2011年5月 のアーカイブ

なんと6/6号に大作家 夏樹静子さん!

2011年5月28日 土曜日

  昨日発送の6/6号、ここには作家の夏樹静子さんからの特別寄稿を掲載。

 森村誠一先生に紹介をいただいた「東北大震災に想う」の連続特別寄稿その2。森村氏、夏樹氏、共に超という字がつく多忙な方、森村先生の推薦あればこその寄稿である。世の中の動きを見る、聞き取るそのキャパシティの深さ、大きさが、人の心を捉える文章を書く力。夏樹氏の原稿を読んで思う。

 掲載できたことはとてもうれしい。だが、ひとつ心配なのは、お借りした写真のこと。おそるおそる電話して写真をお願いすると、すぐに送って頂けた。が、モノクロだった。カラーにしたく、また、「服の色は何色でしょうか」と聞くと「ブルーと赤」とのことで、「ではそうさせていただきます」と電話を切ってから、ブルーといってもどのブルー??? しかし、お忙しい先生にまた電話するのはとても気が引けて、準備を進めてしまった。最近の印刷はカラー化も可能。印刷所も考慮した配色は、ブルーというより紺に近い。えっ、どうしよう。でもブルーと赤にするとなんだかしまらない。この方がいいか、と印刷GO。こんな色じゃあ、とおしかりを受けたらどうしょう。原稿に感謝しつつ、今は、心配。 

岩本ワールドに門前の小僧も引きこまれ

2011年5月22日 日曜日

IMG_5405  5月22日。東日本合唱講習会2日目の午後、ちば祭典合同曲があり、まとめの部分だけを聴きに行く。岩本達明さんの「人間の歌」「Great Journey」2時間半。音楽が立ち上っていくエネルギィシュなその指導に、ひきこまれっぱなし。

ソプラノがとてもいい響き。最後の通しではもううっとり。 

  終わって、岩本先生にコメントをとる。そのなかで言われたこのことばが深い。今回、東西での合唱講習会を指導した岩本氏。

 「東は西に比べて最初、声が暗かった。それは震災の影響を西より深く受けているからだろう。しかし、暗いだけでは次に進めない、乗りこえることをまず自分たちが歌おうとやっていって1日目と2日目、声がガラッと変わった」。

IMG_5380 暗い気持ちになっている、ならばここからと創りあげて行かれるその音楽づくり。「逆に西は最初から明るくよく声が出ていた。そうすると、『今、世の中は…』と。すると深い声が出て来て…」

  その指導力はやはりさすが。そして岩本氏が言われた「共感」。なるほど…、これは6/13号を。

 指導者の楽譜の読み取り方、ことばでどんどん音楽が引き出されていく。「門前の小僧、経を読み」とまではいかないが、門前の小僧も、楽しい。

  岩本先生にコメントをとった時間は6分ほど。なのになのにそれをまとめると、結構長い一つの原稿ができあがるではないですか。講習の中身も同じように濃密ということ。

上尾市職員9条の会、阿久戸光晴氏(聖学院大学学長)の講演とてっちゃんコンサート

2011年5月21日 土曜日

 5月21日は、埼玉・上尾市職員9条の会の、講演とコンサートへ。

IMG_5319 一カ月ほど前、埼玉東部合唱団レインボー指揮者の依田保之さんから、ぜひうた新で紹介できたらと、阿久戸光晴氏のことを教えてもらった。それでこの日、阿久戸氏の講演ときたがわてつさんのコンサートが行われるこの催しに出かけた。阿久戸氏の講演は、今回の大震災を経験した上での、共に生きるまちづくりと憲法についてだった。わかりやすい。そしてなんともあたたかい口調に心まであたたかくなる。

 実は震災後、文化のまちづくりのテーマでうたごえ新聞の企画を考える時も、震災を抜きにしては考えられなくなっている。震災の前も後もその指針は変わらない、はずだがなにかがやはり違う。そのところに阿久戸氏のお話は根が下ろされている。ぜひ、うた新で紹介したいと講演後、依田さんの案内で控え室に行き、趣旨を伝えると、「人の心を結ぶ歌の力…」と話される。なんと。講演そのままでも充分伝えたい内容だが、ここに歌・音楽を加えて頂こうとあらためての取材をお願いした。

IMG_5328 第二部は、憲法を歌うきたがわてつさんのコンサート。てつさんも、牧師でもある阿久戸さんの講演を受けて急遽「ブラザー・サン&シスター・ムーン」を頭にプログラムした。

 心もピュアになる阿久戸氏との出会いをつくってくれた依田さんに感謝。

 依田さんは上尾市職員。職場でこうして9条の会をつくり、コンサート等を企画していく実践力もすごい。

久しぶりに見る前進座公演 嵐芳三郎

2011年5月21日 土曜日

 上尾市職員9条の会、阿久戸光晴氏(聖学院大学学長)の講演とてっちゃんコンサートの後、前進座80周年記念5月公演を観に国立劇場へ。「唐茄子屋」と創立八十周年記念 口上、「秋葉権現廻船噺」。「唐茄子屋」は大店の道楽息子再生のシンプルな話にリラックス。81歳の中村梅之助筆頭のずらり並んだ口上、これぞ芝居!  そして少々入り組んだお家再興の話「秋葉権現廻船噺」。二つの作品に大役をつとめている嵐芳三郎。前進座をこれから背負っていく人だろう。

  熟練の布陣とそこに次なる布陣と、そのことを深く感じ入ってしまった。

 花道のすぐ近くの席。大見得を切る役者の顔もぢかに見え、慌ただしい日々にリフレッシュ。

  なのだけど、この日、上尾から国立劇場までのなんと遠い道のりか。JRと地下鉄を2つ乗り換え、しかも東京の地下鉄は乗り継ぎが所によっては一駅くらいの道のりを歩くことがある。この日がそれ。降りた駅、国立劇場への出口とは端と端。さらに駅から国立劇場入り口までのまた長い距離。着いた頃はクタクタ。5時間近い観劇にはそれなりの体調、時間、心のゆとりが必要、と痛感。

 

  前のブログで訂正。事務局UNO大会で、私と石垣君が争ったのは3位、4位ではなく4位、5位でした。

合併号、ぎっしり?!

2011年5月20日 金曜日

通信いっぱい、伝えたいこといっぱい

  うた新は第5週は休刊。少しゆとりの今週。

  だが、次号を考えると、心は落ち着かない。次号は連休の神戸市役所センター合唱団・太鼓衆団輪田鼓の震災被災地・宮城の復興激励コンサートと被災地取材を予定しているが、各地から続々と復興支援コンサート&うたう会の通信が届いている。憲法記念日の通信もある。「行ってきたよ!」、昨日も韓国・光州芸術祭等から帰った国鉄広島ナッパーズの山上茂典さんから電話が入る。「今回もまたすごいことになった!」と、感動の通信が期待できる。楽しみ。

 でもどうやって8面を組むか。

 連休前に出して12頁だての合併号、この号は広告がその前の号に入ったため、「ものすごく読むものがある…」と読者から。しかし、2週分のため致し方なし。まあ、伝えたいこととスペースとのバランスと、「読まねば…」の重圧をいかに軽くするか、ここが編集の悩みどころ。

訃報

2011年5月20日 金曜日

  昨日、千葉の長町巧さんが亡くなったという知らせを受けた。先週だったか、本人から入院のため新聞を止めると連絡が入ったばかりだった。千葉・銚子無線に勤務していた頃、サークル“いわしだんご”の長町さんとうた新拡大、日本のうたごえ祭典参加状況などを聞く電話をよくしたのが四半世紀前。しばらくして直接会った時は、もう親しい友人のような気がした。やがて、銚子無線の廃止、広域配転、単身赴任の生活に、落ち込むことも当然あったはずだが、電話では「長時間通勤は歌の練習時間」と明るく言っていた。今年は千葉で日本のうたごえ祭典、千葉、銚子、長町さん、と思い浮かべていた時の訃報だった。

  そして、きょう、中央合唱団の上島昭弘さんが亡くなったと聞く

  私がうた新に来た時、音楽センターでアルバイトをしていて、童顔のため“ぼっちゃん”の愛称でみんなから親しまれていた。うた新の発送も手伝ってくれていた。その後、彼が勤めた新日本出版は、毎週うた新を校正・印刷するあかつき印刷の隣のビル。手渡しでうた新を受け取る彼は、だれよりも早く届くうた新読者でもある。「もしもし、新聞、そこにあります?」

 誤字、誤植、間違いもいち早く見つける彼から電話が入る。「もしもし、上島ですけど」との電話に、「また、間違いあった?」と言うと、「いつもそんな電話ばかりじゃないのよ」(そう、口調は女性)、と紙面感想や情報提供だったこともある。

  そんな彼が、10年ほど前、「ぼく、先輩とリサイタルやるから、うた新に紹介して。もちろん、三輪さん、その写真も撮ってよ」と言う。えっ、リサイタル!そうだよね、長年歌って来たんもんね、と応援。撮影の日、リサイタルのため新調したラメの入りのブレザーに着替え、櫛で髪を整えるた彼をファイダーから覗いて、「ぼっちゃん、声楽家みたい!」。

  同団先輩の渡辺道枝さんとのリサイタル、2人の年季・心がこもる演奏はすばらしく、進んで感想をうた新に書いた。

  「もしもし」の電話や、「ちょっと、お茶していこうよ」と校正の帰りにぼっちゃんが声をかけてくることがもうないと、今は思えない。

  合掌。

うた新拡大、“エーちゃん”みならわなきや 日航争議団へ

2011年5月19日 木曜日

 前号5/23号見開きはメーデー特集。これを見ると、今年は各地で本当に日航不当解雇撤回支援の歌「あの空へ帰ろう」がよく歌われたことがわかる。

 このブログの管理人であり、“うたごえ喫茶大好き”エーちゃんこと斉藤一正さん。この紙面を見て「日航争議団の人たちにこれを見てみらい、読者にもなってもらって、ちば祭典で一緒に歌ってもらわなきゃ」と言う。うんうん、と私。早速、エーちゃんは、争議団事務所に電話して、宣伝紙を送り、お願いに行きたいとアポをとった。事務局会議の前ならと言う先方に、朝、一緒に争議団事務所へ。

 エーちゃんのこの発想と行動力、すごい。東京の公共一般労働組合が事務所がある大塚で年4回開いている“大塚のうたごえ酒場”には、日航の争議団の人たちも訴えを兼ねて参加している。その人たち2人にエーちゃんはすでに読者になってもらっている実績もあるのです。

 2人で争議団事務所で代表の方を前に、かくかくしかじか。

 「そうですか。わかりました。では、読みましょう」。などとなるはずはないが、新聞のこと、祭典のことなど具体的に聞いていただく。

 私が取材した客室乗務員組合の森陽子さんは、ILOに支援を要請するため渡欧中途のこと。「あの空へ帰ろう」はまた一つ、着地を近づけたか。

箱根で休息 森林浴とUNO浴

2011年5月17日 火曜日

CIMG0182  事務局合宿で箱根へ。近くがいい、と箱根に。箱根には何回も来ているが、まだまだ奥は深い。今回の宿はホテルのまわりをぐるっと新緑が囲む山の中。静かで温泉、食事もよく、何よりも私は部屋でゆっくり、読了を迫られた本を読み続けた。はかどった!はかどった!

 食事では「震災復興へ 東日本を応援しよう!」と東北の地酒メニュー。「了解しました」といっぱい支援した。

CIMG0185 夜は日付けを越え延々、UNO大会。今年は最後までやりましたよ。3位4位争いをした石垣君に、せり勝ちました!

埼玉合唱団50周年レセプション

2011年5月9日 月曜日

                50年、たくさんの人の心に歌が生きている

 

CIMG0156  8日は、埼玉合唱団50周年レセプション。埼玉合唱団は昨年の韓国公演はじめ、活発に活動展開中。最初の団演奏も、スピーチ、会場中で歌い交わしていく運びも、50年から次へ羽ばたく勢いを伝えた。

 柴田泰彦埼労連議長はあいさつで、うたごえの歌との関わりを話された。愛知で初演間もない合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」を埼玉の小学校教員だった頃に歌っていた、から始まり、次々に歌とのエピソードが披露された。あらためてこんなに歌が地域に届いていたのか、とうれしい驚きだった。

 埼玉合唱団は12月、市民団員を公募してミュージカルにとりくむという。

神戸市役所センター合唱団・太鼓衆団輪田鼓 震災被災地・宮城 復興激励コンサート 随行被災地取材

2011年5月7日 土曜日

「まだ、心が波打っている」

  4~7日、神戸市役所センター合唱団・太鼓衆団輪田鼓(田中嘉治団長)の震災被災地・宮城 復興激励コンサート 随行被災地取材。

 4日夜、宮城仙台入りして、翌5、6日、神戸と宮城のうたごえメンバーと南三陸町と女川、仙台市内の避難所6カ所でのコンサート、7日も仙台の友人を訪ね市内の被災地へ。夜は、ロシアの歌合唱団の練習をみて、帰京した。

 メインは6/6号で紹介予定だが、テレビや新聞で見て来た瓦礫となった被災地の光景は直に見ると、曇り空と共に、もっと曇った景色として重く迫ってきた。

IMG_5083 石巻市は残っている建物となぎ倒された瓦礫が混在するが、南三陸町の志津川湾近くは全部なぎ倒されている。気仙沼線は線路が途中で寸断され、少し高台にある駅も、両端がない。「そうかぁ、標識もなにも流されたんだぁ」と私が乗せてもらった車のドライバー、仙台合唱団の白坂とし江さんが思わずさけんだことばが実態をよく示している。標識も建物も流れてカーナビの指示がでないらしい。

  翌日の女川町も、ここまでは津波は来なかったという高台の町立病院駐車場か女川湾を見下ろすと鉄筋のビルさえ、ゆがんだ残骸である。

IMG_5109  コンサートは宮城のうたごえと神戸のメンバーと一緒にうたう会と輪田鼓の5~6演目を挟んで行われたが、輪田鼓の太鼓・民舞は寒い校庭、体育館、民宿の広場と会場問わず惹きつけた。華麗、力、躍動感、技と共に、自らも16年前の阪神大震災を思うと15時間かけて馳せ、「復興へ、生きる力を共有したい」という想いが、充分に伝わった演奏だった。

 同時に、集うということ、そこで歌や太鼓を通して和すことがいかに、心を元気にするものかを、6カ所の公演を取材しながら実感した。

 居あわせた家を流された被災者は言う。

 「みなさんが来られるから元気なふりをするけれど、被災直後とはちがって今これからのことを思うと思考停止になる。まだ心が波打っている。でもみなさんがこられるから元気になろうとするんだね」

  「太鼓のすばらしい演奏をきけばきくほど、やりきれなくなる気もする。でも演奏は本当に良かったよ。神戸も10年かけて復興したんだ。そう思うと自分たちも、と思ったね」

 

ことばはいらない
復興への大きな励まし  女川潮騒太鼓轟会と

 

IMG_5119  女川町では、「町議16人中3人が亡くなり、1人が行方不明」という。町議9期という高野博さんは、「復興というが…」とことばは重かった。道路や建物だけではない。本当に町のみんながもとのように暮らせなければ、復興ではない。そういうまちづくりをと思うとはり「心は波打つ」と言う。

  私にとって、女川町勤労青少年センターの避難所前での公演が一番印象に残った。そIMG_5139れは3回目の公演、うたう会が始まって、輪田鼓の太鼓になると、人も多くなり、表での演奏に避難所から出てこなかった人たちも窓を開けて顔を出している。するとやがて、聞いている人たちがなにかざわざわしてきた。演奏メンバーに向けていたカメラを聴衆に向けると、何人もが泣いている。演奏がすばらしいということか。しかし、こんなにみんなが泣くのは…と思っていると、一人の女性が走ってきた。その人を町の人たちが「さいとーさーん!」と呼んで手招きをする。また一人走ってきた人がいる。その人にも町の人は「来た! 来た! 良かった!」と言う。

IMG_5145 何事かと思うと、二人は、女川潮騒太鼓轟会の斉藤成子さんと鈴木真紀さん。名誉会長も太鼓も道場も流れてしまった轟会の太鼓を、敲かせたい、と町の人たちが探していたのだった。

 鈴木さんは「家にいると太鼓が聞こえてきて、夢中で飛び出すと、近所の人が『あそこでやっているよ!』と言ってくれて、飛んできました」。

IMG_5155  輪田鼓の田中団長が、二人にバチを渡すと、大きな拍手が起こり、敲く2人にみんながかけ声をかける。2人も最初の一打ちから涙、しかし、満面の笑みで敲いた。

  「なんの説明もなくても心が伝わってきました。この太鼓の音を発して下さったのがうれしい。みんな流されて少し諦めかけていました。でも、もう一度」と斉藤さんは言った。18年になる轟会、代々30人くらいの子どもたちがこの太鼓で育っていく。「それを止めてはいけないんだと思いました」。

 太鼓演奏の後、「すごかったね。うれしいね」、高野町議の声も弾んでいた。

 

                  神戸市役所センター合唱団・太鼓衆団輪田鼓の技作り、人づくり

 

 神戸から往復30時間かけて被災地へ。そして、どの公演も「生きようという力が沸いた」と感想を得る演奏を届けた神戸市役所センター合唱団・太鼓衆団輪田鼓。しかもこれは、常に真摯に果敢に、高い技術と広い組織力でとりくむ同団の活動の一つであるということに、そこに蓄えられる力と可能性をまた感じた。

  今回神戸の同行21人は、休暇等の関係で6公演のうち1公演だけで空路で帰った人、夜行バスで往復した人もいる。それでも、被災地で激励演奏をすることが大事だと思い参加した面々、輪田鼓の研修生という若い世代もいる。この実践力が団の明日を育てていくのだろう。