2011年4月 のアーカイブ

“いのち”が輝くように~それはとても努力がいること

2011年4月30日 土曜日

東日本大震災直後、すさまじい自然の猛威をテレビで見て息をのんだが、それから一カ月余、そこからひきおこされるさらに悲惨な現実に思う。「いのちが輝くように」とよくうたごえ新聞でも使うが、その実現にはなんと大きな努力がいるのだろうかと。
  いつ自分の家・故郷に戻れるか分からない先行き不安な避難所の暮らし。衛生面、精神面での限界状態の中、「心が壊れた」という叫びが伝えられる。
  昨日の新聞に、経済評論家の内橋克人氏の一文が紹介されていた。「今回の震災とその後の状況は、日本という国と社会の実相をあますところなくさらけ出した」「弱者切り捨ての政治と経済の原理が闊歩する」「これを機に、分断、対立、競争に代えて、連帯・参加、協同を原理とする共生のセクターへ」。
 内橋氏には前から取材させてもらいたいと思っていた。トライしたい。

「満天の星凍りても生きており」

2011年4月29日 金曜日

5月9・16日合併号 森村誠一氏の寄稿「東北大震災に想う」

 GW前、合併号を発送。この一面は作家・森村誠一氏の特別寄稿「東北大震災に想う」を掲載した。締め切り一週間前、全国協議会常任委委員会に出席していた神戸市役所センター合唱団の田中嘉治団長より、この企画提案を受け、合点した。
 阪神大震災で神戸が被災した時、気遣う森村先生から田中さんたちへの電話は「被災直後の今は物資の支援が緊急だが、やがて心の復興が求められる。そのための歌を」だったと聞く。そして生まれた「阪神大震災鎮魂組曲『1995年1月17日』」。原詩は森村先生である。
 今回の急な依頼に、何本もの原稿を抱えるなかで森村先生が引き受けてくださつたのは、田中さんと先生の合唱組曲「悪魔の飽食」以来、四半世紀にわたる深いおつきあいのなせる技。そして、もらった原稿に、私の頭のなか、心が整理され、今どう考え行動すべきかを鮮明に伝えられる想いだった。
 そしてもう一つうれしかったのは、先生が送って下さった原稿の欄外に「心を再建するうたごえ新聞へのエール」とあったこと。しばしその文字を見つめていた。
 田中氏の提案は、つづいて先生から紹介していただく著名人からの「東北大震災に想う」特別寄稿連載、だった。森村先生からは何方か紹介していただく。が、著名人となればそうは簡単には…。さきほども恐る恐る電話したり、依頼文を書いたが、編集・取材でこれが一番の難関。
  (追)「ふめんだい」の文中、「データ」が「テータ」になっていて、「ていたらく」と言われてしまった。

歌い、語るフィギュアスケート キム・ヨナ、安藤美姫さん

2011年4月29日 金曜日

フィギュアスケートでドキドキハラハラ。気が小さい(けど、態度はデカイと言われる)私。見逃せばそれはそれでいいのけれど、やはり連夜見てしまう。
 しかし、29日の、女子ショートプログラム。歌うように優美な演技の安藤美姫選手、そしてやはりシャープにダイナミックなキム・ヨナ選手。これはもう技を競うということを超えて、生きる力をつたえてくる。
  うたごえ新聞でこの間よく登場する東北ののまつり「虎舞」。それが被災地で行われた。「震災では泣かなかったのに、『虎舞』を見て泣きました」と被災者が語っていた。生きる力を伝えるものは人の心を元気にする。

1400年の時を超えて現代につなぐコトバ  万葉集

2011年4月29日 金曜日

29日夕、Tokyo Canataのコンサートを聴く。
 毎年テーマを定めて合唱音楽を追求するコンサートとセミナーの催しTokyo Canata。2011年のテーマは「やまとうたの血脈」。聴いたのは3つのコンサートの一つ、Ⅰ「日本のコ・ト・バを歌う 万葉集」2。作品は、故人の信時潔の他は現代の作曲家中島はる、三宅榛名、新実徳英、信長貴富の各氏。
  信時潔の「やまとには」(國見の歌)の荘厳な響きから始まり、万葉集の相聞、恋歌、雑歌などを題材にした合唱曲の数々は、演奏も優れているからだろうがどれも引き込まれた。
 中島はる作曲、ピアノ、尺八、琴の伴奏による女声合唱組曲/萬葉・防人の歌より、は音が運ぶ物語を堪能する。現在訳があの「おばけなんてないさ」の峯陽さんだったというのも、知らなかった。私が秀逸と感じたのは新実作曲、女声合唱とピアノのための「こだま・おとだま」より「天地のうた」。片山みゆき指揮(うたびと“風”のつどい演奏)、無伴奏の女声合唱は、ライブの緊張感と共に万葉集の音霊を感じた。 
  それにしても毎回、主催の“21世紀の合唱を考える音楽人集団音楽樹”栗山文昭さんらの合唱への深い追求は、もう愛だろう。

チェルノブイリ原発事故25年と東日本大震災・福島原発

2011年4月26日 火曜日

      
IMG_4626 チェルノブイリ原発事故から25年の4月23日、都内で広河隆一 チェルノブイリ・福島現地最新報告&チャリティコンサートを聞く。
 うたごえ新聞4/11号で、広河隆一氏の福島原発事故最新報告のことを紹介した。東北大震災の翌日に被災地に入った広河氏が再度被災地に向うと聞いていたので出かけた。
 前回と今回の広河氏の報告、そして日々伝えられる福島原発事故後のIMG_4633状況から、私たち、いや私にとって25年前のチェルノブイリ原発事故のことはやはり他山のことだったのだとかと思わざるを得ない。

 

 

チェルノブイリ原発事故を伝えるナターシャ・グジーさんと

チェルノブイリ被災の影響で、子どもたちの病気を心配する母

チェルノブイリ被災の影響で、子どもたちの病気を心配する母

 チェルノブイリ原発事故以来、私たちが原発の事故を身近に感じた一つは、1999年、茨城のJCOの核燃料加工中に起きた臨界事故だった。あの時も放射能測定や農産物被害にも問題になったが、現段階での原子力エネルギーの危険についてはそれ以上、公には語られなかった。
 二つめ、ナターシャ・グジーさんの登場だった。広河氏はチェルノブイリを取材し、同時に事故後、発達の著しい小さい子どもに甲状腺癌を初め病気が多発していることから、その救援活動も行っている。音楽で救援を訴える少女たちの音楽グループ“チェルボナ・カリーナ(カリーナの赤い実)”と出会った広河さんが、メンバーのナターシャさんと出会う。その後、音楽学校進学をあきらめ、会社の事務員をしていたナターシャさんに、広河さんは、日本での音楽活動をつづけることを勧めた。
 そして、来日したナターシャさんが2000年の日本のうたごえ祭典(静岡)で大音楽会のステージに立った。彼女の美しい歌声と、習いたての日本語で被災当時のこと、救援と「あやまちを繰り返さないために、チェルノブイリを忘れないで」との舞台からの訴えは聴衆の心を掴んだ。
以後、チェルノブイリ被災者救援への意識はあったつもりだが…。           
またあやまちをくりかえさないために

今年2月、25年前のままのナターシャさんの故郷、プリピャチの街

今年2月、25年前のままのナターシャさんの故郷、プリピャチの街

 催しの最初に主催者からのことば「私たちはまた過ちをくりかえしてしまいました…」が心にずしんと来た。
  実は広河さんはこの2月、番組「チェルノブイリ25年」制作のため、チェルノブイリを取材し、編集も完成してオンエア直前の東日本大震災、服地原発事故だった。そのたる番組は一時ストップのままになっているという。
 報告は、チェルノブイリと福島の映像で行われたが、25年間雪をかぶって住人が居なくなった住宅街、避難で走らせた何台ものバスが25年そのまま並んでいる映像。甲状腺癌の手術を受ける子どもたち、「この子はこの後、亡くなりました」と説明される映像…。
  今度こそ、くりかえしてはいけない、そのために、正しい情報の公開と、責任を明確にして協同で対処することが必要だと思った。

コンサートは荒川少年少女合唱団とクミコさん「祈 り」他 

震災支援活動の通信、熱いうた新

2011年4月13日 水曜日

  昨日4/25号入稿。全国から次々届く震災支援活動の通信に心熱くなる。この号で紹介している一つ、千葉の東葛合唱団はるかぜの“福島原発による避難者をうたごえで励ます集い”。はるかぜの地元千葉・松戸に避難している人たちを励まそうと同団や音楽グループが開いた。「こんなすばらしい時間が持てるとは」と被災者から言われたそうだ。

 もう一つは長崎から。昨年のうたごえ祭典in長崎成功にも活躍した“岳童太鼓”が例年の“卒業を祝う催し”を、犠牲者・被災者の鎮魂と救済の催しにし、演目に三陸の芸能「虎舞い」、というのも熱いものが伝わってくる。通信者で指導者水田泰大さんの、今、合唱団ながせんでは、体操を兼ねて千葉の「ばか面踊り」にもとりくみ、ちば祭典へ、というのもうれしい。

源平桃が今年も咲き始めました

2011年4月12日 火曜日

20110413源平桃 うた新社も入っている音楽センター会館向かいの主は花に造詣が深い。その植え込みから季節ごとの花が楽しめる。今の季節特に注目は珍しい源平桃である。一本の枝から白とピンクの花が咲く。しかも、一週間前は、ただ枝だけだっのが、数日前、今年もつぼみが…、そしてきょうはもう七分咲き。やがて満開になるのと合わせて綠の葉が茂っていく。刻々と姿を変えていくこの木に、しばらく毎朝、あいさつするのが楽しみ。

「すぐにここにアクセスを」ヨルダンから高遠菜穂子さん

2011年4月11日 月曜日

  季刊「日本のうたごえ」№152、2011年総会特集号校了。

20110413高遠さんの書籍  総会記念講演の高遠さんには、講演原稿に目を通してもらうためこの間、メールでやりとり。メールだから距離感がないが、ヨルダンとである。

 「病院が機能しない。医師が不足、薬がない」(震災後の被災地のこと)、どこで聞いたような(講演で話されたイラクのこと)、とお礼を兼ねてメールすると、即、「下記に連絡して下さい」と返信。いつでもどこでも、そのように困っている人たちに対処されているのだとあらためて思った。

  その高遠さんの近刊「破壊と希望のイラク」(金曜日刊)がおくられてきた。

  講演で話されたことがまとめられているが、もちろん新たな情報もたくさん。特に、「埋没するイラク報道」の項。イラクのラマディで35年間カメラマンをしていたカリーム・ハムザ氏は、米軍の狙撃で失明。自宅に押し入った米軍は彼の写真やデータをすべて没収した。2005年11月、アンバール州ハディーサで米海兵隊が24人の民間人を殺害した事件、「これはイラク戦争そのもの、米軍の隠蔽工作に焦点をあてるファクターとなっていく」。そのきっかけは民間人が撮影した積み重ねられた遺体の映像と、ロイター通信のイラク人記者アリ・マシュハダニ氏が遺族に取材した記事だった。そのアリ氏も8回逮捕され、自宅を狙撃されている…。“視聴率”のことはここでもきちんと触れられている。

  総会特集号記念講演とあわせてぜひ多くの人に読んで欲しい。

地震被災体験記・小林康浩さんの連載「なんでもありっすか?」

2011年4月10日 日曜日

  宮城・岩沼在住の作曲家小林康浩さん。今回の内容は、あの地震被災体験記。内容は、読んでいただくとして。自宅から身動きがとれなかった数日間、冷蔵庫にあった卵を全部ゆでて…、乾物類を煮付けして…。私は小林さんの生活力に、感動。

桜の中を2時間のフィールドワーク 市川・千葉の戦跡

2011年4月9日 土曜日

 4月9日。前に取材した、千葉の戦跡から平和運動を進めている高野邦夫先生のフィールド・ワークに、話と本とやはり足で、とたまたまこの日、この時間は予定が入っていないという塙治子ちば祭典運営委員長と参加した。

 初めて知った地名、降りた駅、京成市川真間に9時半集合。到着すると、高野先生は、「今年、千葉で日本のうたごえ祭典が開かれます。千葉から平和を、と準備され、私はそのよびかけ人をしています。きょうはその祭典運営委員長と…」と塙さんと私を紹介。うれしい心遣いに足取り軽く出発。

20110413現国府台病院

現国府台病院、等間隔のコンクリートの杭が、精神科もあった陸軍病院の跡

 それから2時間余。市川市南部、かつて首都をまもる軍都の跡、現国立国際医療研究センター国府台病院(旧陸軍病院)、真間山弘法寺、里見公園などを歩いた。先生の説明に興味津々、桜、こぶし、木蓮等々の花にも惹かれ、夢中だったが、その夜、少し筋肉痛。“歩く事務所”のごとくいつもうたごえの会議に向けての書類や資料を持ち歩く塙さん(この日もこのあと2つ会議)の足腰はいかに。

 

 
 
 

途中で見たわらで作った蛇、魔除けの、辻切り

途中で見たわらで作った蛇、魔除けの、辻切り

真間山弘法寺の「砲兵の歌碑」

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須和田公園の忠魂碑と高野先生

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