2013年9月 のアーカイブ

「文化が花咲いて経済を潤す」木津川 計氏

2013年9月22日 日曜日

20131011木津川さん9月はおおさか祭典に関連しての連続インタビュー。2日にうたごえ新聞10月7日号に紹介した祭典よびかけ人、「上方芸能」発行人の木津川計氏。

氏の「文化軽視・虐待する都市は衰退する」「人間に人格があるように都市にも都市格がある」は、文化と経済の関係をわかりやすく鋭く方っていただいた。 うた新でポイントを紹介。全文は季刊№162で紹介。

インタビューは、木津川さんが番組の収録を終えたばかりのNHK大阪で。

「一人語り劇場」をされている話芸の達人でもある。2007年から始められて、「瞼の母」「婦系図」「無法松の一生」「父帰る」など各地で好評。現在78歳。「80までは続ける」と言われる。聞いていてビタミンいっぱい。心身が活性していく。

指揮60年の深いお話、楽しい時間、浅井敬壹氏

2013年9月22日 日曜日
2031011浅井さんプレゼン

現在の浅井氏

20131011浅井さん昨日入稿した浅井敬壹氏。浅井先生も話がうまい。抑揚をつけ、大事な所は実にていねいに話される。そして楽しい。原稿にするとト書きの「笑い」は少ないが、お話を聞きながらよく笑った。

「こんなんも読んでいただけたら。重いですから途中で捨ててくださっていいです。でもこの場では持って行ってくださね」といただいた本と合唱団京都エコー創立50周年記念演奏会のプログラム。「こっちが今の私、こっちが50年前ですわ。ワッハハハハ」。

201011京都エコー

50年前の浅井氏

うたごえと深いおつきあいが始まったのは、神戸市役所センター合唱団が1996年、阪神大震災鎮魂組曲「1995年1月17日」を持って、合唱連盟の関西のコンクールに出た時。「私は審査員の一人でして、一位を付けました。そのあと田中団長(田中嘉治)が『おいしいもんでも食べながらお話ししましょう』と声をかけてくださって。おでん屋でした。ウフフフフフ」。

「指揮の師は福永陽一郎さん。歌の師は美空ひばりさん」。えっ、あの演歌のと美空ひばりと全日本合唱連盟連続20回、計38回の金賞受賞の合唱団京都エコーの指揮者と…。「ひばりさんの情感を聴き手に届ける歌い回し」のお話、「指揮者と合唱団員は、指揮者と合唱団ではなく、指揮者と一人ひとりの団員のいのち、糸で結んだ真剣勝負」のお話には、ひたすら感じ入った。ビタミンいっぱい。

さすがタイトルロールを務めるプリマドンナ、平野雅世さん

2013年9月22日 日曜日

20131007-08HiranoNew特別音楽会ゲスト出演の平野さんにインタビュー。特別音楽会での演奏の後、年末はオペラ「遠い帆」にも出演と聞く。

三善晃作曲のこのオペラは、慶長の大津波の2年後400年前に宮城・石巻から出航した支倉常長ら欧州使節団のことを描いたもので、1999年仙台フィルと市民合唱団を募って初演され、震災復興への想いも込めて仙台で再々演される。それに抜擢されている平野さん。「特別音楽会には“東北からのメッセージ”も企画され、ご縁を感じます」と最初からうれしいことばにインタビューへの勢いがつく。

年明けには文化庁の研修員としてニューヨークへ、帰国後は「トゥーランドット」「ドン・カルロ」「夕鶴」と出演が決まっている。まさに一級のプリマドンナの言葉は深かった。

「主役をさせてもらうということは責任があります。お客様に、期待通りではだめで、期待以上のものを提供できて感動を届けられるのです」「役になりきることは大事ですが、その役を客観的に観る自分が居なければお客様に感じていただけません」。確かに、役者の感情がもろに出ると観ている方は引く。納得。

そして、大阪の文化軽視はオペラにも。オペラは特に大がかりのため、経費削減のため稽古の回数を減らされると聞いて、それでは質が危なくなる。さらに、「黒のヒールはお持ちですよね」と衣装の自前を促されたという話には「ひぇー!」、いや「じぇ!じぇ!じぇ!」。

次代を育てる合唱、豊中混声合唱団・指揮者 西岡茂樹氏

2013年9月22日 日曜日

20131021-04nishioka同じく特別音楽会で〈つぶてソング〉の合同に出演いただく豊中中混声合唱団指揮者西岡茂樹氏にインタビュー。戦前からの伝統あるこの合唱団の8代目指揮者。全日本合唱コンクールで金賞はじめ受賞の同団。合唱団員を確保する苦労、音楽づくり、特に常任指揮者になって5年ほどの苦労のお話。どこも合唱団の高齢化はある。「それは若い人が入ってこないということ」。このままでは合唱は衰退していく、とあらゆるいくつもの手を打った、というお話。「豊中混声あり!」には果敢にさまざまな努力がされている。

委嘱作品へのアンテナ、作品を探す眼力、次代の合唱への思考と実践は大いに刺激を受ける。

インタビューされる側になって考えた

2013年9月20日 金曜日

20130520-07GreatLoveこうしてたくさんの人にインタビューする日々だが、先日、久しぶりにインタビューを受けた。「『グレート・ラブ 関鑑子の生涯』を書かれた三輪さんに、本の紹介と合わせて取材したい」との申し出に、ありがたくお受けした。

「インタビュー、取材の心得」「記事の書き方」などを日本機関紙協会主催の機関紙大学で語っているが、取材されていてあらためて思ったこと。

何を軸に取材されるのか。質問の中にもそれが一本通っていないと受ける側は不安になる。

この書で伝えたかったこと、関鑑子という人が何をめざして運動を創始したか、その理想と実践、そして、運動を始めるに至る運動前史にも私はページを割いた。 だが、質問が本から離れる。録音をとらず、机を使わず、話しながらメモをとるインタビュアーに、またまた大丈夫?? と不安になった。 あらためて取材に襟を正した。

うたごえPR原稿

2013年9月14日 土曜日

9月14日(土)

うた新社・音楽センターの近くで見つけたブーゲンビリアの花 サルスベリは過ぎた日を思わせるのにこの花は盛りの美しさ

うた新社・音楽センターの近くで見つけたブーゲンビリアの花 サルスベリは過ぎた日を思わせるのにこの花は盛りの美しさ

家の近所で 秋祭り

家の近所で 秋祭り

土曜日、明日明後日の連休は仕事等入っており、代休を取ろうとしたけれど、アウト。静かな音楽センター会館です。

いつも昼食は音楽センター会館女子会。でもきょうは音楽センター女子会もお休みで、昼食は今月から祭典に向けて全国協議会のアルバイトで入っている絹の道合唱団の片山操子さんと。彼女は退職まで商社に勤め、「土曜日にめいっぱい仕事なんて、は・じ・め・て!」。さもありなん。

台風も近づき、天気が不安定。明日の池辺先生の第九初演コンサート、特に西から遠来の人、大丈夫かと心配。

雑誌「Hanna(ハンナ)」に
日本のうたごえ祭典・おおさか65周年記念出版うたごえPR原稿

で、コツコツと仕事を、プラス雑誌「ハンナ」に原稿を送る。

「Hannaハンナ うたと合唱とオペラ」という雑誌が出ています。前号が9・10月号で、今回原稿を送ったのは11・12月号、ということは年6回刊。

「こんな新聞があるのですねぇ」とうた新を見た人曰く。私もこの編集者にお目にかかった時はそう思った。タイトル通り、様々な人・団体がとりくむ音楽の催し、紹介楽譜もある。ちなみに前号の特集は「オーフロイデ! 歌声響く日本列島 第九シーズン始まる」。

合唱連盟、合唱指揮者協会のコーナーがあり、「ここにうたごえさんも加わっていただいて」、1ページ、内容はおまかせ、写真数点に記事は1500字ほどというお話。

仕事に追われていて、前回も締め切り間際に督促の連絡か゜入り、えっ。

でも前回はうたごえとしては第一回なので、はじめましてからうたごえ運動の紹介、そうだ! 日本のうたごえ祭典・おおさかのPRを、と書いた。

2カ月はあっという間に来て、今回も督促の連絡。えっ、祭典は書いてしまったし、祭典はまだ終わっていないし…。そうだ!「グレート・ラブ 関鑑子の生涯」、65周年記念出版「うたごえは生きる力」DVD5枚・CD5枚・資料集、予約価格1万3,500円があるではないか! と先ほど送りました。

次もまた、えっ、と締め切りが来るのでしょう。でも、大丈夫。今度は祭典が盛大に終わっているハズ。

中尾富子さん逝く

2013年9月14日 土曜日

教育指導者として全国に赴いた中央合唱団元常任、
声楽家の中尾富子さん逝く

20130914中尾さん9月7日、中尾富子さんが亡くなられた。

「グレート・ラブ 関鑑子の生涯」を書く時、登場してもらいお話を聞きたかった一人がうたごえ運動創立の翌年、1949年、中央合唱団5期生として入団した中尾さんだった。まさしく草創期のメンバー。しかし、体調を崩され、お話を聞くことは叶わなかった。

20130914中尾さん02お話が聞けなかったのは一期生、創立メンバーの奈良恒子さんもそうだったが、奈良さんには私がうた新に入った時から、そばにいて直接話を聞き、お宅にも泊めてもらい、自慢料理のはるまきもよくごちそうになった。聞き書きしたものもたくさんあったのでそこから書き込むことができた。

が、中尾さんはずいぶん長く、全国の教育指導、北海道、長野、岡山、静岡などにでかけられており、直接接するようになったのはうた新の編集委員になってもらってから。編集委員は10年余、お願いした。

全国のうたごえの動きをキャッチする視点と同時に、今、音楽界で合唱界で、平和運動では…といつも中尾さんの視野は広かった。

この号では、長いおつきあいのお二人、声楽と教育指導者として「2人3脚で歩いた」一期生・声楽家の檀上さわえさんと、互いの指導サークルとの協働、作曲に多くのヒントを提供されたという作曲家木下そんきさんの談話で追悼した。

中尾さんの生い立ちとうたごえ運動

書き切れなかった檀上さんのお話から紹介。

檀上さんが初めて中尾さんと合ったのは、檀上さんが班指導にあたった中央合唱団5期研究生に中尾さんが入ってきた時。「聡明な高校生」という印象だった。尺八の名取りのお父さんと琴の師匠のお母さんのもとに育ち、音楽の基礎知識がすでにあった。けれど、その両親が早くに亡くなり、中尾さんは親戚に預けられた。晩年近くまで一緒に暮らした一番上のお姉さんが、中尾さんを不憫に思い、引き取って、映画のスクリプターをしながら育てた。長兄は今井正の映画のカメラマンで、やがて兄姉は東宝争議にも参加していく。両親と兄姉から芸術の素養、社会への目を育てられた。

そうした中尾さんが、二度と戦争を許さない、そのために、と関鑑子が推進していくうたごえ運動に情熱を燃やしていくのは、自然な推移だったと思う。

20130914あしたばうたごえ新聞で中尾さんを撮ったのは、と写真を探す。やっと探し出した2008年の写真。うた新社にあるステージで指揮した最後の写真だ。

合掌

たくましい年金者パワー

2013年9月13日 金曜日

たくましい年金者パワー「はらまち除染テクノ」

20130914除染斎藤さん9/23号発送。今号1面は、年金者組合南相馬原町支部支部長齋藤盛男さんと齋藤さんたちがたちあげた会社、一般社団法人「はらまち除染テクノ」のこと。

このお話は7月末、私も講師を務めている日本機関紙協会主催の機関紙大学での記念講演をもとにしたもの。

昨年6月、立ち入り禁止区域の南相馬市小高を訪れて、震災から1年半経っても入れないため震災で壊れたそのままだった町並みを思い起こしながら聞いた。今年に入って避難区域解除になったが、放射能汚染の不安から人が戻ってこない。人が安心して戻ってくる町を取り戻そうと齋藤さんらは除染の会社を興した。

20130914はらまち除染テクノ震災後の悲惨・残酷な状況と、今、会社を興して復興へと向かう齋藤さんの話。はらまち除染テクノは「定年のない職場です」、「自然の力を活かした故郷づくり、花卉園芸・里山づくりで町おこし、明日をつくる仕事」と語る齋藤さん。

しかも年金者組合は年金者ばかりではなく、年金に関わる人すべて、つまりだれでも入れる組合で、震災前28人の原町支部員は今、若い人含めて50人という。聞いているこちらも元気が出てくる。

ところが、「原発3号機が今、危ないのです。連絡が入ることになっていますから、携帯のスイッチをそのままにさせてください」ということばに、つづく悲惨を実感させられた。

今回の原稿化に当たって写真の依頼等で連絡をとると、「いつでも来てください。連絡してください」とやさしい声。感謝です。

オリンピック招致で安倍首相は「原発はコントロールされ、安全」と言ったが、だれもが思う、本当か、と。本当にさせなければ。

〽夢を語るとき 遅すぎることはない…

2013年9月13日 金曜日

今週号は「夢をかたるとき」にちなんで2つの記事も紹介。8面、作曲者原田義雄さんさんの姫路でのコンサートと、前回紹介した9月1日、大阪での合同練習会の模様と、朝鮮高級学校合唱部と李先生の話。

〽夢を語るとき 遅すぎることはない…大切に 大切に 今を生きよう

「夢を語るとき」の歌詞をかみしめる。

秋ですね

2013年9月7日 土曜日

20130907神田川神田川沿いの小道。毎朝この小道を通って出勤!