2012年5月 のアーカイブ

「信長貴富さんの記事にあった”友人”は僕、です」:沖縄出身・劇作家の平良愛香さん

2012年5月25日 金曜日
松本善明さん

松本善明さん

  一カ月余の空白だったこのブログ。ちょこちょことは書いていたけれど、取材・新聞発行に追われに追われ、アップに至らず。
 とは言っても取材以外にも、あれこれ、耳に入る情報に飛んでいっている私ですが。この間、18日は、「松川事件」(1949年8月17日、福島県松川町を通過中の東北本線上り列車が脱線転覆。この犯行が国鉄労働組合員とされた)について、この被告にされた労働者の弁護団一員だった松本善明さん(元国会議員)にお話を聞きに、埼玉・所沢へ。いわさきちひろさんの夫でもあった。「松川事件は謀略事件」と7月にその本を出版される。

愛香さん。前髪を辺野古基地建設計画が白紙撤回されるまで切らないと!

愛香さん。前髪を辺野古基地建設計画が白紙撤回されるまで切らないと!

 25日夜は、沖縄の話が聞ける、と絹の道合唱団片山操子さんのお誘いで赤坂へ。初体験の火鍋料理を囲んで、沖縄出身・劇作家の平良愛香(たいらあいか)さんにお話を聞く。
 まず、“火鍋料理”、真っ赤な唐辛子がいっぱい泳いでいる鍋は疲れ気味な身体に刺激的。
  平良愛香さん、男性です。私もお目にかかるまで女性か、と。1968年生まれ、クリスチャンの両親がつけたこの名前は本名。「沖縄に米軍基地があるということは、ベトナム戦争の時代がそうだったが、沖縄から米軍機がベトナムに飛んだ。加害者にさせらることへの負担。新し加害者になりたくない…」。沖縄からの視点に聞き入る。これを第1回に愛香さんからはもっとお話を聞き、紙面で紹介したい。 
 話の間に、「この前、うたごえ新聞に出ていた作曲家の信長貴富さん、僕の友だち。文中にあった『友人から絹の道合唱団の演奏会のチケットをもらって』とあった友人は僕です」にええっ。なんと世間は…。

石巻日(ひ)日(び)新聞・武内報道部長の話にギラギラ、メラメラ

2012年5月25日 金曜日

 本日発送の6/4号、1面は石巻日々新聞・武内宏之さん。この新聞は宮城県の石巻市、東松島市、女川町の2市1町をエリアに発行する夕刊紙で、昨年もテレビで採り上げられ、今年3月6日にもドキュメンタリードラマ「3・11 その日、石巻で何が起きたのか? 6枚の壁新聞」が放送された。
  震度6強、社屋浸水。電気が泊まり、輪転機も動かなくなった中で、電気復旧までの6日間、手書き壁新聞を出し続けた。「それを可能にしたのは創刊100年の石巻日日新聞のDNA」には感嘆した。
 大正時代の創刊から一度も「発行できなかった」という日がない、という。もちろん何度も発行の危機は訪れた。その一番は戦争中。紙が少なくなり国の統制で一県一紙となり、宮城は河北新報に統合されることになった。しかし、日日新聞は出し続けた。とうとう紙の配給が止まった時、各自が家から模造紙などを持ち寄り、出し続けたという。「この歴史を、創刊100年を来年に控えた今、止めたくない」と3・11の夜、電気が止まった暗い社屋で、「一人の女性記者が言った時、私はうれしかった」と武内さん。新聞人の魂が熱く伝わった。
 今はもちろん震災で亡くなった人も多く、部数は減っているが、震災前は2市1町で震災前は1万4000部を発行。従業員28人、という。うたごえ新聞社は…、と話を聞きながらしばしすうっと、別のことを考えていた。
  講演が終わっても武内さんのこのことばがずっと心に響いている。
 「小さな田舎の新聞社が何度もテレビに採り上げられ、電気が止まった中で手書きで出した壁新聞が、世界的な記録として残される新聞の博物館、ワシントンの『ニュージアム』(NEWSEUM)に保管されるなど、3・11まで思いもしなかった。それが大震災ゆえだったことに複雑な思いです。食住衣に必死だった震災当時から1年が経ち、朝は元気よく通学する子どもたちの姿、笑い声が聞こえ、少しずつ町は回復してきています。が、今、亡くした人、家、仕事の現実にも向き合い、目に見えない心の回復へ、これからが新聞の正念場です」