2014年4月 のアーカイブ

爽やかに、あたたかい風 宮城・東北から全国から

2014年4月25日 金曜日
5月合併号
4月25日(金)
5月5・12日合併号、本日発送。通常号のつづきで合併号の編集は正直しんどいが、今回は今号12面掲載の“福島”取材を入れたため、ハードに拍車がかかった。4月20日、福島からのバスが新宿に帰着したのは夜の8時をまわっており、そこからタクシーを飛ばしてうたごえ新聞社へ。うたごえ新聞社も入っている音楽センター開館はフリーダムスタジオがあり、幸い、この夜はレコーディングが入っており、夜中まで着いている明かりに心強く、夜半まで原稿書きに集中した。
そんな苦労も感じない、実り多い福島取材だった。
遠いにいて被災地の人たちの苦しみが本当には分からないが、「なにかしたいという気持ちを行動に」と大阪から今回の“響aiコンサートin福島音楽堂”を計画した大阪のレガーテのみなさん。それに呼応して大阪・関西各県、東京・関東、宮城から北海道からかけつけ、地元の合唱団との3時間のコンサートは、まさに音楽と心が響き合ったひとときだった。
「思いを行動に」、そこから生まれる出会い、コンサートの感動はまさらにこれだ、と聴き入った。交流会も、当初音楽会だけのつもりでしたが、と続々と地元の人が参加されたのもみな同じきもちだったのだろう。
南相馬で
翌日は福島市の花見山公園、そして南相馬・野間土へ。
花見山公園は、桜、菜の花、木瓜、梅が色とりどりに咲き誇り、春爛漫。ここでも実は線量は気になると聞く。
そこから2時間弱で南相馬へ。
南相馬・小高区は2年前に訪れたが、放射線量が高く住めなくなった町は2年後も崩れた家の町並みはそのままだった。中はもっと荒んでいるのだろう。「人が住めなくなった家、町は朽ちていく」をあらためて見る。
そして今回見たのは、広い荒野のようになった田んぼに、津波で押し上げられた漁船がそのまま横たわっている。さらに、その田に所々積み上げられている瓦礫も、線量が高いため片付けに入ることも、燃やすこともできず置かれているという。震災直後も立ち入り禁止のため、家の下敷きになった人たちが救援を得られず多くは餓死だったと聞いた。野生化した牛、家畜の豚は野豚となって大繁殖している。「動物を殺す」ことも考えられているという。「動物を殺せ!」、どこかで聞いた。合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」。あれは戦争中の話しだった。
南相馬在住の詩人・若松丈太郎さんの詩の一節「戦争のない国なのに町や村が壊滅してしまった」。
「たんぽぽ」の歌
1面は荒川知子ファミリーアンサンブル。知子さんのリコーダーのまっすぐに届いていくる音、ファミリーのアンサンブルに惹かれる。ダウン症についてはほとんど知識のなかった私だが、表現することが生きる力ということをあらためて学んだ。ファミリーのことは紙面で。
ファミリーへの取材で知った3月21日「世界ダウン症の日」に、藝大・奏楽堂で開かれた音楽いっぱいの「ダウン症の日のつどい」も取材した。(紙面参照)
その取材に行く途中、会場は上野駅から10分ほど歩く。駅を降りて向かうとその参加者とおぼしき人の列。私もその列について歩いた。すると私の前をゆく少女が何か歌っている。ずっと歌っている。?雪の下の 故郷の夜…。「たんぽぽ」だった。私も彼女の隣に並んで一緒に歌うと、満面の笑みを向ける少女。二人で入り口まで歌いながら歩いて、「私もこの歌好きよ」と言うと、「まあ!」と、近づいたお母さんの笑顔、とってもいい気分。

5月合併号

20140505 No2377 Small 5月5・12日合併号、本日発送。通常号のつづきで合併号の編集は正直しんどいが、今回は今号12面掲載の“福島”取材を入れたため、ハードに拍車がかかった。4月20日、福島からのバスが新宿に帰着したのは夜の8時をまわっており、そこからタクシーを飛ばしてうたごえ新聞社へ。うたごえ新聞社も入っている音楽センター開館はフリーダムスタジオがあり、幸い、この夜はレコーディングが入っており、夜中まで着いている明かりに心強く、夜半まで原稿書きに集中した。

そんな苦労も感じない、実り多い福島取材だった。

遠いにいて被災地の人たちの苦しみが本当には分からないが、「なにかしたいという気持ちを行動に」と大阪から今回の“響aiコンサートin福島音楽堂”を計画した大阪のレガーテのみなさん。それに呼応して大阪・関西各県、東京・関東、宮城から北海道からかけつけ、地元の合唱団との3時間のコンサートは、まさに音楽と心が響き合ったひとときだった。

「思いを行動に」、そこから生まれる出会い、コンサートの感動はまさらにこれだ、と聴き入った。交流会も、当初音楽会だけのつもりでしたが、と続々と地元の人が参加されたのもみな同じきもちだったのだろう。

南相馬で

翌日は福島市の花見山公園、そして南相馬・野間土へ。

花見山公園は、桜、菜の花、木瓜、梅が色とりどりに咲き誇り、春爛漫。ここでも実は線量は気になると聞く。

そこから2時間弱で南相馬へ。

南相馬・小高区は2年前に訪れたが、放射線量が高く住めなくなった町は2年後も崩れた家の町並みはそのままだった。中はもっと荒んでいるのだろう。「人が住めなくなった家、町は朽ちていく」をあらためて見る。

そして今回見たのは、広い荒野のようになった田んぼに、津波で押し上げられた漁船がそのまま横たわっている。さらに、その田に所々積み上げられている瓦礫も、線量が高いため片付けに入ることも、燃やすこともできず置かれているという。震災直後も立ち入り禁止のため、家の下敷きになった人たちが救援を得られず多くは餓死だったと聞いた。野生化した牛、家畜の豚は野豚となって大繁殖している。「動物を殺す」ことも考えられているという。「動物を殺せ!」、どこかで聞いた。合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」。あれは戦争中の話しだった。

南相馬在住の詩人・若松丈太郎さんの詩の一節「戦争のない国なのに町や村が壊滅してしまった」。

「たんぽぽ」の歌

20140514ともちゃんクッキー

作業所で働いている知子さんの「ともちゃんクッキー」、演奏活動で作業所を休むとき、このクッキーを持参して販売すると出勤。つまり演奏活動が作業所活動

1面は荒川知子ファミリーアンサンブル。知子さんのリコーダーのまっすぐに届いていくる音、ファミリーのアンサンブルに惹かれる。ダウン症についてはほとんど知識のなかった私だが、表現することが生きる力ということをあらためて学んだ。ファミリーのことは紙面で。

20140514荒川ファミリー ファミリーへの取材で知った3月21日「世界ダウン症の日」に、藝大・奏楽堂で開かれた音楽いっぱいの「ダウン症の日のつどい」も取材した。(紙面参照)

林光さん直筆の知子さん兄妹に贈った曲

林光さん直筆の知子さん兄妹に贈った曲

その取材に行く途中、会場は上野駅から10分ほど歩く。駅を降りて向かうとその参加者とおぼしき人の列。私もその列について歩いた。すると私の前をゆく少女が何か歌っている。ずっと歌っている。?雪の下の 故郷の夜…。「たんぽぽ」だった。私も彼女の隣に並んで一緒に歌うと、満面の笑みを向ける少女。二人で入り口まで歌いながら歩いて、「私もこの歌好きよ」と言うと、「まあ!」と、近づいたお母さんの笑顔、とってもいい気分。