2010年7月 のアーカイブ

第78回機関紙大学

2010年7月31日 土曜日

 7月30、31日は、毎年の日本機関紙協会の機関紙大学で、記事の書き方・取材の講座を受け持った。今回は、私のコースは18人の受講生。講義の後、各自の文章の相互批評と私のコメント、添削だが、今回も初稿と二稿の大きな変化に一同、感動して終えることができた。

 その中の一人は長野からの参加者で、最後の方で「うたごえ新聞の読者です」と言われ、ええっ、感激。だが、うたごえ新聞の記事の悪い見本など言ってなかったかしら、ひやり。大丈夫だ、たぶん。言っていないはず。

アンポ丼、おいしすぎない?

2010年7月28日 水曜日

20100728  演劇界でも若いエネルギーが。今年は60年安保の闘いのなかで誕生した新劇人会議結成50年。その50年記念イベントが、若い実行委員メンバー中心に準備されている。題して“アンポ丼 ウマイか マズイか”。8月12日。会場は、なかのZERO小ホール、小ホールといえども2公演1100席を満席にしようと取り組んでいる。

 応援せねば。しかし、超忙しい。幸い、実行委員長の相楽満子さん(写真左)は青年劇場の団員で、青年劇場で取材するならタクシーで10分。走っていきました。

 その前に、新劇人会議誕生50年を記念して作られた冊子「安保体制打破 新劇人会議」を読む。そこにあった劇団民藝の田口清一さんが書かれた「新劇人会議 誕生への道」は、60年安保で新劇人がいかにたたかったか、臨場感迫るドキュメンタリータッチの素晴らしい一稿。引いた赤線もいっぱいになった。

 杉村春子、宇野重吉、滝沢修、千田是也…錚々たる役者、演出家がデモの先頭に立ち、宇野重吉の演説のシーンなど、すぐれた俳優がその力をこういうところでいかんなく発揮する、とうなった。そのデモを励まし林光氏が曲を書く…。

20100728アンポ丼  ところが相楽さんは、その学習会もしたし、当時の映画も観たが、「遠い」と言う。彼女は30歳。無理もないか。いえいえ私だってそりゃあ当時は子どもで…。同世代の友人は「わけは分からなかったけれど“安保ごっこ”をして遊んだというが、私の子ども時代の周辺は、とんと何もなかった気がする。

 だけど、たぶん私は70年安保で追体験しているのだろう。

 田口さんの原稿からかつて、日色ともゑさんにインタビューした時、日色さんが話されたことをあらためて納得する。「60年安保反対での新劇人会議のデモ隊列を信号待ちで迎えるように見た時、私の生き方は決まった」。

 ところで、相楽さんたち。とはいうもののしっかり今の若者目線で安保と今を捉えようとしている。

 「このチラシ、アンポ丼 おいしそう。アンポ丼がおいしいってちょとへん」と私が言うと、「それをねらいました。安保の矛盾を知っている人はそう思う。関心のない人は何これ? ここからです」。

 さすが! 頭の固いオバサンはまいった。

ますます頼もしい高校生~林田光弘君と中尾悠衣さん

2010年7月28日 水曜日

今度の金曜日発送のうたごえ新聞は8/9号、被爆65年ナガサキ、その日。この1面はもちろん、長崎からと考えていた。新年号からたびたび登場の、祭典普及曲「一本のペンで」の原詩メンバー林田光弘君と中尾悠衣さんが登場。

20100728林田光弘20100728中尾悠衣 この2人は8月7日、田上長崎市長や天野国際原子力機関事務局長ら国際ゲストが登場する国際平和シンポジウムのなかで対談する。朝日新聞でこのことを知ったのは7月半ば。新聞には彼らの顔写真も載っていた。林田君はNPT・NYでのスピーチも注目されたことが伝えられている。決まり! 彼らからこのシンポジウムに臨む想いを寄せてもらおう! 

 だが、たこ足配線よろしい私の日常業務。ついつい連絡するのが遅くなって締め切りが迫ってきてしまった。だめか…と思いつつ林田君にメールすると、なんと! 「ちょうど、シンポジウムで話すことをまとめていますのでそれを送ります」との返信。

 中尾さんは住所は教えてもらっていたが、今からお手紙では間に合わない。そこで彼らのパトロンとも言うべき平野先生に、かくかくしかじか、中尾さんの携帯番号教えてください、と連絡する。ここで個人情報云々と言われたらどうしよう。ところがここでも平野先生は「了解です」と番号を。すわっ、悠衣さんに電話。すると彼女も「私もまとめていますのですぐ送ります」「『一本のペンで』についても一言」「わかりました」と、若鮎のように2人からの原稿が届く。

 NYでの体験も含め林田君、「一本のペンで」にも触れて悠衣さん。2人のまっすぐな姿勢に、編集しながらまた感動。

9年ぶりに取材“サダコ”の佐々木祐滋さん

2010年7月21日 水曜日

 どこから書いたらいいのか、わからなくなるほと、日にちが過ぎてしまったこの20日間。
明日は8/2号の校正。この号のトップは、今大ヒットしているクミコの「INORI~祈り~」の作者、佐々木祐滋さん。広島の平和公園に建つ“原爆の子の像”のモデル・佐々木禎子さんの甥で、シンガー・ソングライターの佐々木祐滋さん。(写真右)
9年前、こんなアーティストがいる、と聞いて取材に行き、その歌唱力と最後は会場中のシングアウトに持って行くコンサートの進め方に感心し、早速取材を申し込んだ。

20100723佐々木祐滋 それから9年、ラーメン屋の店長をしながら歌をつづけていると聞いていたが、ここに来て、彼が作った歌がクミコの歌で大ブレイク。
私たちとしては書き手本人に取材したいと出かけた。
9年前、福岡で理髪店を営んでおられた父親の雅弘さん(禎子の兄)とも電話でお話ししたが、今は禎子のこと伝える講演活動をされているという。

お父さんと祐滋さんは昨年、NPOサダコ・レガシー(遺産)をたちあげ、曲もその時作ったという。「もちろん、自分も歌うが一人でも多きの人に」とクミコさんでのカバーを考えたという。このあたり、真摯な音楽家の姿勢を見る。
そして、被爆から65年、「もう65年」「まだ65年…」話は深い。 内容は紙面を。「お久しぶり」「本当に」。「良かったですね。今、ヒットしてます」という会話の後、「40にしてメジャー・デビューです」と佐々木さんのCD「INORI~祈り~」もソニーミュージックから出る。そして左手薬指にリング、07年に結婚。良かったね。

心地よい音楽と爽やかな刺激

2010年7月20日 火曜日

7/19号紹介 シネ響「マエストロ6」の試写会&トーク取材

20100723Maestro6 発行最新号の7/26号はもう先週。シネ響「マエストロ6」。この試写会&トークの取材は期待して行った。第1弾サイモン・ラトル指揮、さらにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、好きな曲。ラトルは、映画「ベルリン・フィルと子どもたち」や、ベルリン・フィルが市民にクラシックを親しんでもらおうと開いている野外コンサート等、市民に広げる活動に注目していた。この世界的指揮者は55歳。今回、世界6人の指揮者に入るのは納得。

 そして6弾シリーズには、ダニエル・バレンボイムも。以前、世界の音楽家を撮り続けているカメラマン木下晃さんを取材したことがある。木下さんがバレンボイムのことを熱く語っておられた。彼は世界的ピアニストでもある。以来注目していた。イスラエルとパレスチナの問題、簡単には解決できないが、その境界線での平和コンサートを提唱したことも、7/12号、池辺先生の「生きることはすべて政治に係わる」とまったく符合する。シリーズ最後のグスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリーバル・ユース・オーケストラも見逃せない。

 映画の感動は紙面で伝えたとおり。
(写真は、マニンガー氏とベルリンフィルにも詳しい小説家島田雅彦氏)

 トークでは、ベルリン・フィルの首席チェリスト、オラフ・マニンガー氏の「芸術にランキングはあたらないが、トップクラスのオーケストラというのはいくつかあると思う。その条件は3つ。一つは時の流れを持つ伝統、もう一つは一人ひとりの奏者が責任をもっていること、そして、新しいお客様を開拓する力」。特に2と3は、プロのオーケストラでなくても、合唱団にとっても大事なこと、と頷いた。

11カ月で被爆 三田律子さん(日本のうたごえ祭典in長崎に)

2010年7月15日 木曜日

20100723三田律子さん  7月15日は、合唱団白樺の三田律子さんに取材。きっかけはうたごえ新聞に紹介した楽譜「あの子」から。「この歌、あなたがいつも歌っている歌だよね」、三田さんの夫の一言から。この歌の歌碑が長崎の山里小学校にある。三田さんはその学校で学び、ずっと歌ってきた歌だった。長崎に原爆が投下された時生まれて11カ月の三田さん。作詞の医学博士永井隆の子どもたちとは一緒に遊んだ。そして、やがて原爆症によって自分が死んでいかなければならない永井博士の想い…。

 三田さんは、原爆投下直後の悲惨さは11カ月の自分にはわからないが、原爆によるその後の健康への不安、生活の苦労は身にしみていると語られた。あらためて、原爆がひとたび落とされたら、とその後ずっと続く日々を知った気がする。記事は8/9号に掲載。

福井のうたごえメンバーに助けられ(福井高教組婦人部の総会でお話)

2010年7月11日 日曜日

20100723Fukui01  7月10日は、なんと福井県高等学校教職員組合女性部の総会でお話しさせてもらった。「ねがい」の広がりと背景を中心にということで、私なんぞに、と尻込みしたが、福井の斉藤清巳さんの、高教組にうたごえを伝えるチャンス、歌で応援に行くから、と聞いて、私で役に立つなら、と。引き受けると本「世界をつなぐ歌『ねがい』」もひろめたい、新聞も、と欲張ってでかけた。

 途中、がっかりさせたらどうしよう、引き受けるんじゃなかったという想いも何度も頭をよぎったけれど、進しかない、と福井へ。

 参議院選挙投票日前日、諸処いそがしいなかを福井のうたごえメンバー14人が話す前と後で「ねがい」を演奏。とてもうれしかったし、背中を押された気分。後の方では私も一緒に歌った。

 終わった後、福井のうたごえのみなさんとお茶を。「みなさん、じっと聞いて下さっていたけれど、リアクションがあまりなかった。おもしろくなかったんだろう」と言うと、「福井県人はあまり表に出さないから」となぐさめてもらう。そして、帰りには福井のおいしいお菓子や私の大好きな越前そばおみやげもらって、福井のみなさーん! お騒がせしました!