2012年8月 のアーカイブ

木内宏治さんを偲ぶ会と北海道・夕張行き

2012年8月26日 日曜日

8月26日、5月に亡くなった北海道合唱団の指導者、作曲も多数の木内宏治さんを偲ぶ会に出席し、翌27日、夕張に行ってきた。
  今回の北海道行きは、偲ぶ会の前のうた新フォーラムに出て、北海道&国鉄祭典への取材が目的だった。結果はいろいろミスマッチもありしたが、エネルギー充填。

木内さんが残したたくさんの財産

20120909木内さんを偲ぶ会木内さんを偲ぶ会は、道庁の隣、ガーデンパレスの会場いっぱいの191人が参加。木内さんの小学校時代から社会人になって…と歴史を追うように旧交を語る人々。国鉄分割民営化反対をたたかった北海道争議団からは、うたごえ新聞でも伝えた争議団の合唱-国鉄闘争支援集会で、最初は北海道合唱団が支援演奏したが、次からは争議団自らが最後の1曲を一緒に歌い、翌年、その次と国鉄闘争も20年、レパートリーも20曲近くに-のことが争議団の代表からも語られた。
20120909さっちゃん “北海道大学民謡研究会合唱団わだち”の指導もしていた木内さん、当時の学生は今や弁護士さんら各界活躍。その人たちのスピーチ。わだち出身、うたごえ新聞で現在「ふるさとの歌・祭り」連載の舞踊・三浦恒夫さんは「鬼剣舞」を献舞。全道のうたごえメンバーはもちろん、1982年NYでの国連軍縮特別総会代表団として一緒に参加し、その後、積丹音楽祭(日本のうたごえ小編成音楽祭)、北海道合唱団ロシア公演でも同行したシャンソンの堀田さち子さん・舟橋幹雄夫妻は愛知から、積丹や札幌での日本のうたごえ祭典によんでもらったと民謡集団鯱の松本英治さんも姫路から。
  木内さんが残した一つに小編成、男声合唱ホームシックスがある。「オスプレイ」「消費税」を歌い、男声合唱による風刺コントはしっかり受け継がれている。
20120909映子さん  最後に、夫人の木内映子さんがお礼もこめて、木内さんの最後の作品となった「空の記憶」から子守歌を演奏。無伴奏でしずかに歌われる曲に聴き入る。

どっしり構えて ゆったりと

2012年8月26日 日曜日

20120909ホームシックス私が木内さんの存在に意識した最初は1984年6月頃、大阪である。その年の日本のうたごえ祭典、大阪城ホールをいっぱいにしてなんとしても成功を、と祭典実行委員会はヒートアップしていた。全国協議会常任委員会も合わせてひらかれており、きょうは北海道からも、と木内さんにマイクが渡った時、木内さんの第一声がこうだった。
 「私の仲人はとなりに座っておられる宝木さんで、大阪は私にとってうれしい出会いがいっぱいあった所で…」。雰囲気をさっと軽くし、ぐっとのめりこむ視線を広げる、この感じいいなぁと思った。
  その後、1990年北海道合唱団のロシア公演に、「随行取材してくれない?」「喜んで!」とハバロフスクなども同行させていただいた。
 音楽づくりには妥協しない厳しさがあるが、ヒートアップしそうになると、「私は…」と視野を広げるあのリードを以後もよく観てきた。どっしりかまえ、ゆったりと観る。そんな人となりが大勢の人から語られた偲ぶ会だった。

3度目の夕張 レジャーランドの観覧車は跡かたもなく

2012年8月26日 日曜日

20120909夕張「炭鉱と国鉄の闘いを抜きに北海道のうたごえの歴史は語れない」。9月15、16日に開かれる北海道&国鉄のうたごえ祭典を伝える一つに、かつて夕張炭鉱が石炭を運ぶために敷き、炭鉱衰退とともに外された鉄道遺構と、財政破綻し再建の途にある夕張へ。
  案内は、炭鉱鉄道遺構を合唱団室蘭あすなろの田中樺男さん、夕張は以前も案内してもらった森谷たけしさん(夕張炭鉱の元合唱団『若者』指揮者)。
  財政破綻が問題なった頃から夕張を訪れるのは3回目になる。最初に来た時は冬、観光で再生を図る町に観覧車の大型レジャー施設や雪景色に鮮やかな石炭村の黄色い看板が目に焼き付いた。2回目は3年前の夏、壊れた観覧車の姿が無残だった。今回は観覧車は跡形もなく、石炭村、レジャー施設も閉鎖されていた。
  「夕張を救う」と夕張の病院に赴任した若い医師を追ったテレビのドキュメンタリー番組を観たが、病院は、あの医師は、と森谷さんに尋ねると「とんだくわせものでもうとっくに夕張から出て行った」とのこと。塞がれた坑道口、口を開けたままの坑道を説明しながら「歳をとったがかつて炭鉱で働いた者たちはうたごえのことを忘れないし、今の町の行方をしっかり観て、まちづくりとは伝えていく。今はそれだね」と語る。
  「幸せの黄色いハンカチ」ロケ地は観光資源となっているが、3年前はしっかりカメラに納めたロケ現場跡の炭住街とためくハンカチ。今回は入場料が要った。

夕張メロン堪能!

2012年8月25日 土曜日

20120909夕張メロン20120909森谷さんちで色づき始めたななかまとが北海道はもう秋が近いことを告げる。が、この日、湿気のない北海道の夏の日射しはまだまだ強かった。
 「まあ、うちで一休みしてお帰りなさい」と森谷さんの家に。そこにはなんと夕張メロンとゆでたてのとうもろこし! 夕張メロンなんて高価な、しかもざっくり4つ割、冷たくてあまーい! 一同感嘆。 とうもろこしはしっかりかばんに入れた。

和光高校両角校長の話題

2012年8月25日 土曜日

夏の合併号に登場してもらったローザンヌ国際バレーコンクール優勝の菅井円加さんと菅井さんが通う和光高校両角校長。先生の優しい包容力にあふれ人柄は前回も書いたが、北海道でも話題。
  炭鉱遺構ガイドの田中さんは元高校の教師。現役時代の教育研究集会で、水産高校の荒れた生徒たちに誇りと学ぶ意欲を持たせた教育実践を報告する若い教師両角さんに、頼もしい後輩教師がいる、と思った。夏の合併号を見て、「あの時の両角さんが…、と感動して読んだよ」と話してくださった。
 その両角先生は掲載紙をお兄さんにも送ってくださって、そのお兄さんから「購読します」とうた新に電話をいただいた。じわっと、うれしい。

うた新夏の合併号登場の菅井円加さんのバレエを観る

2012年8月19日 日曜日

絵画と音楽とバレエと充実の夏休みで充電

まる一週間の夏休みもきょうで終わり。今年の夏休みは結構満喫した。
 一週間、うた新を留守にして仕事始めの明日は原稿のしめきり。そこでこの間の膨大なメールを開けていては原稿どころではなくなる、と昨日もきょうも出社してメール、郵送物のチェック。
 だが、きょうはうた新前号に紹介した菅井円加さんのバレエを観てきた帰り。菅井さんと一緒に登場していただいた和光中学・高校の両角校長先生から、「菅井さんのバレエを観ませんか」と嬉しいお誘いに、生で! こんなチャンスはない、と出かけた。両角夫妻との楽しい会話も挟んで、時間は短かったが、菅井さんの踊り、パリ・オペラ座のダンサーによる「タイス」を鑑賞。よく聞く「タイス」がバレエではこういう表現になるのか、と次にこの曲を聴く時はまたちがったイメージが膨らむ。
  菅井さんは明日、ドイツ・ハンブルムのバレエ学校への留学に出発とのこと。

福島とベネズエラの高校生

2012年8月18日 土曜日

20120819NYT東日本東京吹奏楽団のロビー演奏20120819福島・ベネズエラ・加藤全員のフィナーレインターネットで見つけた「加藤登紀子&鎌田實ふくしま・うた語りスペシャル 福島×ベネズエラ音楽交流プロジェクト 帰国コンサート」に出かける。
 行こう!と思ったのは、“ベネズエラ音楽交流”の文字が飛び込んだから。ベネズエラが1975年、音楽で青少年を育てようと11人の子どもたちから始めた音楽教育システム“エル・システマ”は今や30万人の青少年が学び、そこからつくられたシモン・ボリーバル・ユース・オームストらからは世界的指揮者グスターボ・ドゥダメルや演奏者を輩出していることは3年前の、うた新で紹介した。そのベネズエラ・エル・システマのメンバーと、楽都福島(そういえばそう聞いたことがある)のオーケストラをやっている高校生とが、ピース・ボート(世界周航の船の旅で互いに学び交流しあう)で東日本大震災復興支援も意図して交流した。その一端を報告する帰国コンサート、これは聞かなければと出かけた。
 福島からとベネズエラから第1部は10代16人の演奏。「イッツァ・スモール・ワールド」「カノン」…。「王の行進」「上を向いて歩こう」「ラデツキー行進曲」…。楽器・音楽を通して若い世代が語り合う。いいなぁ。16人のコンサートマスターを務めたのは16歳のヘスス・グスマン君。1999年、ベネズエラも大洪水に襲われたという。
 第2部は加藤登紀子さんとNTT東日本東京吹奏楽団によるコンサート。第3部は加藤登紀子&鎌田實氏による「ふくしま・うた語り」。鎌田氏はチェルノブイリ原発事故の医療支援を20年余つづけている。“心地よい”という気持ちがいかに活きる力になるかを語る鎌田氏。加藤登紀子さんはこの間、歌っている福島と沖縄を結ぶ「命結」やエデット・ピアフ詞の「愛の讃歌」、「百万本のバラ」と、圧倒的迫力で迫る歌唱、福島支援への想いを満席の津田ホールの聴衆をつかんだ。
 音楽、お話も堪能したが、ピース・ボート災害ボランティアセンターの世界的視野でアプローチするとりくみに大いに刺激を受ける。

人が歳をとると

2012年8月13日 月曜日

昨年、心臓病で大騒動になった母のためにもできるだけ実家に寄るようにしているこの頃。お盆を前に帰省し、友人とも会う。待ち合わせ場所は、いつも友人の一人が次々に新しい店を探してきて、今回はイタリアン。
 市内だが岐阜はまだ中心街から少し車を走らせると田畑が広がる。その田んぼの中に帰る度にしゃれた店が建つ、といった感じ。今回のその店も大通りを一本入ったまわりは畑。ちなみに大通りに面して大きな本屋さんが建っている。早めに行って本屋を覗き、あまりの大きさに、都内では取り寄せでしかなかった斉藤貴男氏の「『東京電力』研究 排除の系譜」があるかと聞くと、スッと出てきたのには感動!
 そして久しぶりの友人たちとの会合、話の大半は、実母、義母の介護とその悲喜こもごも。年金の問題、老後の計画、趣味をどう持続させるか…。人が歳をとると、であるが、わが母の心臓は少し心配だが口は元気なのに感謝し、一緒に歳をとる、私より一足先に経験していく友らの存在が心強い。

行動するうたごえ教師・箱崎作次さん

2012年8月13日 月曜日

7/2号のシェフ塩谷茂樹さんの学校講演企画!

  宮城の教育のうたごえ全国交流会で箱崎さんに会うと、「あの号、良かったよ、今度、塩谷さんに学校で講演してもらうよ」。なんと、“超 うれしい”記事への反応。
 「行動するうたごえ社会科教師」と自らも言うその行動力。聞けば、直接、広尾のお店・アレグレスに行き、「うた新、読みました。ぜひうちの生徒たちに話を」と切り出して依頼した由。オーナー・シェフ塩田さんも引き受けられたとのこと。きっと真摯な生き方が共鳴したのだ、瞬間に。
 紙面は限られ、充分伝えられなかった塩谷さんの孤児院で育ってから菓子職人として立つまでの話、被災地宮城の雄勝町漁業支援の話は、生徒たちの心を掴むにちがいない。

爽やか、溌剌 菅井円加さんとやさしいまなざしの両角校長に心ときめいて

2012年8月11日 土曜日

8月10日(金)。8月20/27号発送。
 久しぶりにブログに向かう。この間、うたごえ合唱団の演奏会も目白押し。コンサートと取材と原稿と、一昨日まで、息つく暇も…。
 合併号を出してほっと一息。
菅井円加さん菅井円加さんと校長先生 この号、一面のバレエリーナの写真に、読者諸氏の反応やいかに。
 写真の人は、ローザンヌ国際バレエコンクール優勝、和光高校現在3年生の菅井円加さん。2月のコンクール優勝後、学校にもマスコミが殺到したというそのなかで、菅井さんにインタビューができたのは、同校の両角憲二校長と全国協議会小澤事務局長が大学が同期だったことから。夏休みの一日、校長が菅井さんとと語るその時間に割り込ませてもらった。
 めいっぱいのスケジュールの校長先生と菅井さん、この日なら、と連絡をもらったのは7月28日。小澤氏は埼玉で“歓喜の翼コンサート”、私は大阪でうた新フォーラム。ムムム…。
 が、大阪に間に合う朝9時からの取材が叶った。
 早朝、自宅を出て和光高校へ。最寄り駅から乗ったタクシーの運転手さんに、一時間後、正門前で待っていてきださいと頼み、校長室へ。
サインもこれからはいっぱいたのまれるでしょう 「この後、大阪ですね、先にどうぞ」とやさしくインタビューを向けてくださるやさしい口調の両角校長。菅井さんとの会話へも実にスムースに入っていただき、さわやか、溌剌と語る菅井さんと校長先生の会話もほっこりした気分に。
 「コンクールって賞を目当てに出るのではなく、自分を鍛えるため」(菅井)、「進化を楽しむ」(両角)、和光高校の魅力を伝えるクラスづくりの話…。
  菅井さんは、毎日夜遅くまでの練習で時に学校では睡魔との闘い。加えて、体で美を表現するバレエだか、「ストレスが溜まると“食べたい!”という方なのでそれとの闘いも(笑い)」など高校生! しかし、これからバレエリーナとして「人に感動、心に栄養を届けたい」、にはやはり世界トップの風格。
 心満たしてすわっ、大阪へ。