2010年5月 のアーカイブ

キム・ロザリオさんと連絡が取れた!・・・その前に

2010年5月28日 金曜日

20100525うた新祭り25日は、東京のうたごえプロジェクトY主催“うた新まつりin築地”。うた新をまんなかに出会い・つながりを広げる“うた新まつり”。都内を縦横にと今回は、築地市場移転問題はそもそも、築地のお寿司をたべて学び・交流しようと開かれた。

 東京総支局長の大熊君作の、大漁旗でデザインした“うた新まつりin築地”の看板(?)もイキイキ、お寿司も魅力だったが、なんとこの日は38人が参加。第1部は、中央合唱団団籍を持つ、地元中央区の区議会議員で築地市場で働いたこともある志村孝美さん講師で、「築地移転問題とは」。講義の前には志村さんもメンバーの男声サークル“ヤローズ”の歓迎演奏「津軽平野」、渋い! 聞かせた。つづいて東京郵便合唱団、新婦人コーラスエーデルワイスなど、中央区のコーラスの演奏が聞けたのも良かった。

  志村さんのお話から、なぜ築地移転問題が起こったのか(いわゆる大型店・大型スーパーでの大「合理化」だということ)、合わせて、築地市場文化、築地の食文化、築地の町文化を知ることができた。そして、築地の町に愛着が湧いてきた。うた新でも紹介したい。私のNY取材の話も少し入れて、いざ第2部へ。店の名の通り、すし三昧で、食・文化を堪能した。

 

  明日(5月29日)は長崎。日本のうたごえ祭典in長崎特集号の準備と取材。翌朝は山口・下関へ。5/17・24号に紹介した、市民運動で作られた文化ホールの開館記念の一環として開かれる下関市民合唱団演奏会を聴きに。そしてそのホールもしっかり見て来よう!

 

  と書いている最中に、なんと! NYで探し続けたキム・ロザリオさんからメールが来た! 「会いたかった、残念! 私がメールを見たのは…」。ああなんと…。いやいやとにかくメールはつながった。ここからだ。

ストレートで美味しいうたごえ新聞

2010年5月28日 金曜日

  NYで4日間、私の通訳をお願いした名井さんからメール。「〽歩いて行こう…、と思わず口ずさみながら、タイムズスクエアへの職場まで自転車を走らせています…」。5月2日の国際デー大行進も彼女はずっと一緒に行進した。すっかりこの歌を覚えてくれたのだ。

   22、23日は自治労連全国機関紙講座の講師をしてきた。「今機関紙が出番です」というタイトルで90分、お話させてもらい、その後、夕方までと翌日の正午まで分科会「記事の書き方・取材」の講師をつとめた。分科会の方は同じ趣旨でこの間、日本機関紙協会主催の機関紙大学でも担当しているが、お話はやや緊張。用意したレジュメは半分以上意味がないほど話は別の展開へ。受講者の顔と反応を見ていると別の話が次々に出て来てしまう。南部合唱団の柿下さん、同じく公共一般のよく知っている人も参加していて、目線が合うと、いやぁ照れる。

 分科会の方は、いつものように、受講者に講義と取材・文章作成を実践してもらったが、「初稿」とアドバイスの後の「決定稿」に、参加者から「みんなの文章も魔法のように変わっていったのは驚き」と感想が出され、ほっ。私の分科会受講者は10人だったが、そのなかにすばらしいバスの人が2人いた。ああっ、この声ほしい、と私でさえ思ったのだから、合唱団員ならなおさらと、関係ないことも思いつつ、つとめ、終えた。

 

20100528森村誠一  22日は、その足で森村誠一氏にインタビュー。6月19日の、神戸市役所合唱団の太鼓衆団輪田鼓公演「おくのほそ道」(本日発送の6/7号1面)に関しての取材。内容は紙面にも紹介したが、森村先生の芭蕉論そし俳句と太鼓論に感動。なぜ芭蕉が“俳聖”か、氏が語る「これが本当の人間の蕉命」には、笑いながらも納得。

  もう一つ、森村氏は、輪田鼓、神戸市役所センター合唱団の代表田中嘉治さんのことを「カップリングの名人」と言われた。田中氏のカップリングは、森村先生と池辺先生コンビもその大きな一つ。「ここに、池辺先生がおられないのは、クリープのないコーヒー」と森村氏が言われると、田中さんも「氷のないオンザロック」、…。

南部合唱団「生きる」を聴く

2010年5月21日 金曜日

20100524 No2201-1men 先週金曜日に発送した5/17・24号。カラーでNPT・NYうたごえ代表団の活動第一報。昨日の南部合唱団演奏会会場にも同団からの代表団の写真報告とともに展示されていた。「おお、なかなかいいじゃない」、と自画自賛。

 ところが、これではうたごえのことしか伝わらない。そこでは他にどんなことが、NYの人々の反応は、これも新聞には必要だ。うたごえも大奮闘したが、NY行動では世界のNGOによって無数の集会、シンポジウム、コンサートも多彩かつ精力的に行われ、国連本部では日本被団協による原爆展が国連主催で行われていた。取材した範囲だが次号で紹介。

 私たち、私が今回観、関わったNY行動はほんの一部、たくさんの人たち(特にアメリカ初め外国の人々の)がいろいろな場で発信したことを知り合う必要がある。同時に、NY行動では、被爆者を初めとする被爆国日本の発信が核兵器廃絶に大きな力を持つとことをあらためて感じた。

 

 

 南部合唱団からのNY代表団も同じように感じただろう、と思う今回の同団音楽会はプログラムだった。

20100520南部合唱団 (2) いつものように1000余の会場をほぼ埋めて、今回のテーマは今の社会状況のなかで「生きる」、力を。第1部の「原爆を許すまじ」から「We shall overcome」の構成は、そのためにも平和がベースということを、NPT・NY行動の映像をバックに伝えた。歌い込んだ曲、映像も効果的でよかった。2部構成の全体最後は「私たちが進みつづける理由」「生きる」を持ってきたのもよくわかった。  演奏は、コーラスにするには難曲の「We are the world」でオープニングだったため、くいつきが大事な開幕にはやや不安。その後「原爆を許すまじ」から「いとし子よ」「日本国憲法第九条」「We shall…」。「原爆を許すまじ」は荘厳に響いた。特にピアノ演奏とピアノアレンジ(ピアニスト中瀬千央)が秀逸。後で聞くと、被爆65年、NPT・NY。東京・南部から生まれた「原爆を許すまじ」を歌いたいと持ってきたという。

20100520南部合唱団 途中の、男声・女声の演奏はともにちょっと苦しかった。第1部最後の創作太鼓「風21」は聴衆をつかみ、第2部の合唱は「しあわせよカタツムリにのって」と「私たちが進みつづける理由」、聴き応えがあった。

 本団41人にしては声量、一つ一つの曲から伝わるドラマが今ひとつ弱いのはなぜ。落とした照明のため、それが強調され、せっかくの映像も栄えないのが、おしかった。などなど率直に思うが、第1部のプログラムと「私たちが進みつづける」は聴かせた、今の時代にアプローチした音楽会に拍手である。

 

 こうしてブログを書いていて、頭をよぎったのは昨夜のニュース、今朝の新聞の「普天間基地移設、名護・辺野古明記」の政府案。許せぬ、と予定の次号紙面構成を変えることにする。

NY、キムさんに会いたい!

2010年5月14日 金曜日

みなさん、ご無沙汰です。
 やっとブログに向かえる。

  4月25日、沖縄県民大会取材で直に感じた沖縄の怒り。そのマグマが私の頭のなかでまだわんわん音をて立てているなかで、荷物をもとめてうたごえNPT・NY行動取材へ。

 本日その第一報を出して、一息。

  NY、私の取材背負篭はいっぱいになった。

  しかし、今回は背負い篭がどれだけ満たせるかとても不安ななかでの出発だった。もちろん、うたごえ代表団の行動取材、それは感動的な出会い・場面があるだろうことは確信していた。が、プラス独自取材は、となると心もとなかった。

 まず今回、NYでキム・ロザリオさんに絶対会いたいと思った。

 うたごえ代表団は演奏曲に、被爆国の平和のメッセージを託す歌と同時にアメリカ野一人の母親の思いを綴ったキム・ロザリオさんの詩から生まれた「私たちが進みつづける理由」をあげていた。今、この歌を歌う意味、それもアメリカで歌う意味はとても大きいと私も感じていた。

 

 この曲は07年末、ジャーナリストの堤未果さんへの取材がきっかけで生まれた。堤さんの著書「報道が教えてくれない アメリカ弱者革命」の巻末にあったこの詩をぜひ合唱曲したい、と思い、堤さんの了解、堤さんからキムさんの了解を取ってもらった。「曲をとても楽しみにしています」との伝言ももらっていたのだ。08年にできあがった曲はうたごえ60周年記念曲とし全国合同で歌われ、そのテープも堤さんを通してキムさんに届いているはずだ。

 堤さんに連絡をとり、今回NYでぜひ会いたいと、出発までメールを出し続けたが、返信なし。

  キムさんだけに目を向け、取材の事前調査がほとんどできないままの出発となった。「向こうでジョイントコンサートをするレイバーコーラスや、一緒に演奏する歌手ディナ・ハンチャードさんの取材もある。キムさんのアドレスも分かっているのだから、なんとかなるよ」、小沢さんや、この間、英語での連絡をとってくれていたエーちゃんこと斉藤一正さんのことばを頼りにいざ、NYへ。

 

        ヌードルワウエ?

 

  成田からミネアポリス乗り継ぎでNYへ。ミネアポリスまでの飛行時間14時間。機内は緊張する。なにせチキンが絶対NGの私、機内食に一喜一憂。二者択一だったのでスチュワーデスの問いに耳も真剣。初回はビーフオアチキンで、ビーフ、セーフ。次、「ヌードルオワエ?」と来た。ヌードルと「エ」って何、と「エッ?」と聞くとサッと出て来たのが「エッグ」。エッグなのか、良かった。

 いやいや、英語は聞き取りにくい。

 行き帰り、この航路では北九州青い空合唱団の美濃部恒子さんの隣。美濃部さんの勢力的な活動を聞き、関心。託されたというピンセットで織ったという折り鶴がつけられたしおりにも関心。うたごえ代表団はそれぞれに折り鶴や和紙の人形等々を持参している。歌と一緒にそんな心がNYで羽ばたくと思うと派遣運動に託された大きな平和への心をあらためて感じた。

NYのナイス・パートナー 名井!

2010年5月14日 金曜日

 時差、飛行機の遅れを合わせてNYのホテルに着いたのは4月30日夜。その夜はやはり、取材対象不明のプレッシャー、時差ぼけもあったのだろう、ほとんど眠れなかった。文字通り摩天楼の中のホテルは一晩中、ゴオゴオと風の音とサイレンがきっきりなしに聞こえる。

  しかし、この不安を消していってくれたのが、滞在中私の通訳名井陽子さんだった。NY在住13年。人形劇での舞台芸術家をめざし、NYで果敢に生きる(4日間、彼女と行動し、まさにこのことばがぴったり)彼女と30日朝、ホテルで会い、打ち合わせをした時から救われた。

 名井さんは、うたごえ新聞でも伝えてきた前回のNPT代表団以来、お世話になっている関西合唱団団員、NY在住の小玉洋子さんからの紹介。

  30日朝、ホテルで名井さんと初顔合わせ、即打ち合わせに入る。私は、キム・ロザリオさんのこと、キムさんに会いたい理由、今回の滞在中NYの合唱団、文化団体等、NPT関連行事での取材をしたいが、一緒に対象を探すところから、お願いしたい、と話すと、「わかりました」と一つ一つメモし、iphpneを操作。さっそく、「出ました。キム・ロザリオ」。教えられていたアドレスは使われていないのではないか、代わりに彼女のマイスペースがわかった、「アクセスしましょう」とてきぱきと対応。頼もしい。

 

広島の縁

 

   打ち合わせを終えて、グランドゼロ等に向かう体表団と同行。

   最初の演奏、自由の女神をはるか後方に、グランドゼロに向かって「ねがい」「青い空は」を献奏する代表団の演奏をじっと聴き入る男性に私の目が向くと、名井さんは「いきますか」(取材しますか)と合図を送る。うなづいて取材開始。このショートインタビュー、ヒロシマとアウシュヴィッツがつながるとは…(うたごえ新聞5/17・24参照)。

  名井さんは、代表団が歌う「青い空は」を聞きながら、「私この歌、中学校の時、歌いましたよ」と言う。そこから、ええ、どこの中学、出身は…、と名井さんの略歴質問。広島出身。広島女学院中学、高校、大阪教育大学で体育専攻、体育教師から身体表現・舞台芸術を極めたいと渡米。両親は教師だった。するとなんと、元教師広島合唱団の山岡靖子さんは、「名井先生の娘さん?」「はい」。不思議な縁だ。

 

             日本と似ている! アメリカの労働運動

 

  この日はこの後、レイバーコーラスの取材。

  労働組合の中から生まれた労働者合唱団レイバーコーラス、詳しくは5/17・24参照。紹介できなかった部分。

  アメリカの労働運動の盛り上がりは、1950年代から1968年がピークでそのあと1995年まで一気に下降しているという。ピーク時組織率は35㌫、現在徐々に上向きだがそれでも13㌫。この下降線にはなにがあったか。労働組合をつぶすため大企業経営者は会社を倒産させ、労働者を解雇し、あらためて新会社を発足し、その時、新採用には労働組合員をとらない。そんなことが繰り返されたという。

  似ている。日本と。炭鉱労働者の大きな闘いがあったが、そこでも同じことがくりかえされた。「日本も? そこで歌が生まれていますか?」との質問、まさに日本と同じ。「地底のうた」だ、そして今の大リストラだ。

 米ソ連戦、大軍拡時代、その後のアフガン、イラク戦争で軍事費は跳ね上がり、米国民の暮らしは大変だ。今、オバマ大統領で少しずつ変わりつつあり、期待しているという。「労働運動は平和・核兵器廃絶とつながっている。が、今、米国労働者のもっとも大きな関心、ねがいは仕事を、安定した暮らしを、である」というコーラスの人たちの話に、「私たちが進みつづける理由」だ!

  私がそう言うと、「キム・ロザリオを知っているよ」と言う。このことばに飛びつく。「彼女が所属していた組合がある」とレイバーコーラスのボブ副団長は早速携帯電話で連絡してくれる。二つのルートが分かったが、一つはもうやめているらしい。もう一つをあたるというボブ氏に祈る気持ちで連絡を待つ。

ブロードウエー・ミュージカル

2010年5月14日 金曜日

  4月30日、この日、夜はフリー。せっかくだからブロードウエーのミュージカルを観よう。「シカゴ」は来日公演を観たし…、と「マンマミーヤ」に決定。山岡さん、北海道の大塚園子さん、東京の加山明美さんたちと申し込むと、すでにこの日のチケットはソールドアウト。

 ブロードウエー・ミュージカル、何軒かのミュージカル劇場が並ぶ通りと思っていたが、なんとその通りの長いこと。「オペラ座の怪人」「シカゴ」「ライオンキング」「ヘヤー」などなどいくつもの興業が同時進行連日ほぼ満員で行われるのだという。しかもその劇場は1500人入る大劇場で180日、200日続けて80パーセント以上の入りでやるのが、ブロードウェー・ミュージカル。それより小さい500人規模の劇場がオフ・ブロードウェーで、いずれも入りが50パーセントになるとその公演はおしまい、と聞いてため息。

  ソールドアウトで残念と名井さんに言うと、「なんとかしてみましょう」と言う。ええっ。舞台芸術にとり組んでいる彼女はそのつてで切符が入手できるかも知れないと言う。それを聞いて兵庫の松本英治さん「僕も行く!」。総勢6枚を頼むとしばらくして、「入手できました!」と名井さん。

 

          私、ブロードウエー・ミュージカルの舞台に立ちました!

 

20100514TwoShot そしてなんと名井さんが、「三輪さんは記者、この機会だから『マンマミーヤ』の小屋でバックステージのボスを紹介しますから、舞台裏を案内してもらいましょう」。えええっ。本場のブロードウエー・ミュージカル劇場に入るのも初めてなのに、バックステージが観られる?!

  劇場裏口に行くと、「オー! ヨーコ!」と、劇場のボス、フランク・ロフプレンさん。そして、ではではと今から始まるミュージカルの舞台裏を案内。ここが着替えのセットだよ。衣装はいくつもあるからこう並べてある。イヤリング、アクセサリーはこうしてと壁掛けのようにいくつもいくつも並ぶ。靴は、と見せてもらうと15センチはあるシルバー色のハイヒール初め何足も。ここは音響調節だよ、とソロ、楽器、コーラスと音に合わせたブースがいくつも。オケピットはここで、指揮者はあそこに立つんだ。舞台に立ってみる、写真撮ってあげるよ、とフランク氏。

 なんと今から幕が開く舞台に私、立ちました。フランク氏が記念の写真を。そして、フィナーレでヒロインが着るドレスを私に当てて、これも撮ろう。ええっ!そしてそして、これから舞台に立つヒロインに私を紹介して、彼女とのツーショットも撮ってくれる。

 「三輪さん、これはこれはですよ。私も何人が案内してるけど、こんなサービスはちょっとないですよ」と名井さん。私は興奮気味にカメラに収まり、夢見心地でフランクさんに案内されて劇場の自分の席へ。

  これは夢かしら。いやいやちゃんと写真に写っていた。

  

  「マンマミーヤ」、文句なく歌唱力にしびれ、フィナーレの、これでもか、と聴衆を堪能させる歌と踊りに、フー、満足。名井さんに感謝!

  劇中、どっと観客が笑っても、英語だから分からず笑えない私たち、いや私。ちょっと悔しい。英語の教師だった山岡さんは、ふふと笑っていたよ、と大塚さん。私たちの席は端っこで、端の方で演技されると見えない。でも文句は言えない。やっととってもらったチケットなのだから。

 あとで名井さんの説明。あの席はゲスト席なのです。有名人が来ると座る席で、観客が「きようはあの人が来ている」と指さす席なそうな。2階席の客席から一番よく見えるそのゲスト席に座ったのは、大塚さんと山岡さん。あの日の観客はゲスト席を見て、どう思ったでしょう。

新江義雄(山ノ木竹志)を一緒に連れてきたよ

2010年5月14日 金曜日

 5月1日、セントラル・パークでうたごえ代表団3時間余に及ぶ署名行動とパフォーマンス。今回はアコーディオン、ギター、ヴァイオリン、ピアニカ、太鼓などなどうたごえ本領発揮のパフォーマンスはさすが。注目を集め、署名も1000筆を越える。

  北海道と同じ気候というNY。緑の木々とさわやかな風が吹くが、快晴、炎天下のセントラルパークは暑い。そこで太鼓チームは特に連日汗びっしょりだったという。署名活動、写真やそれぞれの体験はうたごえ新聞で。

  夜のうたごえ交流会までの時間、私は名井さんと、ユニオンスクエアでアメリカのメーデーを取材。移民の人たちが労働権を求めるプラカードが多い。ここでも、NPTのこと核兵器のことを聞くと、平和はもちろん、核兵器も反対だが労働者の権利を、暮らしをよくしたいという答えが返ったきた。

   その後、名井さんとブロックリンに行き、ヤング@ハートの演奏を聴く。

  ヤング@ハートはつい最近日本公演から帰ったばかりという日本でも注目の高齢者合唱団。年齢は73歳から89歳。一人ひとり舞台に登場する時は、足下もおぼつかない感じで杖をもったり、手押しの車で登場するが、衣装はびしっとスーツを決め込む紳士、あでやかな衣装の婦人などなど。彼らはいざ歌い出すとその張りのある声、澄んだ歌声。マイクを斜めにロックも歌う。そのバイタリティ溢れる歌声に魅了されて1時間半。生きる姿がダイレクトに伝ってくる。感動!  ブルックリン・ヴィレッジ近くの倉庫を改造したようなホールに、満席の聴衆はもちろんスタンディンク・オベーションである。

 団員に演奏後ショートインタビューすると、「歌うことは生きること。楽しい。練習? 週に一度よ。声は特別訓練していないわ。子どもたちにも支持を得られる演奏を」と応えてくれた。海外公演も多く、日本では東京、大阪などで公演、「日本はとてもてとも美しい国」と言う。うたごえ新聞でも紹介したい。  劇場のビュッフェで食べたブリトー(小麦粉の皮にご飯と野菜を包むんだもの)久しぶりのごはんがおいしかった。

  夜はうたごえ代表団や他の日本からの代表団との交流会。「ねがい」(山ノ木竹志=新江義雄作詞)を歌い続けるというこの歌を生んだ広島・大州中学の現教師角崎裕美さん、「ねがい」を世界に発信した“ねがいコネクション”の長田寿和子さんも参加。そしてみんなで新江さんの「ねがい」「人間の歌」を歌っている時、北海道の大塚さんが懐から何かを出している。昨年亡くなった新江さんの写真だった。広島の山岡さんも写真を持ってきていた。

 「このNY行きの話が出た時から、絶対に行く、と言っていたから連れてきてあげたのよ」。涙。

  この交流会ではバースデーのサプライズも。(うたごえ新聞5/17・24) こうして刻々とNYの日は過ぎていく。ミッドタウンのホテル近くですてきなお店を東京・合唱団白樺の井藤綾子さん(娘さんがNY在住)が見つけ、おいしいベルギー・ビールと料理を堪能。特大ハンバーガー、ぞうりのようなステーキと聞いていたが、今回はそれらは食さず、野菜豊富なこの店の料理が気に入った。で、この店でNYさよならパーティをすることに(この日のメニューは別のものだったが) 

 5月2日、核兵器のない世界のための国際行動デーがメイン。私は名井さんとNPTの宗教者NGO会議を取材。くわしくはうたごえ新聞で紹介するが、キリスト教、ネイティブな現地の宗教、日本からは天理教、神道から登壇。讃美歌が聞こえ、祝詞がうたわれ、太鼓がドラムを交えた会議だった。キリスト教からは長崎から被爆マリア像が登場した。

 「日本からですか。原爆を落としてごめんなさい。まず謝ります」、ショート取材にまずこう答えたアメリカの女性のことば今も耳に残っている。

 行進の出発集会タイムズスクエアへ。うたごえメンバーはどこ? そう思っていると東京の大熊君のギターと歌声。ここだ、合流。しかししかし、炎天下、ずっと大熊君らが歌っているが、他のメンバーがいないし、第一、2000人近く来たはずの日本人が少な過ぎる。加山さんに携帯電話で「どこにいるの?」「最初に言っていた場所から北へ。LOFTの前」。ええっとあわてて移動。しかし、通りを埋めた出発集会、道が横断できないように張り巡らされた柵は遙か彼方までつづく。もはやうたごえメンバーの所には行けない。しかたがないから、行進が通だろう地点に先回りして待つ。よって出発集会のあいさつは途切れ途切れしか聞けなかった。残念。

  2時間の出発集会が終わって出発。デモ行進の模様、各自の想い、うた新で。 

  デモ行進の集結地点ハマショルド広場に着くと、私はホテルに戻って、今回のNY行動をサポートして下さったたくさんの人たち、その一人、練習会場等を手配して下った声楽家・コーラスの指導者佐藤早穂子さんにインタビュー。NYに住む日本人として、合唱団、音楽を通して相互の理解と文化の懸け橋になりたいという佐藤さん。詳しくはうた新で紹介。

 佐藤さんへのインタビューを終え、次、“ビリー牧師とゴスペル合唱団”の取材へ。夕食をとる時間がなく、この移動の車の中でとる。機転がきく名井さんがごはんのお弁当を買ってきてくれた。うれしい! しかし、キチン弁当うあっ!横のコロッケだけをつまんで、ビリーさんのもとへ。

  合唱団の練習風景が見られるなら、と広島の高田さん、山岡さん、秋本さんも一緒に。“ビリー牧師”詳しくはうたごえ新聞で。ビリーさんに取材している間にゴスペル合唱団の練習を見学していた広島メンバー。最後にあいさつと感想を求められたそうで、山岡さんがきっと英語ですてきなメッセージをしたと思う。帰りに、ぜひあなたたちの歌も聴きたいと合唱団のマネージャーは言う。

 ビリーさんの取材を終えて、広島メンバー、名井さんと私の5人。「日本食、居酒屋が恋しい」というリクエストに応えて、名井さんが連れて行ってくれたのは看板もメニューも箸袋も日本語の店「ケンカ」。ビールはジョッキ一杯1ドル65セントは安い。ここでマグロさしを頼んだのは失敗。でも、生牡蠣とおにぎりはおいしかった。店には「月光仮面」の歌が流れ、浪速千栄子(若い人は知らない)オロナイン軟膏、任侠伝高倉健のポスターと、時代はウン十年前の日本。帰りに綿菓子をつくる砂糖をくれる。疲れた、眠いと言っていた高田龍治さんが真っ先に綿菓子の棒をぐるぐる無邪気に回していた。 

 5月3日、メインはリバーサイドチャーチでの反核平和コンサート。その模様はうたごえ新聞(5/17・24)既報。音楽が体を清くする感動的なコンサートだった。

  みんながリハーサルに行っている間、私は国連本部の原爆展を取材。これもうた新で紹介するが、地元テレビ局の取材を受けていた広島の被爆者児玉三智子さんに取材。なんと児玉さんはうた新の読者だった!

 コンサートを終えて、ディナ・ハンチャードさんに取材。これもうた新で紹介するが、マンハッタン生まれ、8月6日生まれのディナさん。これも不思議な縁。

 夜は、レイバーコーラスとうたごえの交流会。場所はコーラスが最初に演奏したSEIU1199支部講堂というのも、またその日がコーラス発足にかかわったピート・シーガーの誕生日というのも縁。

4日は早朝にホテルを発ち、帰国へ。

2010年5月14日 金曜日

 とうとう、キムさんからの返信はなし。「どこにいるの! キムさーん!」

 ホテルの部屋を出るとき、一人、叫ぶ。

 NPT再検討会議とその成功のための様々なアクション、その全貌はなかなか見えずらかったが、代表団も勢力的にアピールして、被爆国日本の平和へのメッセージは伝えたと思う。アメリカ、NY市民の平和への関心も、ここぞ、と掴むことは難しかったが、名井さんによると人種のるつぼNYは平和団体だけでも20いくつあり、一番活発だという。その地でうたごえは確かに平和のメッセージを記したと思う。同時に、ヒロシマ・ナガサキを体験している日本の役割、というものをじわっと感じて帰った。

 このブログはまずは私の一週間の整理ということで。