2010年12月 のアーカイブ

年の瀬に映画「シッコ」を地でいく友の話

2010年12月31日 金曜日

12月31日

 年越しの片付けもそこそこに大阪へ。秋に、脳腫瘍の手術をした友人を見舞う。「腫瘍は良性だったし、大変だったのは医師よ。私は麻酔の中で」と至って元気に回復し、ホッチキスでバチバチ止めた縫合の写真を見せながらの友の話は、まさにマイケル・ムーアの映画「シッコ」を地で行く。

  20年近くアメリカで暮らした友だが、やはり年をとったら日本がいい、と帰国を考え、大阪に新しい足場をつくろうと住民票をとって数カ月、この大手術を受けることになった。アメリカなら手術の費用たけでも何百万、術後は病院からはすぐに出される。

 病院からのアドバイスも受け、現在無収入の申請手続きをしたため、友の手術費用と一カ月の入院費はあわせて4万円、日本の医療制度のおかげ、つくづく日本で暮らすべきだと思ったと言う。

 日本の医療制度も徐々に削られているが、世界の医療制度とアメリカの現実を描いた映画「シッコ」を思い起こし、日本国憲法の生存権のことを伝えていくことの大切さをあらためて思った。

20110104富士山 20110104米原の近く
東京から大阪に行く途中、絶景の富士山、名古屋を過ぎ米原ではこのような雪げしきでした

全国の青年がずらり! 壮観2010年、最後のお仕事で

2010年12月30日 木曜日

20110104青年座談会 正月休み返上、朝早く名古屋へ。

 次号の季刊「日本のうたごえ」に青年の座談会を考えていたが、あっという間に年末!となってしまった。が、なんと幸運にも全国からメンバーが集まり、青年部会がここで開かれる。ならば、と座談会を入れてもらう。

 東海音楽センターに青年がずらり、福岡、兵庫、京都、福井、愛知、長野、東京、千葉と集まると壮観。

 2010年青年のうたごえ祭典、正直、その中身は今一つ広げた! 青年のエネルギー!は伝わってこなかった。が、その中心になった名古屋青年合唱団の和賀達郎君の発言には、祭典をくぐり抜けた力強さを感じた。研究生に10人が入り、うち9人が入団したそれは…と語る京都・洛北青年合唱団の佐藤大介君、2011年青年のうたごえ交流会を開く福井・青年のうたごえおでん部の渡辺美緒さんらの話も頼もしい。なにより、年末ぎりぎり、ここなら時間がとれると集まるエネルギーをうれしく思い帰京。

“ミルフィーユちば”千の葉を重ねる…なかなかのネーミングなんて千葉うた新プロジェクト

2010年12月27日 月曜日

20101227上殿さんからのエールのみかんで「うたしん」文字

 27日は千葉・船橋へ。2011年日本のうたごえinちば成功へ、うた新新読者拡大!と千葉の“望年 うた新まつり”が開かれた。

 会場に着くとテーブルにみかんの「うたしん」文字。みかんは奈良の上殿紀久子さんから。ちば祭典開催論議の時、07祭典の経験を上殿を迎えて聞いた。千葉がんばって!との上殿さんのエール。あったかい! 

 ちば祭典運営委員長の塙さんの「私の所に届きましたのできょうまで毎日、味見をしてきました。おいしいですよ」にどっと笑い。

20101227講談調で紙面紹介新井さん  “まつり”、取材・編集等私の話、合唱団プリマベラのうた新スピーチの実例、新井洋一郎さんの講談調紙面紹介、笑いの中で読み所をおとす、さすが! 「12/27号、相良直美さんが出てましたねぇ。27ぶりにシングル。若い人は知らないかもしれないけれどこの人は…」と惹きつけ、毎号隅々まで読んでいるという氏のピックアップ解説に紙面がイキイキ伝えられる。

 「読者が何人になれば毎号カラーにできる?」など読者を広げる話へ。そしてこの日、千葉のうた新読者拡大推進チームの名前が決まる。スタッフで準備された案は“うた新ミルフィーユ”“うた新房総族”。
20101227うた新ミルフィーユちば後者はすぐ分かるとして、前者は何層も生地を重ねたケーキの名で知られるフランス語「千枚の葉」の意。千葉とめざす千人の読者をかけた、この発想にうなる。房総族の支持もあったが、30人ほどの参加者の多くの支持で“うた新ミルフィーユちば”に決定! 

 その後は、祭典グッズの焼酎、お酒「天乃原」(すっきり辛口、私好み!)、落花生などを食べ飲みながらうたう会。そして“頼もしい事業普及委員”登場。柳川昌子さんのまだ小学校前の息子さんが、「今ならお酒落花生セットで○○円ですけど…」と一人ひとりの肩をたたきながら囁いて回る。なんとこの日持参のグッズはほぼ完売。彼の功績は大。“ミメフィーユ”にも加わって欲しい!

日航202人のパイロット・客室乗務員 大晦日に首切り!有楽町抗議集会

2010年12月27日 月曜日

20121227マリオン前でビラをくばる日航パイロット客室乗務員26日は、朝から有楽町マリオン前へ。

 202人の整理解雇強行に反対する日航のパイロットと客室乗務員が訴えた。日航が出した希望退職の数をすでに上回っているに、さらに首切りとは。この支援、うた新でどう伝えるかと考えていた時、文学仲間の中嶋祥子さん(東京公務公共一般労働組合委員長、コールラパス)から、この行動を聞き、日本航空キャビンクルーユニオン執行委員の森陽子さんへのアポもとってもらい出かけた。

 マリオン前に着くと長蛇の列。まさか日航の支援では、ない。そう、この日で日航労働者が訴える目の前の西武デパート閉店セールの列だった。大手デパートの閉店と「大晦日に首を切られる」と訴える日航労働者。今の現状だ。

 11時、「私たちは、整理解雇撤回を求めています!」、パイロットらの声が響く。高層建物が多いマリオン前、日陰に冷たい風が吹き抜ける。ビラを配る手、カメラを向ける私の手もすっかりかじかむ。中嶋さんも登壇して、日航機墜落事件を松の木にたくし、空の安全、労働者をまもることの大切さを詩で訴えた。日航の本拠地、南部合唱団大井かつえ団長もかけつけた。たくさんの労働組合旗が立ち、各組合から共闘と支援が呼びかけられた。

 その後の取材で森さんも語ったが「私たちは闘う、この闘いを広げるには世論」。この首切りは国鉄の航空版である。この支援に法政大学の学生が「これから働く私たちの問題」と支援に駆けつけていたのも心強い。この闘いも書かなくては。

2011年新年号、発信 潮の香りと土のあたたかさと

2010年12月23日 木曜日

 12月23日夕。新年号の校正を終えてうた新社へ。

  2011年新年号は、おもいっきり千葉! の特集。

 新春インタビューは「愛と平和」の力強いメッセージ、古謝美佐子さん。海外からの新年のメッセージも今年はこの間の出会いから、NY、韓国、ケニアからもらって、世界をつつんで…。後は明日の刷り上がり、今はドキドキ。

 都心のホテル街のきらびやかなイルミネーションにまでは行かないけれど、うた新のある今はコリアタウンとなった大久保界隈も、一昔前に比べれば、色彩も豊かな装飾が夜の街を彩っている。私はこの寒空の師走の雰囲気が好き。なんでかな、私は10月30日、生まれだから、やっとこの世の感触をつかんだのが今頃なんだろうなあきっと。

日本のうたごえ祭典in長崎最終実行委員会とうた新フォーラム

2010年12月20日 月曜日

16日、うた新の校正、初校ゲラを見て、長崎に向かう。
日本のうたごえ祭典in長崎の最終実行委員会とうた新フォーラムが開かれた。

自信に満ちた発言 祭典最終実行委員会

 実行委員会は小澤事務局長ではないが、“想像以上”。祭典運営委員長、事務局長、企画、組織・宣伝、事業、うた新部、うたう会部…、各責任者の、総括案は出されているが、そこには書かれていない、この祭典での一人ひとりがつかんだ確信がユーモアも交えてハナされた。諫早湾水門開門判決の朗報も、会議を賑わせた。祭典で「干潟の海の詩」を漁民と一緒に舞台をつくり、指揮をした中古賀久さんの「これから開けるまでの闘い」の発言も、これから広がる運動を語る。中古賀さんに急遽、諫早の取材をセットしてもらう。

あの「花月亭」で卓袱料理

 20101223花月亭の門20101223花月亭の刀傷20101223花月亭庭20101223花月亭にて   17日昼は、なんと田中實運営委員長に、龍馬も行ったというあの老舗料亭「花月亭」で卓袱料理。「1年、お世話になったから」と、そんな悪いわ私だけ(高橋会長も一緒だが)、でもうふふ。  風格のある門構え、日本庭園を眺める座敷、龍馬が襲われた刀傷を残す柱、江戸期からの掛け軸、月琴などなど店の文化財も案内してもらい、卓袱料理をゆっくりと楽しむ。お酒がほしい! でもこのあと諫早の取材、夜はうた新フォーラム。ここは、食に徹する、至福の時。

 
諫早の漁師松永さんの熱い闘いの話と芝エビのをおみやげに

20101223諫早の松永さん卓袱料理の余韻に浸りながら(田中康さんごめんなさい)、田中さん運転で、企画委員委員長水田さんらと長崎市内から1時間の諫早湾へ。祭典にも参加してもらった諫早干潟をまもる原告団団長、漁師松永秀則さんのお宅へ。
朝5時に漁に出て、とれた大漁の芝エビを、鮮度が大事、と急いでパックにつめる作業の中、取材。潮がいい味となりプチプチのおいしい生の芝エビも食べさせてもらい…。実際に開門までまだ闘いはつづくが、それを推し進める松永さんのたくましい顔、話、「また、歌いたいね」の一言もうれしい。
そして、なんと芝エビのお土産までもらった。がんばって書こう、松永さんらの想い。

さあ、うた新も!
17日夜はうた新フォーラム。連日の夜の会議だが、活気あふれたフォーラムだった。長崎は祭典運動の中で3倍強の読者を広げた。「祭典まで応援して」と広げた読者は祭典が終わって「さようなら」のケースも多い。ここで終わっては、とフォーラムは開かれた。
長崎のとりくみが紙面を作っていったこと、祭典、うたごえのことだけではなく、今生きる人々とともにどう時代の声、人々の想いをつないぐか等々、編集からの話をさせてもらった。が、その後の話がおもしろい。
 「新聞を受け身で読む、流すのではなく、行間を読もう」(うた新部長宮崎さん)、「同じく日本のうたごえ祭典を開催して、読者数も同じくらいの福井をにらんで…」など、熱いうた新へのまなざしに励まされる。

長崎チャンポンの店で打ち上げの後はカラオケ

20101223田中康さんのバースデイ乾杯カラオケ会議の後は、みんなで打ち上げ、私がいちばん気に入っている長崎ちゃんぽんが食べられる店。大いに飲み、語り合う。そして二次会、正確には三次会はカラオケ。私は苦手だが、さすがうたごえ合唱団のみなさん。次々に自慢ののどを披露し、カラオケボックスが出すところの点数は90点台続出。日付けが変わり、12月18日、その日は田中康さんの誕生日。お店の人たちと「ハッピーバースデイ」を歌って、フル回転、長崎満喫の日程を終えた。

「ことばを大切にされている」 朝、佐原一哉さんとの原稿のやりとりから

2010年12月15日 水曜日

 12月15日。

 年末号と新年号の準備、その他その他に追われている。

 今朝は、朝一で新年号インタビューをお願いした古謝美佐子さんの事務所に「原稿届いてますか、確認よろしく」と電話を入れる。出られたのはマネージャー、作詞作曲家、佐原さん(古謝さんの夫君)。インタビューの時も、とても丁寧に応対していただいたが、原稿についてのやりとりも「ここはこの方が伝わると思います」ととても丁寧。その電話で、きょうはさわやかにスタート。一日がいい気分。取材の時の古謝さんのことば、「佐原と二人今届けたいのは平和のメッセージ」がやさしく甦る。

5㌔減量、うらやましい小澤さん

2010年12月13日 月曜日

  年末号、原稿しめきり。糖尿病予防(だったかな)のための矯正で一週間、入院している全国協議会小澤事務局長から「うたごえ時間」の原稿が届く。病院で書いて、別の所からおくってもらっているとのこと。「貧しい食事、禁酒・禁煙、病院の空気に本当の病人になりそう。三輪さんも体には気をつけて、もう若くないから」とのメッセージを添えて。貧しい食は正しくは健康的な食事、本当の病気になりそうな病院の空気は正しくは、あなたが基本的に健康ということ。です。

 三輪さんも若くないから、は、しかり。このところの寒さで体調を崩したらしく、珍しく食欲がない数日。回復しましたが、なのに体重は変わらず。小澤さんは5㌔減量とか、うらやましい。

おしい! もっと書いてほしかった 井上ひさし、米原万里

2010年12月12日 日曜日

井上ひさしの「一週間」「組曲『虐殺』」を続けて読んだ。特高に追われている頃の小林多喜二を書いた「虐殺」。拷問で殺された凄惨な死が頭にあったが、登場人物へのなんと温かい目、ちりばめられるユーモア。特高も生身の人間が描かれている。「一週間」のモチーフは井上ひさしの父親。捕虜になった一人の日本兵がシベリアに送られるまでの記録。分厚いが、読み手くぎ付けにしてはなさない筆力、冷や汗をかかせ、時に顔をほころばせ、怒りの集中点でピタリと着地を決める。

 氏のことば「むつかしいことをわかりやすく わかりやすいことをやさしく、やさしいことを深く」がここにも。もっと生きて欲しかった。

 その義理の妹(姉かな)にあたる作家、通訳の米原万里の「他諺の空似-ことわざ人類学-」を読んでいる。世界各国の諺が土台だか、世界の軍事・経済状況から痛快な政治批判。この本はたまたま駅で何か読む物は、と手にしたがラッキーな出会い。06年56歳でがんのため死去。おしい、もっと書いてほしかった。

法政大学合唱団第49回定期演奏会で「悪魔の飽食」を聴く

2010年12月11日 土曜日

 20101215HoseiUniv12月10日

  朝日新聞に大きく、法政大学合唱団が第49回定期演奏会で浅井敬壹先生指揮による「悪魔の飽食」演奏のことが出ていた。聴いてみたいと思っていたところ、この組曲の制作合唱団神戸市役所センター合唱団の田中嘉治氏には浅井先生から招待状が送られ、私もご相伴した。

 男子学生がやや多い120人の合唱団。イタリア歌曲集、木下牧子アカペラ・コーラス・セレクション、サウンドオブミュージック、そして「悪魔の飽食」のプログラム。張りのある若い声と女声の確実な高音の輝き、すごいなあ。田中さんは、ピッチも揃い声も出る力、うらやましい、と言っていた。「三十七年目の通夜」などはでも、年輪を重ねた声がいるんだなあと思った。

 終演後、熱心に聞かれていた隣席のご婦人に「悪魔…」の感想を聞いて見た。すると「731部隊のことは本で読みましたが、なんだかきょうはもっとリアルに迫ってきました。若い学生さんたちがこういう曲を演奏されることはとても大事なことだと思います」と言われた。田中さんを制作合唱団の団長です、と紹介すると、「ありがとうございます」ということばが返ってきた。なんだか私もうれしくなった。

 演奏後、田中さんと感想を語りながら一献。そこに池辺先生から連絡が入り、河岸を変えて一献。