2014年3月 のアーカイブ

半世紀の合唱の流れ

2014年3月19日 水曜日

作品、演奏に満たされた
東京混声合唱団第233回定期演奏会
田中信昭指揮  「半世紀の合唱の流れ」

東京混声合唱団桂冠指揮者、音楽監督の田中信昭氏指揮、「半世紀の合唱の流れ」を聴く。一曲目の柴田南雄「三つの無伴奏混声合唱曲作品11(1948年、北原白秋 詩)の第一声から、ぞくぞくするような響きに包まれた。「水上」「早春」「風」、自然の情景を思い浮かべながら瞑想。

つづく、三善晃混声合唱組曲「五つの動画」(1968年、高田敏子 詩)。長い詩で、演奏の前に目を通したけれど、一読では頭に入らない。けれど、演奏が始まると音に引き込まれ、演奏後詩を読み返すと、いろいろなことが投げかけられる詩の深さにも感嘆。プログラムの「作曲ノート」にある三善さんのメッセージ-1968年NHKの委嘱で書いたが高田さんの詩法とプロデューサーの企図と、自分の音のイメージを一点に結ぶのに1年かかった-。

三善さんは昨年10月に亡くなられ、今年1月に行われたお別れの会で、東混によって献奏された曲という。

休憩の後、佐藤聰明氏の混声合唱曲「海」(華厳経より2006年、今回改定初演)と西村朗氏の混声合唱とピアノのための「邪宗門秘曲」(2013年、北原白秋 詩)。静かに緻密に奏でていく「海」、「妖艶にして鮮烈」(作曲者)とあるように熱い曲「邪宗門秘曲」。「海」は華厳経だが、言わんとすることが3・11とその後にも通じて迫る。

この日の4作品、「半世紀の流れ」として田中氏がとりあげた作品、演奏に堪能した。とても幸せな時間を過せた。

音楽寺子屋スペシャルVol.4

2014年3月12日 水曜日

合唱は 芸術か?  運動か?
人はなぜ大勢で、声をあわせてうたうのか
音楽寺子屋スペシャルVol.4

3月11日(火)
3・11から3年目の日。

20140320 (1)3・11犠牲者に黙祷を捧げ、始まった討論会。音楽寺子屋スペシャルVol.4「合唱は 芸術か?  運動か? -人はなぜ大勢で、声をあわせてうたうのか-」。

このタイトルの討論会に、なんと、私は、合唱指揮者・栗友会代表の栗山文昭氏(武蔵野音楽大学教授)と早稲田大学教授小沼純一氏に挟まれて、檀上にいたのです。

コーディネーターは、さまざまな角度から音楽を探ろうとシリーズ音楽寺子屋主宰者の坂元勇仁氏(ユージンプランニング 番頭)。坂元氏から、一般の合唱活動とうたごえ運動はどこに相違があるのか、合唱指揮者、評論家、ジャーナリストによるトークを、と話があった時は、とんでもない私なんぞ。栗山先生には季刊「日本のうたごえ」で聞き書き連載をお願いして学ぶことはあっても同席なんぞ、とお断りするハズだったが、「グレート・ラブ 関鑑子の生涯」について…と言われると…。直前まで引き受けたことを後悔しつづけていた。

満席に近い130人という参加者に驚き。うたごえメンバーも20人余。

坂元氏は討論の中で、栗山先生とうたごえのつきあい、うたごえ運動創始者関鑑子さんについて、うたごえが大事にしていることは…、と振っていただき、なんとか2時間を終えた。栗山先生からは、老若男女みんなが歌う「ぞうれっしゃがやってきた」に注目したこと、戦後日本の合唱の系譜での日本のうたごえ運動のことも話された。音楽創造と同時に小沼氏の著書「オーケストラ再入門」にも少し出ていて、うたごえ新聞でも紹介した、ベネズエラのエル・システマ、指揮者サイモン・ラトル氏の音楽での子どもたちの教育の話なども時間があったら聞き、話し合いたいと思った。

終わった後、坂元氏は「これで少し、辻先生に恩返しができたかな」と言われた。坂元氏の合唱の師、戦後合唱振興の担い手の一人、生前大久保混声合唱団指揮者の辻政行氏から「うたごえ運動のことを心にとめるよう」と言われていたとのこと。

「グレート・ラブ」も少し売れた。良かった。

とにかく、軽くなんでも引き受けないことを肝に銘じた。

指揮者守屋博之さん傘寿 お祝いのつどい

2014年3月10日 月曜日

うたごえ運動の創造リーダー
指揮者守屋博之さん傘寿 お祝いのつどい

3月9日(日)

20140320 (2)

守屋さん最後であいさつと指揮

20140320 (4)うたごえ運動の創造リーダー、日本のうたごえ合唱団音楽監督の守屋博之さんが傘寿を迎えられ、大阪で開かれたお祝いのつどいに参加した。

「まだ、後期高齢者じゃないぞ」と聞いたのはついこの間のような気がするが、80歳。そうは見えない。若い。特に指揮される姿は私が初めて見たうん十年前と変わらない気がする。

「グレート・ラブ 関鑑子の生涯」を書く時、うたごえ運動初期、1955年ワルシャワでの世界青年学生祭典に、ほとんどが中央合唱団メンバーだった代表団に守屋さんが選ばれているのを知り、その頃から頭角を。そして関鑑子さんの眼力を思った。作曲で運動をリードしてこられた作曲家木下そんきと奈良蟻の会合唱団を創設、そして関西合唱団の専従、指揮者に。

20140320 (3)守屋さんはこう言われた。「80年の人生のうち、62年うたごえ運動に。初期の奈良での5、6年にアコーディオンを担いで県内に歌を届けに走り回った。それがうたごえ運動を進めていく基礎をつくった。そして、関西にいたおかげでいろなことに挑み、冒険もした。ここで学んだことは計り知れない」。そして守屋さんらしくユーモアを交えた「(『ヒロシマ・レクイエム』を演奏会で歌い、招いた作曲者の)ステージで大ペテン師とだきあったことも」も付け加えながら。

田中嘉治日本のうたごえ全国協議会会長は、団長を務める神戸市役所センター合唱団での21委嘱作品のうた80年代から90年代、「悪魔の飽食」をはじめ8作品の初演指揮は守屋さんだったと語り、これからも運動の演奏創造リーダーとして、とあいさつ。

田中会長も機知に富む人だか、この日、守屋さんに贈った自筆の色紙とことばに傘寿、守屋讃が込められている。メモしました。以下です。

も 持ちまえの

り  理性とセンス輝かせ

や 大和の国から大阪へ

ひ 秀でたタクトに

ろ ロマンスグレーがよく似合う

ゆ 揺るぎない運動の支柱

き 築き上げ さらにはばたく傘寿かな

普天間基地の写真が?!

2014年3月2日 日曜日

雑誌「詩人会議」4月号が届く。沖縄・芝憲子さんの「ジュゴンのひと息」をまず読んだとたん、開いた反対側のページの写真を見て、うっ。たぶん嘉数高地から撮っただろう普天間基地の写真。ここから眺める普天間基地が危険な日米安保条約を如術に如実に示すが、なんと、前は戦闘機・輸送機が列をなしていたのがオスプレイだ。このように、どんどん危険な速度は増している。

3・1ビキニデー

2014年3月2日 日曜日

3・1ビキニデー
久保山さん、大石さんことば

3・1ビキニデー。3年前からビキニ被災をそれまでとは違って受け止めている。「原水爆の犠牲者は私を最後に」と言って第五福竜丸乗組員、無線長の久保山愛吉さんがその年の9月23日に亡くなった。入院されていたのはここ(東京・新宿の音楽センター)から近い距離で、当時の中央合唱団団員から、病院の門の前で、久保山さんに向かって歌ったと聞いたことがある。

「原爆と核兵器は同じ。日本政府が政治決着でビキニ被災者の口を閉ざした。それが今日の原発」と語る23人の乗組員の人の、大石又七さん。大石さんには3・11前、そして後にも取材している。氏の著書「ビキニ事件の真実」は2003年に書かれている。なのに、3・11の前と後、まったく違って迫ってきたことに愕然とした。なんと浅かったのか、と。「原水爆の犠牲者は…」そんなきれいなことば、言いようではなかった久保山さんの最期を、そばで観ていた大石さんは語る。ぜひこの本は多くの人に読んでほしい。