2013年10月 のアーカイブ

念願の武藤類子さんに取材

2013年10月30日 水曜日

20131115 (6)福島・三春へ

おおさか祭典前の発行、祭典当日配布号を出す。

 この号はかねてから一度、お会いしたいと思っていた武藤類子さんへのインタビューが叶った。昨年、広島のうたごえ全国交流会で、北海道合唱団が演奏した武藤さんのスピーチを元に同団高畠賢さんが曲を書いた「福島からあたなへ」に衝撃を受けたことから取材したいと思っていた。 

 福島という地形を私が意識したのは、残念ながら原発事故だった。放射能汚染がどんなにむごいものか、福島の美しさをやさしい言葉で情景が見えるように迫る武藤さんのことば、それが曲になるといっそう悲しさ、怒りが伝わった。

 高畠さんの作曲への思いも取材していたので、今年の季刊春号に楽譜掲載を、と高畠さんに連絡したとき、武藤さんの連絡先を教えてもらい、掲載のお願いと一度おたずねしたい旨をメールした。すると、「どうぞ」とうれしい返信をもらっていた。それがやっと実現し、福島・三春に尋ねた。

20131115 三春の地名は、梅・桃・桜が一度に咲く美しさを誇る地名。10月下旬の三春はもう冬に近かった。

 

 

 

               「時間が止まったままの被災地」は間違いだった
             原発被災地の時間はむしろ逆行している

  直接聞く、原発事故の現在進行形の話は、やはり襲撃だった。

20131115 (1)

本来なら自然の中で営業していた里山喫茶燦

 同時に、ずん、と心に響いたのは、武藤さんが、山を開き、耕し、里山喫茶燦を開き、ミツバチからは蜂蜜をとそこに棲む生き物と共に暮らしていた「それらすべてに放射能が降りました」という言葉だった。喫茶店も閉じている。

静かに深い怒りが伝わってきた。

  そしてもう一つ、私は昨年6月、震災と原発事故から1年3カ月の南相馬市小高を訪れ、地震で崩れた家々が道路にはみ出したままになっているのを目の当たりにして、「時が止まったままの町並み」と書いた。が、それは違っていたと知った。武藤さんは、原発で主がいなくなった家のおびただしいネズミなどの糞尿の写真を見せて、「これで何年か先に住めるというのですか」と言った。帰還への時間は止まるどころか、遠のいている。

福島地裁は放射線量が高いため、マスクをしている

福島地裁は放射線量が高いため、マスクをしている

  そうした募る苦しみ、悲しみ、怒りに、武藤さんら告発原告団は、国と東電の責任者を名前を挙げて訴え、責任と謝罪、賠償を求めている。

 

 

 

                      心寄せる、とは

  そして武藤さんに一番聞きたかったこと。それは、私たちが被災者に「心寄せる」ということはどういうことか、だった。「当事者の気持ちがわかっていない」「もっとこんなものではない」ということばを聞く時、私たちはどう心を重ねればいいのか。被災者の気持ちも状況や被害によって異なり、国や東電の対応によってもさらに分断されている状況もある。そのなかで…。

 武藤さんは言った。「それぞれの位置によって感じ方、思いは違うでしょう。でも、目をつぶらないで現実を見る、そして、守るべきは何かを考えましょう。子ども、健康、いのちです。そこに心を重ねてつながっていきましょう」。

 大変な状況下にあっても、まっすぐ前を観るその視線が、あのやわらかいことば、心打つことばを紡ぎだすのだと、思った。私が紙面で伝えるべきはこのことばだと、思った。

65周年記念作品 池辺先生の練習会

2013年10月8日 火曜日

20131021-01IkebeTokyo20131021-01Ikebe10/21号の入稿を済ませ、おおさか祭典・大音楽会で演奏される65周年記念委嘱作品の当日指揮、記念作品作曲のひとりである池辺晋一郎先生の東京練習会の取材へ。

9月28日の大阪練習会は300人。東京練習会は75人と少なく、アングルを凝らすしてもどうしても量感は出ない。

だが、集中した練習会だった。先生の指導で曲が立ち上がっていくのを実感する。一つ一つの音に込められたメッセージ、その音を少し強く、少し弱くすることでことばが鮮明に浮かび上がってくる。そのなかで作曲家のメッセージが奥深く届いてくる。

指導する先生をズームで撮る。その表情、先月、古希を迎えられたとは思えない、若さ、エネルギーに感嘆する。この練習会を受けないなんて、もったいない!

ちなみに先生はダイエットにも成功されている由。週刊新潮に先生の一週間の献立と体重の記録が載っていた。それを読んでショックを受けた私。

練習会の後は先生と懇親の一席。席に着くと、まず“指バッチン”の話。10/21号の「空を見てますか」の原稿にそのことが書かれていた。原稿をもらって私はこう返信した。「先生にできなくて私にできること、ありました! 指パッチン」。

元気に船出 2014年日本のうたごえ祭典inみやぎ

2013年10月6日 日曜日

第一回実行委員会へ

来年の宮城で開催の、2014年日本のうたごえ祭典inみやぎ第一回実行委員会で宮城へ。

20130906実行委仙台 (1)この間、準備会にも参加してきたが、いよいよ実行委員会スタート。うたごえ新聞社としてもそれは伝えなければとはせ参じた。

岡村朋子祭典運営委員長の、「歌うことなど許されないのではないかと思ったほどの震災直後、しかし、歌に励まされて歩んで来たこと、被災地から今伝えたいこと、全国の支援への感謝と連帯の祭典開催を決意しました」のあいさつにじんと来る。最初に祭典開催の話があって、3・11があって…。

20130906実行委仙台 (2)西会長のあいさつと日本のうたごえ祭典とは、のお話も良かった。なんと、西会長は本「日本のうたごえ祭典のあゆみ」から1953年の第一回日本のうたごえ祭典・大音楽会で全国のうたごえの最初が「仙台のうたごえ」だったこと、運動創始者関鑑子の「歌ごえに魅せられて」から「日本のうたごえ祭典」の項を引いて、祭典とは全国という大きな力で、相互に学び合い、発見し合うもの、という(これは必聞)を紹介。つづいて今年の祭典開催地大阪でつくられたビデオ「日本のうたごえ祭典」をダイジェストで上映。

20130906実行委仙台 (3)ここまでで予定の2時間枠の半分。だが、そのあと、企画、組織など各委員会の提案は端的でてきぱき進められ、フリートークでは「本当は祭典開催に躊躇していたが、でも」と前向きの声が出されたのも会を豊かにした。

実行委員会終了後、企画の各テーマに分かれての話し合いが持たれたが、それぞれさっと席をつくり、討論。山形、福島のメンバーも東北のステージの話を始め、元気に船出した。

伊達政宗の夢 慶長遣欧使節と

この日、会議の前に仙台で観たいものがあり、早めに東京を発った。行き先は仙台市博物館の「伊達政宗の夢 慶長遣欧使節団と南蛮文化」展。先日取材した声楽家平野雅世さんがこの12月、仙台フィルとのオペラ「遠い帆」に出られると聞いたことから、インターネットを検索するとありましたこの展示。

政宗のまなざし。みやぎ祭典はそんなスケールと視点が活かせないだろうか。

うた新10/14号、季刊「日本のうたごえ」№162 同時入稿で ホッと一息

2013年10月1日 火曜日

毎週火曜日は夕5時に印刷所へ原稿引き渡し。ほとんどデータ入稿だが、写真のトリミング指定や微妙な指定はプリントアウト方が必要なため。毎週火曜日は夕5時をめざし、殺気立つ私。きょうは、新聞と、おおさか祭典前に読者に手渡そうと季刊「日本のうたごえ」№162の入稿、タイムリミットで殺気に拍車がかかる。

「ラジオ体操からお戻りの頃でしょうか」と武義和さんから季刊に掲載の楽譜が届く。今日ばかりは日課の午後3時の時報に合わせたラジオ体操もパスしていた。

季刊№162の楽譜紹介は、北海道の合唱発表会に審査委員として行っていた渡辺享則さんからの推薦曲「海を空をいのちを」(函館トロイカ合唱団作詞、函館トロイカ合唱団・さとうみどり・武義和作曲)にした。

渡辺さんから連絡をもらい、函館トロイカ合唱団の石黒良治さんに連絡して掲載の快諾を得、作曲のアドバイスをされた武さんに連絡。「再度楽譜を見直して送りましょう」と言っていただく。

武さんの「ラジオ体操から…」の前文は、ある時、武さんがこちらに来られた時、ちょうど音楽センター女子会中心に行っている3時のラジオ体操の最中だった。「私も」と武さんも一緒に。この15日、また音楽センターに来られる由。「その時はまた参加させてください」と武さん。「ラジオ体操部一同、よろこんでお待ちしております」と返信。

女子会中心のこのラジオ体操、黒一点、二点の男性陣の一人、全国協議会事務局員の石垣正人君の、「3時です」のみんなへの声かけが貴重。彼も祭典・合唱発表会が近づき、猛烈な忙しさだが、忘れない。そのおかげで時を逃がさずできる。感謝。

インタビューでビタミンいっぱい