2010年10月 のアーカイブ

活字文化はこれから

2010年10月30日 土曜日

 日本のうたごえ祭典in長崎の第二報、トップには大音楽会での田上富久長崎市長のあいさつと全日本合唱連盟理事長浅井敬壹氏のコメントを紹介。この後も第三報とつづくが、まずはやっと祭典という大物の編集にホッと一息。

 長崎から帰って先週は北へ北海道。きょうこれからは真ん中の名古屋へ。世界初演「ドジコメディ 盗まれた森」を観るために向かう。いやいやけっこう飛び回ってますねぇ。

  昨日は、わがうたごえ新聞を印刷しているあかつき印刷の、利用者向けに発行している「あかつき新聞」新年号の編集会議に参加。

 うた新の新年号企画を考案中ゆえ、どんな企画が…と会議の話題にも興味津々。あかつき印刷で印刷している各機関紙、季刊、月間、旬刊、週刊と発行は様々だかその総数800という。

 平和、環境、労働…のテーマが上がったが、私の一押しは、活字文化との問題で電子書籍、である。印刷会社としてはここを掘り下げて欲しい。

 年齢を重ねた私などは、印刷物を手にとって、赤線を引いたり付箋をつけて読んで読んだ気がする。画面で読むのは苦手。うた新の原稿でもプリントアウトして初めて落ち着く。誤字や脱字も発見するのである。画面で読むのとは頭に入る度合いが違い、活字じゃないと不安。でも、若い世代には活字と画面、違和感ないのだろうねぇ。編集委員の面々に“若者”はいなくて、ここは若い世代の意見も聞かなくては…となった。うた新にとっても電子書籍云々、身近な問題だ。

あの2001年、「人間の歌」で感動の演奏をした駒沢大学付属岩見沢高校が廃校に!

2010年10月25日 月曜日

北海道さっぽろのうたごえと同校の「ねがい」のステージ 10月23日は、北海道の駒沢大学付属岩見沢高校・視聴覚行事の取材へ。昨年9月、北海道のうたごえ60周年記念祭典inさっぽろで初演された、「蟹工船」をベースにした合唱構成劇「「多喜二碑の前で」の再演と合わせて、3年生が3年間学んだことの総まとめの一つ「芸術鑑賞」として行われた。

 5月のNPT再検討会議・NY行動に地元から参加した人やうたごえ代表団として北海道のうたごえ事務局長・大塚園子さん、「多喜二碑の前で」脚本の金田一仁志さんらへのインタビュー、3年生作詞の5番の歌詞も入れた「ねがい」の合唱も入った力のある企画。

 詳細はうた新で紹介するが、なんと、この学校が2年後には廃校になるのだという。それも2週間前10月8日、突然、そのことが発表された。生徒はもちろん、ほとんどの教職員も寝耳に水だったとのこと。北海道では人口減と少子化のなかで公立学校の統廃合も進んでいると聞いた。

 駒沢大学附属岩見沢高校といえば、甲子園で優勝した野球部が有名だが、同校の石塚寛先生指導の合唱部、2001年日本のうたごえフェスティバル(神奈川・川崎)での「人間の歌」の演奏も私たちの心には強く残っている。高校生が歌うとまた違った歌の勢いが立ち上った。演奏後、舞台を下りてきた彼らを迎えた作者の山ノ木竹志さんとの車座の話し合い。歌ったメンバーはあの時の演奏ビデオを折に触れ、見ていると石塚先生は語った。無念。

芸術の森  翌日は、忙中閑、大塚園子さんの車でドライブ。札幌の芸術の森、野外美術館で彫刻を見る。ノルウェー・オスロのフログネル公園で見たヴィーゲランの彫刻が何点かあった。オスロ以外では見られないはずだっただけに、小躍りして見入った。

 

ダスタフ・ヴィーゲランの「母と子」の像

つながった! 米軍基地反対とイラク戦争

2010年10月20日 水曜日

高遠菜穂子さんの講演と「私たちが進みつづける理由」
東京革新懇のつどいで

20101020革新懇での東京のうたごえ  祭典第一報を入稿して昨日、19日夕、東京革新懇30周年プレ企画「講演と音楽のつどい」取材で、中野ZEROホールへ。講演は高遠菜穂子さん「命に国境はない~イラク戦争とは何だったのか?」をスライドをまじえて。つづいて、池辺先生のトーク&合唱(『アメイジング・グレイス』『私たちが進みつづける理由』)が行われた。

  高遠さんの講演は、あらためてアメリカがイラクで行っていることの犯罪を伝えた。イラク戦争で使われている白燐弾や劣化ウラン弾、犠牲者の遺体がそのむごさを伝える。そして、戦場で麻痺した米兵の神経は遺体をもてあそぶ。この戦闘機はどこから飛び立っているか。普天間飛行場など沖縄の米軍基地から、と聞いた時、米軍基地反対とイラク戦争が深くつながった。

  高遠さんの「イラク戦争はアメリカとイラクだけの戦争ではない」ということばも演題を語る。

  その後、池辺先生はトーク、「平和を維持するためにはメンテナンスが必要」と話され、演奏へ。「アメイジング・グレイス」山ノ木竹志の詞が、「私たちが進みつづける理由」の詞が、演奏と共に高遠さんの話を深く反芻させた。

長崎のみなさん!本当にお疲れ様、そしてありがとう!

2010年10月18日 月曜日

いくつもの感動を味わって長崎での日本のうたごえ祭典が終わった。

20101020合唱団ながせん(祭典Tシャツ) 昨年の6月、うた新フォーラムをかわきりに事前取材で何度も長崎に行っていた。少ない陣容で精力的にとりくむ長崎のメンバーを見てきたから本当にこの成功がうれしい。二日目、合唱発表会・職場の部のトップバッターで合唱団ながせんのメンバーがステージにあがってきた時は、思わずこみ上げるものがあった。祭典前日の運営員会でも最終チェックでがんばっていた面々、このステージで演奏した後は、またそれぞれの部署に飛んでいく…。そんなことを思うとジンときた。と、その次、なんと、祭典事務局長の田中和史さんがソロをとっておられるではありませんか。いや、すごい! 

  ステージに裏方に奮闘のみなさん。お疲れ様。

 

                実現した!高校生1万人署名活動の歌「一本のペンで」

20101020大音楽会「高校生」   祭典二日目の取材はハードだった。合唱発表会・職場の部から大音楽会へ移動して、取材ポジションを決めると、もう開演まで時間の余裕がなかった。この開演までに沖縄から来られた伊集唯行さんへの取材をお願いしていたが不可、お土産に杉長の蒲鉾を買いたかったけれど、その時間もない。あたふたと開演!

 開演のベルが鳴るとそこからは例年感じていることだが、パタパタパタと時が流れ、終演へ。昨年夏の取材で「来年の新年号は彼ら!」とひらめいた高校生1万人署名活動のメンバー。新年号用に昨年暮れ、彼らを取材した時、「高校生1万人署名活動の歌をつくって、アリーナかぶとがにで歌おう」と呼びかけた。そしてそれが現実になって今から歌われる…、と思うとゾクゾク。カメラのレンズをズームさせて一人ひとりの高校生の顔を見る。前日はブリックホールの音楽会で作曲の池辺先生の指揮で、この日、大音楽会では岩永先生が指揮。岩永先生は、〈働くもののうた〉の「仲間のうた」ではソロも。先生は「もう感動!です」を連発。うれしい!

 

                 田中實祭典運営委員長 57年ぶりの出会い

  大音楽会終演後、田中實運営委員長にコメントをとると「生きてきて良かった!です」。長崎のうたごえ創立メンバーの田中さん、発足のきっかけは1953年の中央合唱団長崎公演だが、その公演準備に来長した中央合唱団常任団員の堀喜美代さん(現在、合唱団この灯、指導)と今祭典で「実に57年ぶりに再会したんですよ。堀さんから、うたごえ新聞の連載読んでましたよ、と言われました」と田中さん。会場での再会には、神谷国善さん夫妻も。「荒木栄の『花をおくろう』は神谷さんの結婚式に荒木栄が送ったもので、結婚式に出席した僕たちは、式の直前に荒木さんから楽譜を配られ、練習してお祝いに歌ったんです。だから僕ら、この歌の初演メンバーですよ。神谷さんの奥さんとは結婚式以来の再会でした」。

 

                 合唱発表会・審査委員 の深い指摘

  よかった! よかった!とばかりは言っていられない。合唱発表会の審査委員をお願いした専門家のみなさんに祭典の感想を聞くと、みなさん、大音楽会のパワーはすごい、と言われた。が、その上で、合唱発表会については、「この曲で今、何をどう伝えようとしているか」「うたごえから発信される音楽は」…など、幾人からも同様の指摘を受ける。これをみんなで考えていくために紙面に反映するのが私の役目だが、じっくり取りかからなければ。

祭典当日号~“被爆65年”と“沖縄”を特集

2010年10月8日 金曜日

2010年日本のうたごえ祭典も後一週間、開催地長崎から「〈音楽会〉A席は満席に、B席も残りわずか」と、活気が伝わる。これから祭典当日までまだまだドラマが展開されると思うが、うたごえ新聞は祭典前最終号を本日発送。

 “被爆65年”と長崎を意識して、この号に長崎の被爆者、そして被団協代表委員の谷口稜曄さんへの取材、そして、ついに作者から「原爆を許すまじ」の真実を聞いた!という感じで作詩者浅田石二さんのお話を1・6・7面で、そして基地反対へ、来月県知事選を迎える沖縄からの記事で特集した(現地からならではの刻々と進められようとしている米軍基地強化の動きが届く)

被団協代表委員~谷口稜曄さんの想いあらためて

2010年10月8日 金曜日

20101018MrTaniguchi 原稿を書くのがぎりぎりになり、お二人に原稿確認を得たのは校正が始まるという時。谷口さんからは「ああ、あの時の。おまかせします。毎日講演がつづいていて」と、取材の時と同じやさしい口調が返ってきた。

 被爆時の大やけどとその傷口がふさぐまで1年9カ月はらばいの状態だった体は床ずれで、「肋骨も肉も腐り、以来ずっと仰向けに寝ることも椅子に背中をもたせかけることもできない。だから会議は大嫌い」と言われた。その体で5月にはNY、以後も全国での講演、長崎で取材した日も明日は横浜と言われていた。

 「核兵器廃絶へ」の精神力。そして、「今朝も病院に行ってきましたが、ふさいだ皮膚から異物が出てくる。それがなになのか医者は今もわからないと言います」。被爆はずっと続いている。長崎の被団協事務所に掲げられていた絵と共にそのことをあらためて思う。

「原爆を許すまじ」作詩者~浅田さんの深い想い・こだわり

2010年10月8日 金曜日

 浅田さんにはその中を校正していただく。治されたのは少なかったが、その一字一句に、作者の想い、こだわりがわかる。対象者の校正はそこがおもしろい。「原爆を許すまじ」誕生の話、初めてその歌を聴いた時の話も興味深かったが、“今”を語る氏に、あらためて尊敬の念。

「原爆を…」と国鉄のうたごえ

2010年10月8日 金曜日

 浅田氏に取材した時に生まれた疑問。浅田さんは、1954年の第1回国鉄のうたごえ祭典に参加した帰りの列車のなかで、国鉄のメンバーが歌う「原爆を許すまじ」を聞かれた。なぜ? 本番では歌われなかったのか?

 そこで当然その祭典の場に居られたはずの、国鉄のうたごえ創立メンバー、日野三朗さんに電話をした。「それは…」。日野さんの話もおもしろかった。

  なぜなら、浅田さんが原詩を書いたのが1954年6月半ば。作曲の木下航二さんが作曲して中央合唱団に提出したのが7月20日。そして7月28日に中央合唱団は第7回定期演奏会で発表。第1回国鉄のうたごえ祭典はそのわずか8日後。「国鉄のメンバーはみんなまだ知らないよその歌を。あの祭典には関先生(中央合唱団指導者)と中央合唱団常任団員10数人が参加して、祭典が終わった日の夜、宿舎で『原爆を許すまじ』を歌って教えたんだよ。そこでみんなその歌を持ち帰ったんだよ」。教わったばかりの歌を国鉄のメンバーは帰りの列車のなかで歌っていたのだ。瞬く間に全国に広がる一つに国鉄のうたごえ祭典があった。

  いやあ、一つ一つ解けていきます。浅田さん、日野さんに感謝です。

首がぎっくり腰?!

2010年10月6日 水曜日

  当日号作成のめどがついた頃から、首がまわらない(借金はない)。やっと昨日整骨院へ。「これ以上体を使わないでくれ、と体が叫んでます」と整骨師。パソコンの長時間打ち過ぎと疲労で、腰ならぎっくり腰、とのこと。治すにはまず全身の血行をよくすること。保険のきかないマッサージを数日繰り返すことになる。3時のラジオ体操も時々思い出すもののこの間、すっ飛んでいた。祭典前に体調管理!