2010年8月 のアーカイブ

日韓併合の史実を曇らせる日韓協定

2010年8月31日 火曜日

  小澤事務局長ら埼玉合唱団の韓国併合100年の訪韓公演から帰国。詳しくは夕刻、聞くことになっている。が、韓国から早々に感動のメールも届いている。

 韓国併合100年の今年、NHKテレビも5回にわたって近現代の「日韓の歴史」を特集した。日曜日、録画していた第5回をみて、1965年の日韓協定がふたたび歴史の真実をくもらせているということをあらためて思った。

  番組では、日韓協定がどのように運ばれていったか、日韓為政者のかけひき。さらに日本と韓国を防共の砦にするためのアメリカの策動が描かれていた。

 岸信介を中心とする日本の政府・財界、軍事クーデターで政権を取った韓国の朴正煕大統領は、日本の賠償とひきかえに日本の戦争責任を問わないとした協定を結んだ。韓国は工業「発展」を、日本は過去の歴史を反故にすること決めた。この協定に反対するデモが韓国でも日本でも激しく行われ、韓国は以後も、はげしいデモなど抵抗運動とその弾圧の歴史が繰り返される。NHKの報道でさえも充分に伝わった。

 そういえば、韓国女子勤労挺身隊被害者支援の金曜行動を取材した時出会った、韓国KBSテレビの日本側プロデューサーの李さんも、「日韓協定を盾に、日本政府からの戦後問題の文書公開を拒否され、自身が企画した番組が作れなかった。歴史の事実をあきらかにする運動としてこの運動にかかわっている」とハナされていた。光州のペさんが言った「植民地支配だけではなく、その後の問題」もここに一つ起因している。李さんは今回の韓国での韓国併合100年の行事を取材しに行くと言われていた。李さんにも話を聞きたいと思う。

韓国で小澤事務局長らが・・・

2010年8月28日 土曜日

  きょうは、韓国で小澤事務局長ら埼玉合唱団が韓国・ソウルで、“韓国併合(国恥)100 年韓日市民共同宣言集会”で演奏する日(明日の“平和のアジアを目指す日韓市民共同宣言大会”文化行事でも)。昨日は、同趣旨の催しで池辺先生ら「悪魔の飽食」全国縦断コンサートのメンバーが演奏と聞いている。埼玉合唱団からの訪韓通信を楽しみにしている。 

20100828Korea その前に、遅くなってしまったが次号(9/16号)で、と関連の8月13日名古屋で開かれた名古屋・三菱朝鮮女子勤労挺身隊被害者支援“ハルモニと結ぶコンサート”の記事を作成中。前回も書いたが、紙面の限界にいつも悩む。たぶん紙面では伝えられないことをここで。

 その一つ、戦前の日本による朝鮮支配の問題が、なぜ今も争点になるのかということ。韓国併合条約(1900年8月22日調印、29日公布)、条約と言ってもこれはすでに朝鮮に侵攻していた日本が植民地支配を正当化したものだが。 これは日本の敗戦・終戦で無効になり、日本は謝罪と賠償をすべきもの。それがなぜ今も未解決の問題としてあるのか。日本が謝罪と賠償をしてこなかったこと、朝鮮半島の戦後の問題、さらに1965年、韓国に対する経済援助を条件に結ばれた日韓協定でそれまでの問題を無効、不問にされたこと。それが今、「従軍慰安婦などない」「韓国併合は朝鮮も望んだこと」なとという発言が飛び交うもととなっている。この条約の壁が歴史解決を妨げていることをあらためて知る。

20100828とべ先生 しかし、それて越えて韓国と日本で市民による運動、たとえばこの三菱勤労女子挺身隊被害者支援運動、145回に及ぶ三菱本社前での毎週の金曜日行動もその一つ。この7月14日、三菱は話し合いに応じると伝えてきた。「重い三菱の扉を、ハルモニの信念と日韓の市民の良心が開いた」と、コンサートでも語られた。この金曜行動が、韓国・ソウル、光州での運動を励まし、「この写真、これは光州の支援署名活動の数です」と生徒たちの引率、光州での市民支援の会事務総長ペ先生は本紙8/16号を指して言った。

 コンサートでの、韓国・光州の中学高校生、日本の高校生実行委員会ら出演者全員によるハングルと日本語バージョンでの「Fight!勇気を出して」の演奏はまさに国を超えて闘いをつなぐシーンを伝えた。

  紙面で紹介できないだろう二つ目。「人間の砦」の著者、山川修平さんのこと(氏にはあらためて取材したい)。コンサートの時お会いし、著書「人間の砦」の前史も聞いた。

090301韓国 012 山川さんは、単に韓国の風俗が好き、とソウルを訪れていたある日、市の中心地にあるタプコル公園で一人のおじいさんユー・チハンさんと出会う。そこは1910年朝鮮全土に起こる抗日運動の独立宣言が行われた地であり、それを日本軍が弾圧する様を描いた10枚のレリーフがある。

 「タプコル公園で叫んでいるおじいさんがいたでしょう」。私も最初に韓国に取材に行った15年前、たしかそのおじいさんを見た。通訳が「かかわると長くなるから」と制したが、「そうなんです。チハンさんは日本人と見ると語りかけるんです。ハングルは発音が強いから怒鳴っているように感じるけど違うんです。彼は説明をしようというのです」

 山川さんはチハンさんの話を聞き、以来ソウルに行くときはチハンさんと会い、今も遺族と交流しているという。そのことから日韓の近代史に係わった山川さんが、実は145回の金曜日行動(三菱の和解申し入れで金曜行動は145回で終わる)を1回も欠かさず東京側として支えてきた。「三菱の重い扉を開いたのは金曜日行動が一本の糸のようにつないできたから」ということばは深い。

大野和士、オペラレクチャーコンサート

2010年8月28日 土曜日

 昨夜は横浜まで。大野和士氏のオペラレクチャーコンサートを聴きに行く。大野和士氏のコンサートを聴く機会をのがしている。直にみたい。オペラのレクチャーもおもしろそう。そんなミーハーである。

 神奈川県立音楽堂。神奈川音楽センターの前を足早に通り過ぎ、会場へ。このチケットを申し込んだ時、すでに残数わずか。私のチケットは最後列。しまった、オペラグラス持ってくるんだった。

  テーマは、アベ・プレヴォーの小説「マノン・レスコー」を題材に、二人の作曲家、ジュール・エミール・フレデリック・マスネの「マノン」とジャコモ・プッチーニの「マノン・レスコー」から。二人がどのように作曲し、その音使いが物語るものは…、と大野氏が解説とオーケストラ部分をピアノで弾き、アリアの部分を4人の声楽家が演奏する。

 もちろん、声楽家のすばらしい演奏は、1000余の会場最後列までシャープに豊かに届く。特に二重唱には「ブラボー!」が出るほど、オペラの世界も堪能した。

 それにしても…。世界の歌劇場の音楽監督をつとめる大野氏、なんとゆかいに音の楽しさを伝えることか。この部分どこかと似てるでしょ、と他の作曲家の作品のことも、私にはプッチーニのアリアに、あれ、「『蝶々夫人』?と思ったところもあった」。

 そして、客席1054席は最後列右少し残すだけの入り。チケット4000円也。ううん一晩で…。これだけオペラファン、私のようなミーハーもいるがこの集客力というか、人が詰めかけるとは。

 二者の対訳が資料として配られていたが、細かくチェックする人、大野氏の客席への投げかけに即座に答える人…。厚いオペラファン。

 そして、そして、ロビーも注目。障がい者作業所で作成のクッキーやパイ、小物の品々が販売され、普段のコンサートホールは休憩時、飲み物や軽食はビール、ワイン、コーヒーが何百円するが、ここはソフトドリンクオール50円、作業所販売のクッキーは一袋200円。こういうのもいいな。

9/6号も感動ですよ。ドラマですよ!

2010年8月25日 水曜日

  8月25日、夕。9/6号のレイアウトを終える。今号1、8面で岐阜での教育、京都での港湾と職場のうたごえ祭典特集。ともに開催地にはその職場のうたごえサークル・合唱団はないが、開催地と協同で感動的な祭典を作り上げた。「どてこでもできる」「やれば新たな出会いと力が生まれる」ことを伝えている。

 岐阜の教育のうたごえ祭典のことは前回書いたが、原稿を書くために取材テープをじっくり聞くと、そうだこんなうれしいことばも聞けたんだ、と思うことがいくつも。

 校條実行委員長の「学生時代からうたごえは知っていたし、現在、友人の大野比佐志さん(多治見青年合唱団)らの活動は知っていたが、今回一緒にとりくんで、みんなの心一つにしていくうたごえ、合唱の力を実感した。その輪の中に私の家族も参加したことがうれしい」。

 青年の力の吸引力にもなった大野史輝さんの「原水爆禁止世界大会にはたくさんの青年が参加している。なのにうたごえ祭典は100人のステージをつくるのに必死。何が違うんだろう。もっと青年をうたごえに、考えなくっちゃ。そのために…」ということばも頼もしい。

 こういう大きな催しの報道で困るのが写真選択。あの写真もこの写真も使いたい。だけど面積は決まっている。あれもこれも書きたい、だけど面積は決まっているし、文章は短いほど見やすいし、読まれる。……。

 というわけで、掲載できなかった写真から、校條実行委員長のステージ写真(指揮者の左手あたり)を。

20100825教育のうたごえ祭典 20100825教育のうたごえ祭典ワッショイ

  見開きは8月の平和コンサートから特集。いくつか通信が寄せられていた。月曜日の原稿締め切り段階で、これを特集の形でレイアウトしたいがもう1、2本欲しい、と思っていると、来ました! 長野・伊那からの“平和音楽祭inいなっせ”。よかった! 通信には「コンサート成功で終わり、のつもりが出発に」とある。そうなんですよ。そのまままずは長崎まで走って下さい。

イルカがグー

2010年8月25日 水曜日

20100825いるか01夢中で原稿を作っているときは気にならないが、一息つくと肩こりが…。よく、柱に背中をこすりつけてもみほぐしている。それを絹の道合唱団の片山操子様が見られたか。「今度、いいものあげるね」、その今度持ってきてくださったのが、イルカの肩もみ器、というべきか。これがよーくきくのです。さっそく、愛用しています。片山さん、ありがとう。

 

 

20100825いるか02

私は閉所恐怖症

2010年8月25日 水曜日

 高所恐怖症と閉所恐怖症。私は後者。チリの落盤事故で33人の従業員が700メートルの地中に閉じ込められ、救出を待っているというニュースに震撼。エレベーターでも時々怖くなるし、暗所恐怖症(ということばがあるか?)、子どもの頃は停電になると泣き叫んだと親はよく言う。

20100825チェコのテレジン収容所跡  2007年、「悪魔の飽食」ヨーロッパ公演について行った時、ナチスの蛮行を今に伝えるチェコのテレジン収容所跡に行った。ここにはかつてたくさんのユダヤ人音楽家たちが入れられ、作曲家たちは死と向かい合い、曲を書いた。そのことを1995年、当時ザグレブフィルハーモニーの常任指揮者をつとめていた指揮者大野和士さんのTVレポート番組で知り、本も読んでいた。

  チェコにも行くならテレジン収容所跡を訪ねたいと思っていると、運良く行程に入っていた。行ったその中の一つの収容所は音楽家が集められたところではなかったが、収容所のなかに独房があり、そこも見学した。中に入り、戸を閉められる完全に真っ暗。みんなと一緒に入り、私は連行されたわけでもないのに、恐怖。その時、池辺先生の「こんななかに長く入れられていたら目が見えなくなっててしまう」というその一言で、私は「出して!」と叫びそうになった。

 

 700メートルの地中のシェルターで救出を待つ33人。全員救出までには4カ月かかる(それは地下の人たちには伝えない)という。私なら数日でも精神がもたない気がする。

 33人は落盤地点から暗い坑道を11㌔歩いて、シェルターまで行ったという。きっと支え合う人の輪と優れたリーダーがいるのだろう。月にまで行く科学技術、こういう時に使わなくてなにが科学だ!

やっぱり熱かった 最高気温の多治見市での教育のうたごえ祭典

2010年8月23日 月曜日

 すこし休めた夏休みを土曜日で終え、昨日8月22日は、“教育のうたごえ祭典”・大音楽会、岐阜の多治見市へ。多治見市の地名は、猛暑のこの夏、そのなかでも最も気温が高いことで有名(?)になった。

教育のうたごえ祭典

 その暑い多治見市での熱い熱い教育のうたごえ祭典は、飛び交うメールで予感させていたが、大当たり! 13時の開演から終演の16時過ぎまで、全国の教育のうたごえと開催地多治見市をはじめ岐阜のうたごえのエネルギーがステージいっぱいにあふれていた。

 老若男女、16団体出演者総勢400人。特に子どもたち、青年グループ、保育士さんら若いエネルギーは、祭典記念ポストカードの“教育 明日を奏でる”そのもの。

 実行委員長は動物病院院長校條均さん。(めんじょうさんと読む。取材の時、読めませんでした、と言うと『読めたら不思議です』笑い)。校條さんは多治見市長の賛同等メッセージを得るなど市民権を得る祭典に尽力。そして、書・デザイン・文字職人杉浦誠司さん作成の“教育 明日を奏でる”と書かれた祭典記念ポストカードが参加者に配られた。「教育」の二文字をよく見るとひらがなの「あすをかなでる」で作られている。なんと。さらにカードには「学び合い 響き合う 心が奏でる『うたごえ』は明日を彩る虹となる。」とある。

 

ぞうれっしゃ

 青年のエネルギーは、祭典事務長の大野比佐志さんも語っていた。「要員の仕事一つをとっても若い人たちの創意はすごいですね。駐車場の担当を頼んだら、駐車場の写真を撮って対応を相談して準備してるんですよ」(多治見親子うたう会、多治見青年合唱団)。息子の大野史輝さんが事務局の中心になって若者たちによびかけ、祭典後の反省会の進行も担当。もう一人の息子弦さん、そして娘さんは子どもを抱いて「ぞうれっしゃ…」のステージに立った。「祭典、大成功ごくろうさまです。それにしてもすてきな子育て」と言うと、「いゃあ…」とうれしい笑顔は隠せない。

 などなど、うーん、すごい、うんこれはいいこと聞いた!と取材の私の“背負い篭”、熱々採れたての感動いっばいにして、帰京。

うたごえ新聞 宅配便問い合わせはここに

2010年8月17日 火曜日

納涼うた新まつり その前に

  8.17夜は、東京のうたごえ“納涼うた新まつり”。東京のうたごえプロジェクトYのよびかけで都内順次開催のこのまつり、毎回楽しい出会い、感動があるが今回も。

 お盆休みの時期、何人来るか…。会場のFIELDは40人定員。前回、魚河岸築地でのまつりは、おいしいお寿司にもつられて40人だったが…。夏休み自主出勤で前回のブログを書き終え6時、夕7時開始のまつりにいざ。

 その時、向かったら遅刻しなかった。向かおうとした時、電話が。「ただいま夏休み中…」の留守電を入れてなかったか…、と出ると京都のうたごえの方から(名前を聞かなかったので後で大変)、「17日着指定のうた新がまだ来ないのですが」。

 すわっ、大変。宅急便の元に連絡すると、「調べてすぐに折り返し電話します」とのことで待つ。15分経っても電話が来ない。再度連絡すると、「電話の後、すぐ配達員と連絡して再配達したが、先方不在」とのこと。「そのことをなぜすぐに連絡しない」云々…のやりとり。そういえば京都の方、受け取り指定以外の場所(階下の別会社)にいると言っていた。その連絡先を告げ、対応を頼んで…、ということで30分が過ぎてしまった。

 うた新を宅配で受け取られるみなさま、必ず指定した場所で待って下さいね。

 それとこのように宅配の新聞が届かないという時は、佐川急便問い合わせ番号☎03・3528・2090に電話して、送り状№120906380007と言って下さい。すぐに探索してくれます。よろしく。

納涼うた新まつり~ほんとに飛び入りさんも

2010年8月17日 火曜日

20100817うた新まつり (3)  電話を切っていざ、FIELDへ。大井町の駅を出たら右手に左手に、そば屋に薬屋と案内はされていたが、わからん。駅から7分とのことだけど、住宅街の一角のお店にたどり着くまで目印の三つ叉交差点を何人の人に聞いたことか。いよいよ近くなったぞ、でももう一人聞かなくてはと思っていると暗い中から「三輪さーん」と呼ぶその声は、わがうた新社鏡記者。ここは彼のすまいのエリア。

 「三輪さんが迷っているだろうから」と言われて自転車で探しに来てくれたのだった。ありがとう。どっと吹き出る汗をぬぐいFIELDのドアをあけるとパチパチパチと拍手で迎えられる。いや、いや、どうもどうも。室内を見渡すと東京のうたごえ専従、Yメンバー大熊君作成の大漁旗に「うた新まつり」の文字、ちょうちんも飾られ、参加者は最後に17人になるという数だったが、納涼気分。

 いつものようにうた新をまんなかに歌い、語るつどいが始まろうとするその時、「マスター!」とFIELD常連の近くのお寿司屋さんが顔を出し、「きょうはなんのもよおし…」と聞く。「どうぞ、一緒に」と大熊君、「歌いましょ」と合唱団白樺の井藤さんも声をかけ、「いいんですか」「はい、会費2000円です」。「では3000円払います」「いいんですよ2000円で、二杯目から飲み物は別ですから」…、本当に飛び入り参加で、納涼うた新まつり開始。

 今回は、8月の紙面にちなんで、それぞれが平和へ、そして日本のうたごえ祭典in長崎のことを語り合い、歌う。

なんと船で大島から 飛永さん~感動の集いが豊かな紙面へ

2010年8月17日 火曜日

納涼うた新まつり パート3

20100817うた新まつり (2)「私も大島でみんなと歌いたい。そのためにアコーディオンを買って…」と語った伊豆大島から参加の飛永さん(写真左端)。 まつりの後、11時発の船で帰るという。
 うた新を読んでいると、活発な活動におちこんでしまい、一時購読をやめていた。けれど…、60年安保・三池の頃、大牟田で生まれ育った、その頃から心にしみているみんなで歌う楽しさ、力強さ…と語る飛永さんに新聞は応えなければ。 でも今も紙面には、活発な活動を創り出すまでの苦労も伝えられていると思う。最新号8/23号の東大阪センター合唱団ソカロの通信にも、それは書かれている。この他、どん底のサークル・合唱団がそこを乗り越える過程、なにもないところに種をまいて応えてくれた人たちで始めた…、詳しい記述ではなくてもそこには活発な活動の背景がある。そこを読んでほしいが、そう読まれるように伝えなければと思う。

20100817うた新まつり 大島でみんなで歌う場を、と飛永さんはアコーディオンを習っている。その飛永さんの伴奏でみんなで歌おうと、大熊君はアコーディオンを担いできた。さすがあ。「遠い世界に」を飛永さんのアコ、大熊君のギター伴奏で歌い、持って帰ったもらう歌として「一本のペンで」をみんなで歌った。
「遠い世界に」は、ずっと聞いていたお寿司屋さんの、「私はフォークが好き。みなさんもいい活動されていると思う。ちょっと左かがっているようだけど。まっ楽しく歌いたいでな」、も心にとめて選曲。
飛永さん、お寿司屋さん、参加した人たちの一言、それらみんなが紙面を豊かにしていく。 ちなみにFIELDはお酒と料理の店、ライブやイベントも行う。南部合唱団団員の大寿美幸子さんの映像作家でもある息子さんが経営。そして、お店と一体に何世帯住宅か大寿美さんのお屋敷。お孫さんもまつりに参加。