2012年10月 のアーカイブ

頼もしいねぇ 大熊君と仲間たち

2012年10月17日 水曜日

大熊啓うたごえ専従10周年まつり

20121016大熊専従10周年 (3)20121016大熊専従10周年 (1) 10月16日(火)。夕、東京のうたごえ協議会事務局長・大熊啓さんの“専従10周年まつり”に行く。歌、曲作り、指揮、ギター伴奏、名司会…、彼の多才な力は、このまつりのチラシ、イラストがよく表している。
 そんな彼の力とたくさんの友人がもりあげた“まつり”。会場の調布グリーン小ホールは満席。しかも、まつり、だから会場の脇には飲み物・食事のお店も。毎週出前販売の小林豆腐店、彼がうたごえ喫茶・うたう会をしている地元野お店等々からの出店。ビールとつまみを手に、彼の演奏、調布狛江合唱団など友情出演の演奏を楽しむ。
 ふだん見かける彼の友人、じっくり演奏を聴いたことはなかった上野圭一さんのデュエット“NiMAGiN”は、二人の声がとてもよく合っていて、ええっこんな面が…。全国交流会の合唱発表会〈小編成の部〉に選ばているかな。
 大熊さんのオリジナルや選曲される曲に、彼のメッセージがよく伝わる。
 会場で、ジャーナリスト、うたごえ新聞連載「世界の歌の現場から」執筆の伊藤千尋さんと会う。そのばす、伊藤さんは大熊君と同じ狛江市在住、奥様は調布狛江合唱団団員。連載は来年もひきつづきお願いすることになっている。原稿料は些少ですが、ひきつづき、よろしく、とごあいさつ。原稿料は大熊君たちの燃料(飲み代)なっている由、奥様から。こんな応援もうれしい。
20121016大熊専従10周年 (2)20121016大熊専従10周年  大熊君の人とのつながりは広いが、だいぶ前、「岩崎京子さんと一緒に子どもたちへの読み聞かせの会をやっています」と聞いて、えっ、あの「かさこじぞう」の作家・岩崎京子さん!   と彼に頼んで取材をさせてもらったことがある。
 取材の後もたくさんお話しさせてもらった。その90歳を越えておられる岩崎さんも来場。大熊君のご両親にもごあいさつし、ホットな気分で会場を後にし、合唱団白樺の井藤綾子さんらとちょっと“よかったネ会”をして帰った。

原発の実相を知る 教育、メディアの責任

2012年10月13日 土曜日

 10月13日(土)。合唱団白樺第57回定期演奏会を聴く。
 ロシア合唱曲ファンをつかむ同団の演奏会、いつも新宿文化センター大ホール満席で開かれるが今回も。演奏は、団の名前そのものの「白樺」や「母なるヴォルガを下りて」は、十八番中の十八番。深く響くバスに支えられる演奏に堪能する。舞踊班の踊りは楽しませ、今回初演の「ライ麦畑を行けば」はその演出はも演劇芸術の伝統ロシアを思う。

20121015崎山さん20121015関心の高さ満席に近い会場 その演奏の余韻を残し、商社九条の会主催の講演「低線量放射線のリスクは なぜ過小評価されるのか 福島第一原発事故を考える」(国会事故調査委員会委員、医学博士・崎山比早子氏)を聞く。
  10/8号で紹介した松本市長・医学博士の菅谷昭氏と、放射線被曝の危険、対応事項は同じだが、ここでは放射線が人体に与える影響がくわしく話された。さらに、国会事故調査委員会委員としての報告・提言が生かされない現実。教育、メディアが原発利益団体によっていかにコントロールされているかが話された。
崎山氏は結論として、「こういうなかで、安心して暮らせる国づくり、それを進める政府、国会議員を選ぶのは国民一人ひとりの力にかかっている」と話された。この視点がキーになる。

きょうされん全国大会in福井 高校生も創作・合唱に

2012年10月12日 金曜日

10月12日(金)。10/24号発送。1面は、福井で行われたきょうされん全国大会in福井の地元からの通信。通信をもらって編集、レイアウト、校正と発行までに何度も読むのだが、「子どもたちと障がい者を音楽をど真ん中に」の福井の障がい者運動、特に北陸高校の生徒たちとのとりくみはうれしくなる。

戦後間もなくの市民と教師の想い 伝わる映画「ひろしま」

2012年10月12日 金曜日

20121015映画ひろしま20121015映画「ひろしま」上映会トーク㊧熊井明子さん、㊨小林さん 今日、夕、東京のうたごえの大熊啓さんからぜひ、と誘われた映画「ひろしま」を観た。チラシの、主演月丘夢路、岡田英次、加藤嘉、助監督熊井啓、音楽伊福部昭に、おおっ! すべてその名を知られる人たち。どんな映画だろう、原発問題を考える上でも観ておこう、と出かけた。
  結果、こんな貴重な映画が、とため息さえついた。原爆の被災事実をリアルにしかもストリーとして伝え、普遍性を持っている。
  映画は、自らも広島で被爆した教育学者・長田新が編纂した子どもたちの文集「原爆の子」をもとに、「原爆の実相を」と全国の教師50万人が50円を出資、広島市民9万人が出演、映画のセッに必要なもの、人形も9千体がつくられたという。1953年8月15日に初上演。
  「この映画をみてもらえば核兵器などあってはならない。原発もまして原発再稼働など論外とわかってもらえる」と上演にとりくんでいるのは映画の監督補を務めた小林太平氏の息子小林一平さん。上映会では小林さんと、熊井啓監督の奥さん明子さんのトークもあった。上演運動で痛んだ60年前のフィルムを修復するデジタルマスターも試みられている。
 当時の原爆反対、平和をと願った人々の想いを多くの人に伝えたいと思う。

40年ぶりのうたごえ祭典 沖縄へ

2012年10月9日 火曜日

20121015沖縄祭典第2部うたう会で歌う 伊波宏俊さん 真ん中 10月9日(火)。沖縄取材から朝、帰る。この間、長野、京都と出かけているが、この沖縄も、40年ぶりの沖縄のうたごえ祭典とあって、なんとしても行こうと思っていた。
  祭典は、2004年日本のうたごえ祭典で、さらにその前にまかれたうたごえのたくさんの種が実をつけていた。19年前の保母のうたごえ祭典でのミュージカル「保育保母7T物語」が現役の保育士さんによって上演され、「ぞうれっしゃがやってきた」公演や全国と一緒にとりくまれた「悪魔の飽食」、「海のトランペット」など沖縄公演がステージに実っている。石垣潔祭典実行委員長が語る「うたごえ祭典にこだわった」に大きくうなづく。

「オスプレイ全機配備」「那覇でも違反の飛行」

2012年10月9日 火曜日

20121015那覇の大縄挽きまつり20121015オスプレイ新聞沖縄のうたごえ祭典のサブタイトル「うたごえ響け、沖縄の空に」を、オスプレイ普天間基地全機配備の怒りが渦巻く沖縄の地で一層思う。
 10万人余の9・9オスプレイ配備反対沖縄県大会も、日米合同員会合意の「市街地上空ではヘリモード禁止」も無視した飛行に、「オスプレイ全機配備」「那覇でも違反の飛行」、地元紙沖縄タイムス、琉球新報も連日、黒地紋白抜きの太字で抗議を伝える。
 私が沖縄に入った6日は、那覇の大縄挽きまつりで国際通りは27万の人出、その上空をオスプレイはヘリモードで通過。こうなったら基地全面撤去の県民投票を、の声も強い。20121015嘉手納基地

53年前の宮森小学校戦闘機墜落事件から

2012年10月9日 火曜日

命と平和の語り部NPO法人「石川・宮森630会」

20121015豊濱さん20121015宮森ジェット機墜落 の話で 嘉手納基地をバックに説明・ 伊波宏俊さん 滞在中に、米軍嘉手納基地を一望する嘉手納・道の駅で、1959年6月30日の米軍機宮森小学校墜落事件を伝える運動-命と平和の語り部NPO法人「石川・宮森630会」-の豊濱光輝会長と 伊波宏俊さんにお話を聞いた。
 この事件は、操縦不能となったアメリカ空軍ジェット戦闘機が民家35棟をなぎ倒した後、石川市にある宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)の校舎に衝突、炎上。パイロットは空中で脱出したが、小学生11人含む死者17人、重軽傷者210人という大惨事となった。
  事故の時、教師として犠牲者収容テントにつめていた豊濱さんは、最終的に胃の内容物で判定するほどの焼け焦げた遺体のことを語る。伊波さんは臨時教員として事件に遭遇。その後、琉球大学で学び、卒業後は教員となって平和教育にとりくんできた。
  会は今、この事件を伝える映画「ひまわり」を制作・上映運動を進めている。 低空飛行の戦闘機がひとたび事故を起こしたら、2004年の沖縄国際大学への米軍機墜落事故後、生々しいあとも見た。“未亡人製造機”といわれる事故多発のオスプレイ訓練飛行…、お話を聴きながら、戦慄が走る。

「一坪たりとも渡すまい」「タンポポ」と 伊波宏俊さん

2012年10月9日 火曜日

20121015沖縄のうたごえ祭典 祭典第2部うたう会取材の中で、伊波宏俊さんは、沖縄・南ぬ風合唱団団長 伊波豊さんのお兄さんだとわかる。ええっ! 琉球大学うたごえサークル創立メンバー。「一坪たりとも渡すまい」は米軍基地拡張反対昆布土地闘争で生まれた歌だが、その渦中で闘った人。そして同じく大西進さん作曲の「タンポポ」は、1970年作文集「沖縄の子本土の子」の巻頭詩だが、当時、中学生の作者・狩俣繁久さんの先生として詩を推薦したのは伊波宏俊さんだった。
 沖縄のうたごえ祭典でのうたう会コーナーで、もちろん宏俊さんはこの2曲をリクエストして、歌った。
 現在、平和ガイドも行う宏俊さんに、嘉手納基前で地で説明も聞いた。
 伊波豊さんがずっと沖縄のうたごえを守り育ててきたのも「お兄さんの影響?」と聞くと、それには答えず「兄弟4人のうち、楽器ができのはあれだけ」と笑顔。

私と沖縄のうたごえ 1987年の衝撃の出会いから

2012年10月9日 火曜日

20121015沖縄のうたごえ祭典 祭典記念合唱団私と沖縄のうたごえとの出会いはかなり衝撃だった。取材で初めて沖縄に行ったのは1987年。当時とりくんでいた「『日の丸・君が代』強制の背景」の取材で訪れた。この数年前から一気に強まった「日の丸・君が代」強制だが、沖縄は他県に比べて小・中・高校の実施率はゼロに近かった。それはなぜ、という私の疑問と合わせて、海邦国体開催を機に学校現場で強制と反対が渦巻いているという情報からだった。その後、1999年「国旗・国歌法」制定。その時の取材から前回書いた松代大本営の取材へと発展することなど私の中では深く関わる沖縄取材だった。
 その1987年。取材と同時に沖縄青年合唱団の近況を直接聞こうとアポをとっていた。ところが、待ち合わせ場所に来られた代表のお二人いわく。「ちょうど良かった。沖縄青年合唱団は解散しますので、それを全国協議会に伝えて下さい。せっかくですから、沖縄のうたごえのアルバムを持ってきました。ごらんください」!!!
 驚きとショック。アルバムには祖国復帰運動のなかで活動する沖縄のうたごえのシーン。しかし、なんともいたしかたなく…。
 その沖縄に次に訪れたのは1995年、少女暴行事件で85000人の抗議の県民大会が開かれた年の暮れ、沖縄での平和大会取材だった。そこで沖縄のうたごえはじめ再結集したメンバーで、米軍基地のふる沖縄を描いた構成劇は注目を集めた。そして、その力で南ぬ風合唱団誕生。うたごえ運動の大事業としてとりくまれた歌劇「沖縄」全国公演は、当時米占領下の沖縄では上演できなかった。いつか…、それが2004年日本のうたごえ祭典inおきなわで実った。
 その後も曲折もあったが、…と沖縄のうたごえ祭典を観ながら感慨深かった。