2012年6月 のアーカイブ

「町が朽ちていく」福島・南相馬

2012年6月15日 金曜日

 6月15日。6/25号発送。

牛も依ってきた公共一般・中島さんのかぶりモノ

牛も依ってきた公共一般・中島さんのかぶりモノ

 1面は、この9、10日、東京公務公共一般労働組合の友人に誘われて行った東電福島第1原発事故現場から20㌔圏内の南相馬のことを紹介した。今回のブログはin福島。

  1面のトップ写真のように、どれほどの力が加えられたか、想像すらできない壊れた家々、雨の午後、薄暗く静止状態の町に信号機の色だけが変わる南相馬・尾高町。「立ち入り禁止」解除で、泊まることはできないが、昼間は元の家に戻れる避難者のために、信号は稼働している。

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  案内してもらった三浦広志さん(農産物供給センター代表理事)も鹿島区小池の仮設住宅住まい。9日、三浦さんの元の家がある井田川へ。
 途中、津波が襲って一階部分ががらんどう(『抜けた』)の家々(写真上、左)。そのなかに大きな冷蔵庫が横倒しに、道ばたにぐじゃぐじゃにつぶれた自動販売機や車が点在する。

 

浜通り農産物供給センター代表理事の三浦さん

浜通り農産物供給センター代表理事の三浦さん

20120615fukusima (10) 新聞でも紹介したが、浜の近くの三浦さんの家に向かう時、「海ですか」と聞いた私の目の前の光景は、一面の水面に島のようなものが点々と見える。それは水が乗った水田、島に見えたのは車体だった。
 「あれがわが家です」、三浦さんが示すその家は二階建て、広めにとられているようなベランダ、窓には白いレースもかかり、遠目には無傷のように見えるが、ここも津波が襲った。(写真上、中央)

 「原発さえなければ、すぐに補修に入れる。住めようにする手立てが打てる。事故以来、放射能で入れないから家も町も朽ちていってしまっているんです」。
と三浦さんは言った。そしてそれは、地震と津波で家が壊滅したらそれも辛いが諦めるしかない。だが、一見無傷のように建つ家に住めない、修復できない、それをこの1年余、見てきているのもさらに辛いだろうと思った。
 地震、津波でも大被害だが、さらにその修復への手を止めている原発事故被災。家も町も、田んぼも酪農も、復興への大きな壁となって立ちはだかっている。

曲がった欄干20120615fukusima (8)20120615fukusima (13)

  南相馬を離れる間際、三浦さんが、岩手大学出身で、岩大うたごえサークルで歌っていたと聞き、ええっ!「きたがわてつさんは先輩です。よろしくお伝え下さい」。まあ!

「真実の勝利のために」を歌う

2012年6月15日 金曜日

松川事件の事故現場、「松川の塔」の前で
「真実の勝利のために」を歌う

事件現場

事件現場

 今回の福島行きは、東京公務公共一般労働組合が毎年夏に行う“闘いの地を訪ねる”旅の下見に同行したもの。昨年は野田醤油争議の千葉・野田から旭市、佐原市、銚子市だった。
 今年のテーマは、5月25日のブログでも触れた松川事件、そして南相馬だった。松川事件は、「日米政府の陰謀事件」と言われ-1949年8月17日午前3時9分、東北本線松川駅北約1.8kmの所で、青森初上野行き下り412号旅客列車が脱線転覆し、大破。機関士ら3人が死亡-、来年が被告20人が無罪を勝ちとって50年となる。

 松川事件の真実を今日に伝える今年の旅である。
 この組合にはコールラパスという合唱団がある。車の中でも現場で演奏するため松川事件の歌「真実の勝利のために」を練習。曲は50数年前、裁判支援の中で仙台合唱団によって作られたもの。まさに、歌は闘いとともに。

石川さん(左から二人目)

案内をしてくれた石川さん(左から二人目)

「真実の勝利のために」を歌う

「真実の勝利のために」を歌う

  フィールドワークで案内してもらった石川信さん(国民救援会福島県本部事務局長)は松川で生まれ育った人。事件当時は小学生だった。同じ学校に犠牲者と犯人にされた家族がいたこと。死刑含めた最初の判決が出されたとき、担任の女の先生が理不尽と泣いたのをよく覚えているという。東北大学に進み、そこで再び松川事件研究会と出会い、以来、事件の真実を伝える運動に携わっている。
 事件現場近くに、1963年、被告全員無罪を勝ちとった記念の「松川の塔」の前で「真実の勝利のために」が歌われた。
 石川さんのわが歌として歌う声がよく響く。
 福島にある松川合唱団は松川事件を歌い伝えるために結成されたが、石川さんはもちろんその仕掛け人である。このことも近くうた新で。

 

福島・田村市の都路混声合唱団

2012年6月15日 金曜日
松平団長(右端)、今泉夫妻(左側)

松平団長(右端)、今泉夫妻(左側)

 福島行きでもう一つ、思わぬ出会いがあった。田村市の都路混声合唱団である。 9日、福島にいる私に小澤事務局長からメール。「武さん(武義和)のブログにこんな記述があります。『(高校時代の先輩が参加している都路混声合唱団)この夜も14、5名の参加者だったが、ハーモニーの美しさと、団員のみなさんの歌に対する情熱には驚かされ、心が動かされた。おそらく原発にもっとも近いところで活動している混声合唱団だろうと思う』。今回は無理でもリサーチしては」。

 ムムム。こういう情報に俄然…。だけど、田村市ってどこ?(すみません)。急には無理かなと思っていた夕食時、同行メンバーの一人(現在争議中)の「『あの空へ帰ろう』に闘う勇気をもらっている」という話から、武さん! と連絡。 武さんの先輩という都路混声合唱団の今泉さんを紹介してもらい、翌日の取材が叶った。
 みんなで行こう、と思ったが、車でそこに寄っているとその日には帰れないとことが判明。私は下車、一行と別れて福島駅から郡山、そこから初めての磐越東線に乗って田村市へ。郡山から下車駅の「船引」までの車窓には美しい緑の景色が広がる。途中「三春」駅を通る。梅と桃と桜が一度に咲くから三春、昨年ばかりは待ち焦がれる東風を怖がったという三春…。

 「船引」駅下車、車で今泉さん宅へ。松平団長にも来ていただいて、合唱団のことを聞かせてもらう。
 「みんなで心を合わせて歌う、これがたのしいのです」という団の話から、「ここから原発までは31㌔」「原発で耕作できないので蛍がとばないのです」。原発事故が生態系も壊していることなど端々に“原発”が語られた。
 それにしても武さんを通してのこの出会い。今泉さんが「そういえば僕らのずっと後輩に、とても歌がうまい青年がいます。武さんに聞いたら、うたごえで仕事をしているとか」。
 それは全国協議会石垣正人事務局員! がんばれ石垣君!
 都路混声合唱団のことも近々、うた新で紹介します。

6/18号発送

2012年6月8日 金曜日

              小室さんのトーク、張りのある声に、
                引き込まれて原稿作り 

  6月8日。6/18号発送。
 この間、印刷所への入稿が遅れ気味。印刷所にはご迷惑をおかけしている。
 毎号、月曜日に紙面割りをするが、今この号で何を、その意図に見合う記事内容、写真も大きな判断材料になる。これらを揃えるのは結構大変。
 今号メインは、大好評と聞いていた小室等さんの全国創作合宿でのトーク&ライブの紹介と決めていた。ベタで起こしておいてもらった原稿を、再度、録音を聞きながら編集していくのだが、おもしろい。今、68歳と聞く小室さんの、張りのある声での演奏はメッセージを確実に届けてくる。この演奏を文字にはできない。ライブで聞いた者の勝ち! それはそうだ、時間とお金を費やして参加しているのだから。
 とは言うものの、より多くの人にその一端でも伝えたいと思うのが、われら編集者。しかし、しかし、紙面の都合上、全体の4分の1に縮めなければならない。その作業、延々格闘した。
  さらにこの号は、急遽届いた福井・斉藤清巳さんからの大飯原発再稼働阻止の必死の訴えと完成楽譜「停まった」は、なんとか載せたい、新聞の日付けでは過ぎているが、6月17日の集会前には読者に届く、と入れた。
 そこうして今号が刷り上がってきたところに、斉藤さんから電話。「あれ、載ります?」「もちろん、今、刷り上がってきたよ」。「ありがとう、集会で配りたい。宣伝紙を」「もちろん」。こんなやりとりがうれしい。

洋菓子店「アレグレス」

2012年6月5日 火曜日

被災地の子どもたちにお菓子を
復興の街の漁業再生に取り組む
シェフ・塩谷茂樹さん

20120608アレグレス20120608塩谷さん  6月5日。
 めまぐるしい仕事の日々の中で、私のリフレッシュは昼食タイム。音楽センターの土屋さん(月1の“スポットライト”執筆)らとダベりながら。が、このひと時から結構、企画が生まれている。きょうの取材もそう。
 土屋さんのご近所、洋菓子店「アレグレス」オーナシェフの塩谷茂樹さんを取材。塩谷さんは3・11以降ずっと被災地の子どもたちにお菓子を送り続けている。一つのお菓子を売った5㌫を回して作る。私も及ばずながら、何本かケーキを買いました。
 シェフはそれに留まらず、ピンポイントで支援する宮城県の漁業の街・雄勝の再生も支援。さらにさらに登校拒否など学校に行かずたむろする青年たちに呼びかけて160人をボランティアに連れて行った。うち2人の青年が漁業に目覚め、雄勝に移住したという。
 洋菓子のシェフがそこまで、それは…。なんと! の連続。これが取材の面白さ。紙面を乞うご期待。
  余談。帰りにはもちろんケーキを買いました。季節の果物がモリモリモリモリのタルトを食した至福の時。「材料は吟味、最高の食材を使っている。だけど、この値段でできるんだ。他はなんでそんな儲けようとするんだ!」と言う塩谷さんのことばにオウッ!

ほたる

2012年6月5日 火曜日

ほたるが
 一つ二つなど、ほのかに
うち光りて行くもをかし

 「アレグレス」、土屋さんの住まいも地名はなんと渋谷区広尾。一等地であります。土屋さんはずっとこの地に生まれ育ち、出身の小学校は目と鼻の先。そしてなんと、この小学校は何年か前に赴任された校長先生が、校庭の片隅に池を作り、蛍を育てられた。以後、毎年、この時期、都心に蛍が舞う。もう退職されたがその校長先生の、アウトドアと自治の教育も、ぜひ取材したい。
  塩谷さんに取材のあと、蛍がよく見える暗くなるまで土屋家でごちそうになって、いざ蛍池へ。
 いたいた。ぽつん、と一匹。やがてまたぽつんと。蛍の乱舞も見事な様だが、まさに「一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」である。一匹の光が結構強い。この輝きを千年昔の人々も眺めた…。
 ここは都心、あたりは神神しいライトがいっぱいだが、聞けばそれを遮る暗幕も施されているとのこと。数年前までは“ほたる祭”が開かれ、土屋さん一家も出演した子どもたちと保護者による能狂言も披露されていたとのこと。すばらしい町づくり、教育。やはり、元校長にも取材しよう!

「世界の歌の現場から」連載のジャーナリスト・伊藤千尋さんはテノールのパートリーダー!

2012年6月2日 土曜日

20120602伊藤千尋さん20120602伊藤さん著作6月1日。6/11号が間もなく刷り上がってくる前に、伊藤千尋さんへインタビュー。今回、伊藤さんにアタックしたのは「世界の原発、自然エネルギーのとりくみ」を知りたいと。なんせ、世界68カ国取材の伊藤さん。昨年、震災問題について寄稿してもらった時も、そのことが触れられていた。そして最近、ズバリ、「地球を活かす 市民が創る自然エネルギー」を出版された。
  “原発ゼロの社会へ”今年のうたごえ新聞は、科学者安斎育郎さん、原発問題住民運動から福井・山本雅彦さん、そして「私のこどもたちへ」の作者、原発問題もテーマに歌っている笠木透さんを紹介してきた、今度は世界の視点で。
 かくかくしかじかと伊藤さんにメール。OK、新宿で、と。(近くて、感謝)。  話が始まると、福島原発事故の後、世界で初めて脱原発を宣言したドイツ。実はドイツはヨーロッパの中でも特に早くから自然エネルギーに力を入れ、この歴史的な転換には40年もの歴史がある、からアイスランド、オーストリア、イタリア、スウェーデン、スイス、フランスでも今。中南米…とポンポンと各国の話。日本でも原発ではなく自然エネルギーにとりくむ地域が、と次々。
  そしてそれはこと原発問題だけでなく、この地域を、この国をどうつくっていくかという在り方、生き方の問題になることなど、いつもながらぐいぐい惹きつけられるお話。
 「おれが原発問題で本を書くなんて、思ってもいなかったよ。でも、世界ではと問われると、この間行った国々で観てきてたからね。で、じゃあ日本ではと調べていくとあるんだな、いっぱい」。
  「それを伝えるのはマスコミの仕事。そうだ、歌もだ。そういう歌が要る!」
と言う伊藤氏に、今、次々作ってますよ、そのうちお耳に、と伝える。この記事も乞うご期待。
  取材を終えたのが午後1時だったから、昼食をご一緒に。そこでもあれこれお話を聞いたが、2時間近い取材のなかでもよく通る声だと思っていると、聞けば、大学時代、東大法学部混声合唱団に所属。その前は詩吟もやっていた。当時、東大にはうたごえの合唱団もあったが、「そうじゃなく、普通の合唱曲やりたかったのと、混声なら女学生もいる、と」と正直。そして、なんと80人ほど居た合唱団のテノールのパートリーダーだったという。伊藤さんを知って20年余、合唱をされていたとは初めて聞いた。

こよなく日本を愛する山形弁研究家ダニエル・カールさん

2012年6月1日 金曜日

20120602Daniel0120120602DanielLecture6月1日。6/11号発送。カラーはやはりいい感じ。
 本当に逃げ足速い日々だ。そう言うと、この号1面のタレント・山形弁研究家のダニエル・カールさんから、「ええっ、足が逃げるの? 逃げ足の速い足ってどんな足? と、きっと日本になれてない外国人はわからないと思うんだな」、と言われそう。
 ダニエルさんが語る「日本に慣れていない外国人のわからない日本語表現5つの特徴」に、なるほど。
20120602Danielさんと箱崎さん この企画は、三多摩青年合唱団の箱崎作次さんが勤める東京都立東村山第二中学校でのダニエルさんの講演「オラが愛する元気な日本」(箱崎さん講演担当)を聞いて、その後にインタビューしたもの。
 「顔が広い」「腹が立つ」「尻が重い」。「直訳できない日本語表現」、わからない、と言いつつ、この比喩表現こそが、歴史と風土に育まれた「日本語の中の宝石」ということばに、震災復興支援にとりくむダニエルさんの「オラが愛する元気な日本」が重なる。
  講演、インタビュー後、駅までの帰り道、全国での講演エピソード、参加者からダイレクトに「ライバルは?」と聞かれて「デーブ・スペクター、なんてな」と大笑いするダニエルさん。風評被害に抗議するダニエルさんに、インターネットはにぎやかに書き込みがある。風評被害に闘うバイリンガルカルチャー、がんばれ!