2016年10月 のアーカイブ

2016名古屋青年合唱団 秋の音楽会~きみは今も~

2016年10月12日 水曜日
2016名古屋青年合唱団
秋の音楽会~きみは今も~
10月9日、名古屋芸術創造センター
今、何をが伝わる企画、演奏
20161010Meisei20161010Meisei-29月17日のオペラシアターこんにゃく座「グスコーブドリの伝記」(寺嶋陸也作曲)からこの間、立て続けてコンサートを聴いた。こんにゃく座は45周年の節目の年、そして宮澤賢治生誕120年で「グスコーブドリ…」。宮澤賢治の世界は今、語り告げられるべきとあらためて合点。歌唱が心地良い。計算された舞台装置にはいつも感嘆。
10月9日は名古屋で、名古屋青年合唱団秋の音楽会3回公演の1日目を聴く。
「浜辺の歌」(林光編曲)から始まり、「ゴンドラの唄」「ゲゲゲの鬼太郎」、林学作「子守歌を消さないで」、2月の辺野古うたごえ合宿で生まれた藤村記一郎曲「命の海 命の森 命の山々」。来年の混声合唱組曲「悪魔の飽食」全国縦断コンサート愛知公演にも向けて組曲から「君よ 目を凝らしたまえ」。
サブタイルでもある林学曲「君はいまも」。
ここまででも、今、名古屋青年合唱団が何を提出しようとしているかをまず私なりに感じとれた。作曲、指揮者の陣容が厚い同団。
つづくプログラムは尾上和彦作曲、オラトリオ「鳥の歌」より。栗原貞子詩「母が我が子の死を」、ナジム・ヒクメット詩「死んだ少女」、峠三吉詩「にんげんをかえせ」。「死んだ女の子」として木下航二、外山雄三曲で聴いてきたが、尾上曲は初めて聴いた。
なぜ今、尾上氏の曲を、と同団前団長浜島康弘さんに聞くと「うたごえ運動初期にかかわった作曲家の作品を、演奏してさらっていく作業をしながら次へ」と。その深く広い視座、さすが。
青年のステージも、「比較的」との司会者に会場はなごやかな笑い声もしたが、青年はちゃんといて、やはりうれしい。
そして、この演奏会、きわめつけは音楽劇「飢餓陣営」(宮澤賢治詩曲、林光曲)。同団がずっと追求している林光、宮澤賢治…。今、新鮮に我々の前に立つこの作品、100年も前に書いた宮澤賢治って…と思いながら、舞台に引き付けられる。“名古屋のばあさん”でお馴染みの小嶋健二さんはバナナン大将、特務曹長武藤佳子団長、曹長柴田哲(10日は和賀達郎)と力量ある歌い手も厚い団。
音楽会評を書かれる音楽評論家の小村公次氏の隣の席。さて、小村氏の評も楽しみ。

東京混声合唱団定期演奏会第240

2016年10月11日 火曜日
東混60年創立指揮者・田中信昭の現在 を聴く(10月7日、東京文化会館小ホール)
目が点になりながらも  刺激的
東混60年Facebookより

東混60年Facebookより

東混創立者田中信昭氏指揮で、この日は野平一郎の混声合唱とピアノのための「転調するラブソング」(詩:大岡信。015年委嘱作品)と、若い書き手平川加恵委嘱初演 混声合唱とピアノのための「音の歳時記」(詩:那珂太郞)。そして世界のメロデイ-愛唱歌より-(ジェリコの闘い、ロンドンデリーの歌、カリンカ、ソーラン節)。
最初の「転調するラブソング」は、目が点。Ⅰ.さわる、Ⅱ.マリリンの二つの詩は126行もある(30分を越える演奏)。詩だけに向き合っても難解な詩が合唱になって…。
野平氏の解説に、「学生時代から60年代の大岡信の詩に惹かれていた。そこに現代日本語詩としての最も完成された形式、言葉と感性が最も緊密に結合した構造の一つがあるのではないかと思っていた。しかし、当時はこの言葉の洪水を、どのように音楽的に処理したらいいの良いのか皆目見当もつかなかった」
「言葉の洪水」という表現に、ちょっとほっとする。
しかし、「1999-2000年に「大岡信の2つの詩」という合唱曲を書き、…私を魅了するこの2つの詩(Ⅰ.さわる、Ⅱ.マリリン)の音楽化を実現させたいと思った…」。
ここからは、私とは世界が違う、と思ってしまうが、聴いていて楽しかった。“わかる”の門前だが。
あまりに私には“畏敬”な一曲目につづく次の「音の歳時記」はただただ、心地良く美しい曲を楽しみ、“世界のメロディ”は、東混の響きに浸った。
「カリンカ」など、カタカナの「カリンカ」ではない、ロシア語の響き。
それにしても田中信昭氏は米寿。エネルギィシュかつ自在な指揮に見とれる。
「演奏はうまいか下手かではないの。恋愛と同じ、好きか嫌いかなの」、はもう何十年も前のインタビューでの言葉だが、プロ合唱団を興し、育ててきた人、そして60年、桂冠指揮者はかっこいい。

音楽で伝えるということ

2016年10月10日 月曜日

混声合唱組曲「こわしてはいけない-無言館をうたう」長野初演

長野県・上田市の美術館「無言館」の館主・窪島誠一郎さん

長野県・上田市の美術館「無言館」の館主・窪島誠一郎さん

20160815-01Flyer9月25日、長野・上田にある戦没画学生慰霊美術館無言館が、来年開館20周年を迎える記念事業の一環として、館主窪島誠一郎さん作詩、池辺晋一郎さん作曲で混声合唱組曲「こわしてはいけない-無言館をうたう」の長野初演を取材。 長野初演とは、この組曲は無言館のある地元長野のうたごえ協議会と池辺さんへの委嘱作品も多い神戸市役所センター合唱団の共同委嘱によるもので、つづいて11月6日、神戸でも初演されることから。
この組曲については5月にも窪島さんに取材していて、作品にこめた思いは聞いていたが、神戸からもかけつけた総勢204人の合唱、ほぼ満席に近い会場サントミューゼ1300人の聴衆の中での演奏は当然ながら熱く、心揺さぶられた。
全6楽章からなる組曲、1曲1曲深いメッセージを伝えるが、最終楽章の、〽今ここに生きている 人間 ぜんぶ 抱きしめよう…、このフレーズの響きが今も私の中で鳴っている。
「今 ここに生きている 人間 ぜんぶ 抱きしめよう」、全6章をこの一行に凝縮されているように思う。描き続けたい、歌い続けたい、生き続けたい思いを断たれた画学生の無念、そして「それは過去のことか」と今を問い、大切なものをこわしてはいけないものをまもるのだ、と心に刻みこみ彷彿とさせる。

池辺さんが演奏前の鼎談で、そして常に話されている「音楽ですること」の意味。窪島さんが紡ぎ出す、絞り出すと言った方がフイッとするほどのことばとの対峙、格闘。その詩に向き合い、「行間、詩の裏側を読み取る、感じ取る」(池辺)、詩と音楽の両方の力でもう一つの大きな世界を創りあげる。
昔、作曲家芥川也寸志さんに取材した時、芥川さんが言われた「風車-完成度が高い詩に、音楽で別の力を加え、その両氏が起こす風が風車のようにまわる時、すばらしい合唱曲が生まれる-」を思い出した。そして、芥川さんはこうも言われた。「そこに聴衆がもう一つの力を加えるのです」。