2012年9月 のアーカイブ

松代・大島博光記念館で

2012年9月16日 日曜日

20120919来館者に説明する小林さん長野。昨日、長野市で菅谷昭松本市長の講演を取材した後、長野・菅平在住の小林玲子さん(上田、松代でうたたごえ)の案内で、須坂・峰の原のペンションに一泊。忙中閑。なんとここは先月末行った北海道より涼しい。朝の気温は17度。白樺林を眺め食堂で朝食。リフレッシュして4年ぶりの松代へ。

幻の松代大本営と幻にしたくない松代平和祈念館

2012年9月16日 日曜日

 松代を初に訪れたのはもう24年前。“幻の松代大本営”跡の取材を始めた時から、松代には機会あるごとに訪れているが、今回は4年ぶり。
 幻の、というのは戦争末期、東京の大本営を松代に移すため巨大地下壕が造られたが、完成間近に終戦、ついに使われなかったためにこう言う。
 その地下壕が見学コースになって久しいが、私が最初に訪れた時はまだ開放されていなかった。大本営建設工事には強制連行の朝鮮人が多く集められ、24年前、最初に開放されていない地下壕を案内してもらったのは、朝鮮人の父親とともにここに来て暮らしたYさん。もう亡くなったがYさんは、いつも語気強く戦争の最高責任者・天皇を糾弾していた。
 やがて、強制連行、過酷労働の事実と共に、地元と朝鮮人の友好も伝え、負の歴史を不戦と友好の歴史へとつなぐ松代平和祈念館建設運動を知った。折から、長野合唱団が松代大本営の歴史を歌う合唱組曲「光の種子まく時」(石黒真知子作詞、林学作曲)を制作。その演奏から松代に“松代平和うたう会”が生まれ、創設メンバーであり平和祈念館建設運動の事務局を務めていた小林園子さんと出会い、以来、彼女に話を聞きながら、私も平和祈念館建設を見守ってきた。
 ところが、建設予定地も設計図もできた運動は今、諸処の事情で霧散状態である。久しぶりに会った小林園子さんに、「幻の平和祈念館」と彼女が一番辛いことばを言ってしまった。反省。
  でも、彼女は今、記念館建設運動の拠点としていた場所で、新たに活力を得て、生き生きと活動していた。

大島博光記念館

2012年9月16日 日曜日

大島館長もうた新読者

20120919大島博光記念館  大島博光記念館がそれ。
 松代平和祈念館建設計画の裁ち切れ、事務所も手放さなければいけない(ここで松代平和うたう会の練習場でもある)…という時、救いの主が現れた。松代出身の詩人・フランス文学者大島博光氏の子息朋光氏が、「ここに父の記念館を」と申し出られ、これまでの平和の運動も受け継ぎ、文学、歌の家が発足した。
 大島朋光館長は千葉在住の医師で、月2回土日に来て記念館の仕事に当たる。小林園子さんは長野詩人会議会員でもあり、館長を補佐する常勤スタッフとして活動している。
 記念館には大島博光さんの詩、博光氏が翻訳したアラゴンやネルーダの詩、ネルーダにまつわるチリ人民支援連帯の活動、生涯を語る展示がある。
20120919島博光記念館前で、右から館長、私、小林園子さん、この日講演の滝澤氏20120919チリから送られたタペストリー、裏側のポケットに支援を求めるメッセージ この日はちょうど、館長もおられ、ごあいさつ。なんと、うたごえ新聞の読者「とても読み応えがあります。毎週楽しみにしていまよ」と話、「園子さんたちの活動が父と私を引き合わせたと思います」やさしい人柄から出ることばが自分のことのようにうれしい。
 以前、大島博光さんを取材させてもらいました、と言うとその時のことを聞かれる。取材は20年くらい前、当時の三鷹のお宅にうかがった。アラゴンやネルーダの詩の話も聞いたが、印象に残っているのは、「ステキなカットグラスで飲むワインは最高」と風邪をひかれていたがワインを飲んでおられたこと。フランスの女の子は怖い。かわいい顔に見とれて話しているとすっかり財布を抜かれていた、という話。そんなことばかり次々思い出されて、困った。

レストラン「はなや」

2012年9月16日 日曜日

20120919レストランはなや店長 縣美恵子さん20120919ここに信州蕎麦がくくわって杏定食2敷地の中には、レストラン「はなや」もある。この命名は、詩人の夫の収入だけでは暮らしていけない、と博光さんの妻、つまり館長の母親静江さんが最初は野で摘んだ花から花屋を始めたことに由来する。この静江さんがまた、バイタリティのある人。
 松代地下壕や佐久間象山、松井須磨子の碑など松代を訪れた人の食事処に、そのついでに記念館を訪れてもらえたらとレストラン「はなや」は建てられた。この日も25人の団体客があり、店長の縣美恵子さん(松代平和うたう会)は大わらわ。私はペンションの朝食がボリュームあって、とろろそば定食にした(信州のそばと松代はとろろの名産地)。次回は、杏定食にする!(これは、何度もいただいた笹寿司や天ぷら、信州そばがセット)。
 記念館でもレストラン「はなや」でも、コンサートがよく開かれる。昨日も記念館で原発問題の講演会が開かれたという。まさに、音楽と文学、平和の館だ。

一問クイズ常連 石関みちこさん

2012年9月16日 日曜日

この日も昼から、記念館で「大島博光とフランス文学」の講演もあり、聞いて帰った。その講演に参加していた一人の人が「うたごえ新聞の編集長ですね、石関です」と声をかけてくださるご婦人。あなたが石関さん、一問クイズによく応募いただいている、石関みちこさんとすぐわかった。
 「毎週楽しみにしていますよ。この間も、曲のことを聞かれて、すぐにとっておいた号から『歌の小箱』にあったのを思い出して教えてあげました。特集記事も毎回楽しみ」。
 園子さんも講演会に居あわせた人に「この新聞は特にメイン記事の視点がいいんですよ。誤字脱字なんて小さいこと、読んでみて」と紹介。ドキッとしたりでもうれしく、元気になって帰京。

念願の菅谷昭氏に

2012年9月15日 土曜日

長野市の講演会にすわっ!
 
20120919菅谷昭松本市長、医師世間は3連休の初日、とは知らず念願の菅谷昭氏のお話が聞ける!と長野へ。朝の新幹線はめちゃくちゃ混んでいた。
 長野合唱団指揮者の渡辺享則さんから、菅谷さん取材しない?と提案があったのは少し前。私は前から菅谷さんに取材したいと思っていた。
 農村医療、医療と文芸を戦後いち早く採り入れた佐久総合病院の初代院長若月俊一氏と現在もその姿勢が受け継がれ、病院内コンサートなどが行われている佐久病院を取材し、同病院の医師で芥川賞作家南木佳士氏の「信州に上医あり  若月俊一と佐久病院 」を読んだのは2003年。
 ちょうどその頃、NHKの「プロジェクトX」で菅谷さんが紹介されていた。医師としてチェルノブイリ原発事故被害者の子どもたちの甲状腺手術を私費ででかけ5年間とりくんだ。「信州に上医あり 菅谷」と思った。
 その時からいつか機会が、と思っていたのがついに実現!
  3期目の松本市長としても多忙な氏、単独取材は無理だが、長野医療生協50周年記念で講演を取材させてもらうことに。
  今回の東電福島第一原発事故への対応を、チェルノブイリで従事した活動から冷静に語る菅谷氏。一言一言説得力がある。そして、原発事故から26年のチェルノブイリとその周辺を思うと、原発ゼロ以外にないという想いをまた強くした。

見出しが飛び込み過ぎ?

2012年9月14日 金曜日

20120924 No2306 Smallオスプレイ配備反対  沖縄県民大会10万3千人

9/24号発送。「記事より何より、大見出しに目もチカチカ。でも熱く伝わる」。9/24号の反響。
  沖縄では復帰以後最大の規模になった基地反対集会。高橋正志前会長が沖縄に飛び、大会の翌日帰ったその日に送稿。集会の雰囲気がよく伝わる。米軍基地がある故の事故。宮森小学校ジェット機墜落事故のことは知っていたが、それは基地被害の歴史の一つだった。その事故で、沖縄のうたごえの 伊波豊さんの友だちが亡くなったり、後遺症をかかえていたという記述に、基地悪をまた、深く実感した。

女優 柳川慶子さんに取材

2012年9月12日 水曜日

20120919嵐の中の母子像義父は「嵐の中の母子像」「わたつみの像」の作者!

  池辺先生の連載がきっかけで、女優たちによる朗読劇「夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ 一九四五年」の“夏の会”、女優柳川慶子さん(演劇集団『円』)に取材。
  テレビドラマでもよく見受ける柳川さん。お歳からおばあさん役が多いが、やはり女優さん、きれい。迫真のドラマの顔とは違い、笑顔がとてもかわいい(失礼)。話のなかで、この朗読劇「夏の雲…」、その前の「この子たちの夏」から27年、続けるルーツを聞いていくなかで、えっ、と驚く。
 なんと義父は、広島平和記念資料館前庭に建つ「嵐の中の母子像」の、そして立命館大学国際平和ミュージアム「わだつみ像」の作者だった。特に「嵐の中の母子像」は記念館を訪れるたびに観ていた。ぐっとあの像が生き生きと迫ってきた。
  「門前の小僧です」と平和への想いを教えられたと謙虚に語る柳川さん。しかし、一度途絶した朗読劇を新たに18人の女優さんと共に再開させた芯の強さが伝わってくる。心豊かになる一時だった。

オスプレイ反対集会・沖縄10万1000人!

2012年9月9日 日曜日

9月9日(日)。東京は快晴、日射しが強い。沖縄はさらに強い日射しのもと、宜野湾市の海浜公園での熱いオスプレイ反対集会は、とインターネットを開くと10万1000人。前会長の高橋さんが行っている。明日帰京、次号9/24号にどんなレポートが楽しみ。神奈川・横須賀でも同じく反対集会が開かれ、うたごえも神奈川はじめ東京首都圏から、うた新、全国協議会からも参加。このレポートも一緒に紹介。

憲法を描く映画「日本の青空」第3弾

2012年9月9日 日曜日

テーマは原発、
新潟・巻町を採り上げたのも、脚本、キャストもさすが!

20120909宍戸開さん20120909記者会見 9月8日(金)。9/17号発送。この号1面を見て、おや! と思う読者も多いと思う。映画の製作発表記者会見の記事だ、アップは当然、監督、脚本家、主演でしょうが。その通り。でも私はこの宍戸開さんをアップしました。記者会見でのガッツあるコメント、マスク、映画はキャスティングも大事。もちろん、脚本のジェームス三木、池田博穂監督、主演の赤塚真人さん、そしてなんといっても企画製作の小室皓充さんの話は興味深かった。 
 「日本で最初に原発建設計画を住民投票で撤回させた新潟県巻町」。小室さんの興味深い話は記事に書いた。30年、人口3万の町で、住民が意思を表しやすいように採られた方法、そこに着目した小室氏。闘いの経緯を描くなら映画でなくてもいい。映画で伝えるべきは、と直接民主主義の力を軸に描いたジェームス氏と池田監督。そして「ものをつくるということは(原発問題にも)はっきりと自分の意思をしめさなくてはいけない。原発反対です」と語る面々。
 ものづくりへの責任ある姿勢に襟を正して聞く。
  宍戸さんの「このシリーズには1作目から出ているが、今までの作品は、知らなかった歴史の事実に学びながらだった。今回は自分も同時代当事者の一人として気合いが入る。伝える責任がある」、にここだ!