2011年8月 のアーカイブ

ちば祭典よびかけ人 千葉労連松本悟議長に取材

2011年8月27日 土曜日

20110827松本議長  26日は午後からは、松本議長にインタビューで千葉へ。うた新事務所から往復2時間半。しっかり新聞が読める。

  労連事務所を訪ねた。

  「松本議長の話はおもしろい、パワーある話が聞けるよ」との事前情報の通り、話を聞いていると元気になる。

 だが出だしは、「いや別に、とりたたてて話すことも」、すわっ、どうしよう。しかししかし、大震災と労働者の状況、原発問題になると、「今、歴史の分水嶺、おもしろい時代です」「勝利の秘訣は団結と統一」「千葉は…」と骨太い話、話術に惹きつけられる。

  「生まれも育ちも千葉ですか?」「私? 私は麿(です)」。ここで私は爆笑。失礼。麿つまり、京の都の公達。私は奈良蟻の会合唱団の今正秀さんのことを勝手に「麿」と愛称している。奈良住まい、常任委員会でもその落ち着いた語り口調は宮の公達の風情がある。「麿」に千葉労連で出会うとは。

 松本議長は京都出身、農業普及改良委員の資格を取得し、千葉で採用された。高い山がなく緑色が覆う千葉の地図に、草原かゴルフ場の地かと思った。そして、千葉で40年、前日も音楽物語「花とふるさと」の演奏を聞いたという松本さん。房総は房総は亜熱帯で冬も霜が降りないから花が育つのです。温暖な大地と海に囲まれた千葉は…、とこよなく千葉を愛する松本議長が祭典呼びかけ人、力強い。

 

20110827遠藤久江さん  祭典で演奏する「花とふるさと」のソロをする遠藤久江さんが、労連事務局につとめている。議長へのインタビューの後、遠藤さんにも取材。元中央合唱団常任、演奏グループアンサンブル・ケーナのメンバー。今は、サークル指導にあたっている遠藤さんの紹介は紙面にして、「そういえば双子の綿ちゃんと紅ちゃんは元気?」と聞くと、「今年29になるわよ」。時の流れに卒倒しそう。

9/5号 紙面に書けなかった話

2011年8月26日 金曜日

  8月26日、もううた新の日付けは9月の号。9/5号本日発送。この号は矢臼別平和盆踊りのことを書いた。今月初めに取材して、夏休みもあったのに…、この原稿も締め切りのぎりぎりになってしまった。もう待ったなし、夜半一人うた新で原稿に向かう。夜も更け、音楽センター会館は…。幸いこの日は、館内にあるフリーダムスタジオの電気がついていた。

 都会のどまんなかでも一人は怖いのに、紙面で紹介のように少女のような渡辺さんが原野で一人で暮らしている…。  紙面で紹介できなかった。いくつか。 

 その1、緑の牧場の中の渡辺佐知子さんの住まいと暮らし 

20110827佐知子さんの家20110827佐知子さんの牛 平和盆踊り最終日、会場の撤収がされていくため、三宅先生への取材は渡辺さんのお宅でさせてもらった。原野で一人住む渡辺さんの住まい、にも関心があったのですが。矢臼別も暑かったこの日、緑の牧場からさわやかな風が白いレースのカーテンを揺らす。コースターに置いた冷たいお茶もごちそうになる。

 佐知子さんの生活は、朝早く起きて散歩と畑の手入れ、2頭の牛の世話、朝食、メールをチェックして、酪農ヘルパーに出る日は出勤。帰ると通信や連絡…。

  渡辺さんの両親は札幌に。お母さんが「広島の被爆者です。生ある限り平和を伝えていきたい」と前夜祭でも元気に話された。佐知子さんがここで一人暮らすことに反対はしなかった、「今は別荘感覚で時々、遊びに来ますよ」と佐知子さん。恐がりの私とはまったく違うDNA。

 

その2、懐でっかい三宅信一先生 

 川瀬氾二さんと半世紀ともに活動し、川瀬さんの遺稿集「矢臼別の馬飼いと自衛隊」をまとめた三宅信一先生、融和で懐でっかい人。「大陸育ちだよ」。生まれは岡山だが、終戦を朝鮮、今のソウルの南大門の近くで迎えた。引き上げて、師範学校に行き、もう少し勉強がしたい、と当時の釧路教育大へ。「岡山から釧路だとかなり覚悟が要るだろうが、朝鮮から比べれば遠い感覚はなかった」。

 退職後も記事に書いた通り、この地を希望を持って住める地に、とスケール大きく長いスパンで“根を広げる”活動にとりくむ。

  ちなみに今年の日本のうたごえ祭典inちば運営委員長の塙治子さんは、先生の教え子。先生の奥さんの小学校で教育実習し、旧姓は「田鎖」という珍しい名字だったこともあり、「よく覚えているよ」。

 「矢臼別の馬飼い…」を出版早々、私に勧めたのも塙さんだった。そう、矢臼別の闘いがよくわかるこの本はお勧め。先生曰く「今年6月に1000冊出版して2刷りに入り、それも残数わずか。私が本を出版して増刷は初めて体験だよ」と笑う。

 

その3、国際政治学者、88歳の畑田重夫さんも参加。

20110827畑田さん20110827沖縄と連帯  今年2月発行の季刊「日本のうたごえ」に登場の畑田重夫さんも矢臼別へ。お元気。ここでも「政財官学報」攻撃の話(?という方、季刊を読んで)、3年後の第50回矢臼別平和盆踊りは、日本平和大会と一緒に「私もその時はまた元気に参加したい」に大きな拍手。その時、先生は91歳。楽しみ。

  日本中から米軍など軍事基地をなくそうと開かれる平和大会。平和盆踊りで、「沖縄県民の叫びに北から呼応しよう」と書かれた文字があちこちに。沖縄に集中する米軍基地、在沖縄米海兵隊の実弾射撃演習矢臼別移転の背景にある1995年の沖縄の米兵による少女暴行事件、沖縄県民の怒りと全国の抗議運動があり、沖縄との連帯が強調されている。

 

その4、初めての味 おいしい牛乳豆腐

20110827バーベキュー  最終日、何も手伝っていないけれど「ごくろうさん会」の昼食会にまぜてもらう。食事は地域の女性たちが用意。「大勢の人が集まる時のための、レシピがあります。でも、カレーや豚汁を出したらこの暑さの中、怒りさえかいかねないと考えました!」と用意されたのは手巻き寿司。この心配りに感嘆。

 合わせて出された牛乳豆腐、チーズ…。その牛乳豆腐のおいしさ、食感は厚めの生湯葉、少し醤油をつけて食べるとかすかにひろがるチーズのコク、絶妙! 

 まだ残っている、買って帰りたい、と申し出ると、全部持っていきなさい、とラップに包んで、さらにできたてのチーム、ハスカップジャムも!!!!感激。

 くださったのは、「マイペース酪農交流会」を広げている高橋昭夫獣医。三宅先生が、その通信を見ると活動がよくわかるから送ってあげて、と言ってくださり後日、高橋獣医から通信が届いた。そこに「うたごえ新聞、懐かしい。最近号を見せてください」とのお手紙、さっそく、刷り上がりをおくる。

 

 合唱団アンラコロの伊藤俊雄団長の別荘での前泊含め、ぜいたくな日々だった。

20110827D型ハウスちなみに2泊目は、少し小ぶりな体育館のような川瀬牧場D型ハウスの一つ。一階が男性、二階が女性の宿泊場と聞いて夜半遅く、北海道のうたごえ事務局長大塚園子さんと二階の空いてる布団で寝た。夜中に豪快ないびき、クスッと笑った。が、なんと、今回は二階の手前と奥で男女が仕切られ、私たちがもぐりこんだ所は男性のスペースだったあ!!!

JAL解雇撤回客室乗務員 原告団団長内田妙子さん

2011年8月20日 土曜日
内田さん、胸のバッヂは争議支援バッヂ

内田さん、胸のバッヂは争議支援バッヂ

8月19日。夏休み返上、内田さんにインタビュー。

 JALの闘い支援、「あの空へ帰ろう」の大きな歌声を、ここでは一つCCU委員長に、とお願いした。この日は「契約制CA雇い止め不当解雇撤回集会」の前に。「(何度も歌って来た)『あの空へ帰ろう』、この間、石川での私たちの支援のつどいで女性の方たちが歌ってくださったのを聞いていたら、涙が止まらなくなりました。〽あの空へ帰ろう きっと帰ろう…、のところでグッときて…」

 このことばに、聞いている私も、日航労働組合の地元として同席した南部合唱団の大井団長もグッときた。

 しかし、ILOにも実状を訴え、国際的にも支援の輪が広がっている。裁判は9月13日、稲盛会長の証人喚問が行われるなど、裁判のテンポが早い。「勝つまで闘う」と最後はきっぱり語る内田さん。インタビュー記事も乞うご期待。

夏休み、前半終了

2011年8月17日 水曜日

故郷・岐阜の発見! 
造り酒屋が食と音楽の空間に

岐阜の家にあった風船かずら

岐阜の家にあった風船かずら

   8月17日。夏休みの前半は、母の病状が心配で早々に郷里岐阜へ。

 「病院では、さわがない。静かに話す。歩くときは忍者のように静かに静かに」、小学校1年生と幼稚園のひ孫たちの「お見舞心得」爆笑する母はいたって元気で一安心。夜中に発作が起き、救急車で運ばれたのだけれど、弟夫婦が同居していて心強く、感謝。

  安心して久しぶりに高校時代からの友人たちと会う。彼らが連れて行ってくれたのは、造り酒屋を改造した食事処。大きな古民家の土間を改造した座敷、その一角でトランペット、ギター、尺八などなどの生演奏で「上を向いて歩こう」、「アルゼンチンタンゴ」から箏曲「春の海」とイロイロイロイロ。

20110816布武  オーナは、音楽が好きで地元の音楽愛好家に演奏スペースを提供している、店の名前は信長の政策「天下布武」からとって「布武」とのこと。最近改装した岐阜駅には金々キラキラの織田信長像が建ったりして、ちょっと恥ずかしい気持ちで眺めていたけれど、いいお店につれてってくれた、と友人に感謝。

 しかし、「戦国武将」には事欠かない岐阜、NHK大河ドラマの舞台にもよくなるので、それにあやかった○○まんじゅう、○○漬けの類は多い。今度は「お江」の姉が住んだという尼寺がにわかに有名になって、なんでもそこにはお江の手紙がある由。次から次、よく探してくる、と関心。

川瀬氾二さんも岐阜出身!

2011年8月14日 日曜日

20110816矢臼別  今月初めに取材に行った北海道・矢臼別。その原稿は夏休み中の宿題で、今回帰省の行き帰りに、その矢臼別の人、北海道の開拓民、矢臼別の自衛隊演習場のど真ん中で、自衛隊に土地をあけわたさないと生き抜いた故・川瀬氾二さん著「矢臼別の馬飼いと自衛隊」を読んだ。なんと、川瀬さんが岐阜出身の人だったとは。本籍地は岐阜県羽島郡、北海道に渡るまでの記述には、私がよく聞いた、知った岐阜の地名がいっぱい。

プロのオケと声楽家の歌声に酔い

2011年8月14日 日曜日

8月14日。

            岩本達明指揮で日本のうたごえ祭典合唱団も聴き応え充分!

連日、震災復興・闘い支援のコンサート。8月14日は、ちば祭典1日目の会場、千葉・市川市文化会館での“響け・いのち・平和 チャリティコンサート”へ。震災復興と、現在係争中のJAL争議支援、新国立劇場合唱団解雇に団交を申し入れている声楽家八重樫節子さんの支援。プログラムは、さの八重樫さんとちば祭典に出演の声楽家奥野真理子さん、ニューフィル千葉、そして、日本のうたごえ祭典合唱団80人。

IMG_6748 八重樫さんと奥野さんの二重唱(歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』より)、なんと贅沢なひと時。ここにニューフィル千葉が加わって「ウィーン、わが夢の街」。そして第二部の、うたごえ祭典合唱団の「ふるさとの山影」「あの空へ帰ろう」「人間の歌」は、指揮の岩本達明さんのいつもながらの、歌い手の声をぐんぐんつかみとっていくような指揮とあいまって迫力ある演奏で、タイトルがくっきりと浮かびあがる。ちば祭典への確信ともなった。

IMG_6775  合唱では、楽譜に書かれた曲がその曲が本来持っている音楽を表現しきるということあらためて感じ、そう伝わった今回の演奏、そこにはなにが…、と二次会で岩本先生に聞いた。岩本氏いわく「リハの時、曲のことこの間の、と少し話すと声がガラッと変わっていった。震災から五カ月、歌い手のみなさんがそれぞれ感じていること、想いが声になっていったと思うとのこと。それを引き出す岩本氏はやはりすごい。

  こんなすてきな内容なのにお盆の初日という日程がよくなかったのか、客席が半分だったのは残念。

 しかし、実行委員長あいさつで、実行委員長の東京公務公共一般委員長中嶋祥子さんが、「私もこの市川真間の住人です」と話したことから、「実は市川真間は音楽発祥の地で」と声がかかり、うたごえ新聞8/15号(終戦特集)は、その市川真間ままから出発したかつての軍郷・市川の戦跡めくせり…、などなどロビーでの会話からまた新しい出会いが生まれた一日だった。

  うたごえ新聞第5週目休刊にあわせて、明日からうたごえ新聞社、夏休み。まずは、先月、心臓発作で入院した母が無事、生還。見舞いを兼ねて故郷・岐阜へ。

コンサート「未来(あした)があるさ」

2011年8月12日 金曜日

 この日は、その足で新宿南口行動から、東神奈川のかなっくホールへ。

 JR不採用差別事件支援感謝  JALの不当解雇許すな! 東日本大震災被災者復興支援のチャリティコンサート。

 23年の国鉄闘争が昨年、国鉄分割民営化の時、採用差別された1047人の職場復帰の課題を残しつつ、全体としては和解決着した。23年、あまりに長い。各地での支援のお礼採用差別・報告集会やコンサートが開かれているが、この日、は在京の国鉄のうたごえサークル・合唱団4団体で、タイトルのコンサート。

福島からの斉藤さん

福島からの斉藤さん

 演奏は、23年の想いを切々と伝え、風刺も交えて聞かせた。そして今、心にしみたのは、国鉄のうたごえ、福島・三春駅の斉籐嘉一さんが歌った福島・三春を歌う歌。三春という地名は、桜、桃、梅の花が一斉に咲くことからつけられた。三春のことはうたごえ新聞でも紹介したが、東電福島原発事故により、その美しい三春で、三人の自殺者を出してしまった。一人は農家、一人は酪農家、そして年老いた身、「あの世の仮設に行く」と逝った老婆…。コンサートは演奏に合わせてステージのスクリーンに写真が映し出され進められたが、花が咲き誇る鮮やかな三春の春の映像が一層、そのむごさを伝える。

 このコンサートでの?。コンサートのタイトル「未来(あした)があるさ」にかけて「明日があるさ」(替え歌)が歌われたが、スクリーンに津波に襲われた被災地の写真が映し出されて、すぐに「明日があるさ」の歌だったが、これははとても唐突に感じた。「未来(あした)があるさ」と進むには、聴衆の心もそう持って行って欲しい。まだいくつもの、今知らなければいけないこと、知ること、感じ合うこと、行動することをともに伝えあわなければいけないのではないか。コンサートの運びだけではなく、そういう伝え合い、わかり合いが、今、大事だと思う。

 

              公家ちゃんと握手、
    返す力強い握力がうれしい

  このコンサートの最後、着席最前列に座っていた一人が舞台に呼び寄せられた。それが国鉄横浜うたう会、国鉄のうたごえ議長の公家進さんだったことを私は後で知った。すでに伝わっているが、公家さんは先月20日、脳梗塞で倒れ、現在、リハビリ入院中。この日、舞台に立たない(演奏しない)ことを条件に初めて、外泊を許されたのだという。

 実は、公家さんが倒れる数日前の常任委員会のおり、頼んでいた国鉄闘争の資料が、公家さんから頼まれた、と同じく国鉄横浜うたう会の岡本さんから送られてきた。なんと、必死の闘病のなかで気にしてくれていたんだと、申し訳なく思っていた。

 終演後、「公家ちゃん!」と駆け寄り、握手すると返す握力は強い。「こっちはいいんだけど、こっち(左手)はまだ麻痺が」というその左手の力があった。よかった。

 資料を頼んだ先月の常任委員会の時、公家さんは国鉄闘争の終結にあたっての発言のなかで、一遍の詩、里檀さんの「銀の梢に金の…」(2010年度国鉄詩人賞)を紹介した。末尾に「国鉄から解雇された一〇四七名の闘いに寄せて」と末尾に添え書きされた詩には、この中で亡くなった国鉄労働組合員60人全員の名前と年齢が書き込まれている。「漸く見えた果実を共に手にするために、そこへ彼らを連れて行くために…」。書かれたのは昨年2月。

 この6月、JR各社が出したの回答で、国鉄労働組合は1047人の採用への闘いも集結させた。たしかに23年はあまりに長い。が…。くやしい。当の国労は私など及びもつかないくやしい想いをしているのだが。

 

JAL不当解雇撤回、 新宿南口行動で

2011年8月12日 金曜日

20110812JAL02  8月12日夕は、JAL不当解雇撤回裁判アピール行動で新宿南口行動へ。

 5時半開始。宣伝カーの上から原告団の訴えはまず「26年前のちょうど今頃、JAL123便の事故が発生…」と520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機墜落事件のことが話された。このブログにも書いたが、御巣鷹山では未だに犠牲者の骨や遺品が出てくるという。

  犠牲者への追悼のこの日、演奏はなかったが、東京のうたごえは「あの空へ帰ろう」の横断幕を持って参加した。

           内田妙子さん(客室乗務員組合委員長)へ取材アポをとる

20110812JAL あの飛行機は事故が起こる少し前、尻もち事故を興していた…、安全軽視の体質が生んだ日航機事故と今回のベテランの労働者を「整理解雇」する体質…と訴える。何人かの原告団からの訴えのなかで、私は客室乗務員組合委員長の内田妙子さんが訴えを終えて、宣伝カーの上から降りてこられるのを待ち受けて、取材のアポをとる。

 1月の航空連の集会の時の、内田さんは日航闘い支援の歌「あの空へ帰ろう」を「この歌は私の持ち歌」と言われていた。闘いと今の想い、ちば祭典へなど聞こうと思う。内田さんは、行動や会議で予定がいっぱいの手帳を長めながら、「では」と19日に時間をもらう。私の夏休み中、いやいや、そんなことは言っていられない。19日を楽しみに。

「林光・東混八月のまつり」 引きこまれた「黒い歌」の「ユー」

2011年8月10日 水曜日

  毎年、このコンサートを聴くことが原爆犠牲者への追悼、そして核兵器廃絶への意識を新たにすること。

 そして、毎回、コンサートの最初の林光さんのことばを聞くのも楽しみ。今年(8月9日、第一生命ホール)は、陸前高田の松を拒否した京都の大文字焼き…の話からだった。「…木の札や紙にねがいごとを書いて燃やしてのみ、願う風習、このコンサートもねがいごとのひとつ…」。「陸前高田・松原の松の枝が京都の大文字で燃えることを願ってやみません」。(その後、京都は撤回した由)。

  今回、強烈に残った曲は「黒い歌」-混声合唱のための、の2曲目「ユー」。「北米合衆国の公民権運動の頂点としての1963年ワシントン大行進」に触発されて1964年書かれた「黒い歌」。「次ハ火ダ」「ユー」「パトリス」の3曲の2楽章「ユー」は、ただ「ユー」ということば(というか)だけが繰り返される。解説に「〈ユー〉は、友愛の友であり遊であり融和の融でありYouである。世界がそれらのユーで満たされる日が一日も早く来ますように。」

 声の響きの中に、喜怒哀楽が入り交じり、音にたぐられ自分のストーリーで聞いている感覚。そして、照明がなんと自分の感情にぴったり合っているのに驚く。音だけでこんなにドラマを感じることは、めったにない。音の深さ広さをかんじさせてもらった。

北海道・矢臼別平和盆踊り取材 カルチャーショック その1

2011年8月9日 火曜日

               歌、音楽あふれる平和盆踊り

 

20110811和盆踊りうたごえステージ  8月5~7日、矢臼別平和盆踊り大会の取材で北海道・矢臼別へ行ってきた。釧路も矢臼別も初めて。やあー、本当に広い根釧原野を車でびゅんびゅん。

 矢臼別平和盆踊りは、“日本一広い”自衛隊演習場のどまんなかで自衛隊に土地を売らず、演習反対を闘ってきた川瀬氾二さん(2009年死去)らの闘いを応援・共にたたかう集いとして今年47年になる。本人はそう呼ばれることを嫌ったという「反戦地主」川瀬氾二さんは有名だ。川瀬さんが建てた「自衛隊は憲法違反」、憲法前文と第九条を屋根に書いたデイ型ハウスが並ぶ土地で、毎年8月の第1土曜日と翌日曜日に開かれる矢臼別平和盆踊りが今年47回を迎えた。

 例年この模様は、釧路の合唱団アンラコロから伝えられるが、今回は、この盆踊りで、そして9月10、11日、釧路で開催される北海道のうたごえ祭典で、新たに作られた矢臼別の闘いを歌う合唱構成が上演されることもあって取材に。

20110811花火  合唱曲のこと等、詳しくはうたごえ新聞で紹介するが、前夜祭から本番まで、とにかくトランペット、笛、郷土芸能、合唱、ソロと歌・音楽があふれる前夜祭からの3日間だった。かがり火が燃える盆踊り、デコレーションや仮装も楽しい。「北海盆唄」の太鼓には、腕がうずうずという感じで、岩見沢合唱団こぶしの菅原さんや旭川の堀さん(共に国鉄のうたごえ、国鉄分割民営化で東京へ。定年で故郷に戻って活動)がバチを握った。

 司会もつとめた菊池哲史さん(中学校教師、シンガーソングライター)の矢臼別の歌は何度も聞き、一緒に歌い、帰ってからもつい口をついて出て、3日間の情景を思い起こしている。