2011年12月 のアーカイブ

仕事納め

2011年12月29日 木曜日

12月29日。髪も逆立つ新年号製作を挟んだ年末も、あかつき印刷さんへの印刷代を支払いを終え、後は大掃除で仕事納め。原稿や連絡事項と仕事を抱えながもまずはしばし休暇へ。
 その前に、私は大掃除はパスさせてもらい、“オペラシアターこんにゃく座創立40周年と林光さん80歳を祝う会”へ。10月22日、80歳の誕生日を病院で迎えられた林先生。一日も早いご回復を願っている。

みなさん、よいお年をお迎え下さい。

核に向き合ったこの1年 年末に読んだ大田洋子「屍の街」

2011年12月27日 火曜日

屍の街 (平和文庫)  12月27日。文学仲間と例会&忘年会。とりあげた作品は大田洋子「屍の街」。
 この仲間もみんな忙しくても、例会の日だけはなんとしても確保して集まる。 「屍の街」。原爆投下直後から数カ月、被爆者を襲った状況がリアルに描かれている。装飾語は少なく、事実を切り取る鋭い目が現代に深く、原爆が奪い、犯していったものを伝える。
 「ほとんど外傷のない人が、ひょんと死ぬのは八月二十四日後から」「縁側にすわる青年は老人のように髪は抜け、焼き茄子のような顔色、目のまわりは青インクでくまどったように…」「みんなうつろで心をうしなっている」…。
 3・11の後、一つ一つ受け止め方が違う、とは一同の感想。
  核兵器と核エネルギー、この二つをどこかで区別していたおろかさを知らされた東電福島の原発事故。いかに危険なものと隣り合わせていたのかを日々知ることと合わせて一年を刻む一冊となった。

2012年新年号は憲法と震災復興をメインに

2011年12月24日 土曜日

12月23日。2012年新年号発送。
 “原発ゼロの社会へ”の特集。“うたづくり”入選詞の発表、選者のコメントと一方ですでに全国で歌われている“つぶてソング”の作曲家新実徳英氏へのインタビューと「詩の礫」の和合亮一さんへのショートインタビュー。青年・新春ず~むは大阪からと、ちば祭典を成功させた千葉から。荒木栄特集などなど。うん、満載、と自画自賛。同時に満載にできる全国から寄せられる情報・原稿にも感謝。

幻の大島憲章を訪ねて大島取材

2011年12月24日 土曜日

 この号は、1年と12面のフロントを“大島”で特集した。
 来年、東京・関東うたごえ交流会が7月、伊豆大島で開かれる。そのための準備をしている東京のうたごえ協議会事務局長の大熊啓さんから、雑誌で見つけた「大島憲章」のことを聞いたのがこの取材のそもそもの始まり。
  その資料をみせてもらうと、なんと現在の平和憲法日本国憲法ができる前に、大島にも平和と主権在民、議会制民主主義を明記した23条からなる憲法が作られていた。この事実に驚いた。現憲法制定過程では東京の五日市憲法など民衆の憲法草案が各地で作られたことは知っていた。が、今ならジェット船で行けば竹島桟橋から大島の岡田港までは1時間45分だが、戦争直後の当時、100キロ余離れた大島に、どのように不戦、人権、民主主義の精神をいかすという気概と条文がつくられたか、どういう機運があったのか。とても興味を持った。
 大島に行こう! 町長さんにもお会いできる段取りを大熊さんや地元大島の読者飛永柳子さんや岡野尚江さんにとってもらう。憲章を見つけたという藤井伸さんにもお会いできないかというと、それも叶い、いざ! 大島へ。

               大島憲章を見つけた藤井伸さん

20111230藤井さhん 大島について、まず藤井先生宅に行くと、飲み物を買って戻る先生に会う。「家内が伏せっているのでお茶を」と。大島憲章は1997年、高校の教師だった藤井さんが見つけたことから今に知られることとなった。郷土の歴史・文化に関心を持っていた藤井さんは、当時、大島町がとりくんだ町史編纂委員として、そのために町民から寄せられた民具や書を集めた収蔵庫で一つ一つ調べていた。
 「編纂委員と言ってもね、役場の1人と私だけ」と藤井さん。そして、そこから憲章の原本を木製の石油缶が2本入る箱から見つけ、“ゴミ箱”と書かれた中から、憲章製作の記録、書き損じの紙などを見つける。
 その時どう思いました、と聞くと「大島憲章のことは話に聞いていたから、すぐにそれとわかった。平和、主権在民などの条文を読んで、大島に住む1人として、うれしかった」。このことばがうれしかった。
 執筆は、当時の町長、青年団長、大工の「マサ」…、最終的には7、8人か当たったという。原本や書を藤井さんはすべてコピーをとって、役場に提出した。1997年、このことを知った朝日新聞は「53日間、幻の大島憲章」として大きく取り上げている。「53日間」の意味はうたごえ新聞参照。
 しかしその後、町役場はそのことに関心は薄かったらしく、今、原本の行方はわからない。藤井さんがとったコピーが唯一現代に伝える貴重なものとなる。

                   憲法と震災復興がつながった
                   川島大島町長取材

  午後は役場で川島町長に取材。
  町長室は西側で窓には真っ赤な陽が海を照らしていた。
  「大島憲章のこと、作った人たちのことは町としても伝えていきたい」と語る町長の話が3・11に及んだとき、「大災害が起きると離島は孤立する。離島の復興支援にパートナーシップで息長く支援を続けていく」というお話を聞いて、憲法の精神と復興支援、防災の町づくりがつながった。

                   各地の芸能が寄る大島

20111230波浮の港20111230波浮の港歌碑 藤井さんも語られたが、町長も大島は日本三大航路の一つ、波浮の港には全国からの船が寄り、そこに各地の民謡が残されていった。「私も7月の交流会では手踊りも」と川島町長。芸能の豊かな島であることも今回の取材で知った。
 20111230みなとや旅館波浮の港には「波20111230かつて栄えた港浮の港」の歌碑、川端康成の20111230伊豆の踊り御主演者たち0220111230伊豆の踊子主演者たち01小説「伊豆の踊子」の舞台となったみなとや旅館に歴代の映画「伊豆の踊子」の写真パネル、波浮の港を埋めた漁船の群れを映した写真も飾られていた。

 

 

 

  
                  夜のうたう会

20111230大島の人たちと  夜は、元大島うたう会のみなさんらと7月の東京・関東交流会のうち合わせとうたう会。そこで聞いた「あしたぼ」に見せられた。橋本光さん作詞のこの歌をまさに自分たちの歌として誇り高く歌われるその歌声から希望を持って進む息吹が伝わってきた。ギター伴奏しながら歌う大熊さんと新年号紹介曲はこれ、と。 7月の交流会に向けて、また大島にうたう会が根づいていったら、そんな希望も感じされた大島取材。三原山を中心にジオパーク、大島椿…、歴史と芸能の大島は注目。

20111230三原山でs20111230みなとや旅館