二様とはお友達でいらっしゃいましたか?今日、日比谷高校に電話しまして御健在かどうかお伺いしました。明日また電話してお伺いいたします。
     先生の見つけてくださった楽譜には浅田様のことが記載されていませんでした。
     この歌を作られたいきさつなどお伺いできたらと思いメールさせていただきました。
    メールを始めたばかりで上手く届くかどうか心配ですが、お送りします。

  2. 玉里 紘子 より:

    三輪さまへ
     歌の先生が「原爆を許すまじ」世界の空へ・・・と言う本を見つけてくださいまして、歌の出来たいきさつ等知ることができました。その様な訳で上記のわたくしのコメントを削除して頂けないでしようか。よろしくお願いいたします。   玉里

  3. 西岡忍 より:

    私は幼い頃雲仙に暮らしていました。昭和30年小学校入学ですから、そのころのことです。いつも歌った歌の一つが「原爆を許すマジ」もう一つは「五木の子守歌」でした。小さな湯治宿の集落でしたが、豊かな四季と確かな暮らしがありました。いつの間にか8月我きても誰もウタワナクナッテイマス。ラジオからも流れません。さみしくおもいます。

  4. 小西昭治 より:

    50年ぶりに一人で歌いました。今こそ「原爆を許すまじ」を歌う時のような気がしてなりません。
    しかし何故か昔のように 歌う機会がなくなってきています。
    特に若い世代は 歌があることさえ知りません。私たち世代の責任だと思っています。

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