2010年4月 のアーカイブ

黄色いリボン一色の沖縄!

2010年4月28日 水曜日

  明日はNY出発。今、5/10号の校正を終えてうた新社。NYで取材したい人をいろいろ探したが、なかなかつかまらない。そんななかで、コンタクトがとれたチベット・ハウスという活動をされている医学博士、音楽家の龍村和子さん。しかし、なんと、今、日本に。しかも、私たちが帰る5月4日には龍村さんはNYに戻られるという。「今から、会いましょう」とお電話をいただく。が、今から会議。「いいよですよ、何時でも。せっかくだから」。ありがたいお申し出に、このブログを急いで書いている。

20100510OkinawaMainStage   5/10号は、沖縄県民大会の報道がトップ。行ってきました。4・25沖縄県民大会。10万人目標、超えるか、と思ったが、9万人だった。しかし、米軍基地県内移設反対!を意思表示する黄色いリボン、はちまき、スカーフなど、黄色が読谷村運動広場をうめた。大会に行く途中も、車に黄色いリボンをなびかせる人、Tシャツ、犬まで黄色を身につけている、力強いイエローカードの意思表示に励まされる。

20100501Okinawakaijyou  レッドカードにしていない。「5月末解決」と言う鳩山首相に、国外移設実行を迫っているのだ。もし、それが実現されなかったとき、レッドカードはどんな行動になるのか、その怒りのマグマを、件の今大会は感じさせた。

    「この大会でうたごえを響かせよう」、高橋会長の熱い想いが沖縄、全国からの参加者で、次々に到着する人々を迎えた。

20100510OkinawaYakuba  読谷村運動広場は、米軍読谷飛行場を撤去させ、村づくりを進めた読谷村の村役場と並ぶ象徴の一つ。その広場で行われる毎年11月の読谷村まつりも何度か訪れた。基地撤去の運動を推進した元読谷山内徳信村長は「憲法で基地を撤去。文化と沖縄の農業で村づくり」を推進した人。氏が提唱して始まった読谷村まつりは、郷土芸能が次々と披露され、それは文化で継承される沖縄・読谷の心を伝えていた。大会の前のアトラクションもその一部を垣間見20100510kinawa-4men-Koukouseiる。うるま市からの中高生による組踊現代版も誇り高く琉球の平和の心を伝えていた。

   県民大会取材で感じたこと、それは新聞にも書いたが、米軍基地県内・国内移設絶対反対を主張するこのたたかいは、かけがえのないいのち、自然と命をまもるを運動でもあるということだった。24日に沖縄に入り、地元紙を買って20100510OkinawaUtagoe01読むと、米軍基地を返還させて、住宅、農業で街作りをした所が、基地収入の何十倍、北谷町では176倍と書かれている。沖縄の人たちにとって、基地収入が生活を潤すなどという神話は崩れていることが、くわしく伝えられている。

  辺野古の海上修正案、勝連沖と移設修正案は、どれだけ豊かな海の恵みを食わそうとしているのかを聞く。

20100510OkinawaUtagoe02 ううっ・・・ここでタイムリミット、取材に行かなければ。あとはNYから帰ってきて。

 

 

20100510OkinawaJyuutai

 

(会場までの国道は10kmの渋滞)

 

 

20100510OkinawaKiiroRibbon

 

(車にも黄色いリボンが)

沖縄に、いや、日本中に米軍基地はいらない!

2010年4月16日 金曜日

20120100414普天間基地01  14日夕方、沖縄基地反対中央集会、日比谷野外音楽堂へ。沖縄のどこにも日本のどこにも、そして世界に軍事基地はいらない。この間、「県外移設」として急に移設先案に上がった徳之島の闘い、3月28日には26000人の島で反対集会に4200人が集まり、この18日にはさらに1万人の集会が開かれる。そして25日の沖縄県民大会、大きく基地をなくす闘いへと4.14集会は開かれた。

20100414普天間基地02 集会には徳之島からかけつけてた憲法9条に賛同する女性の会の人たちは胸打たれた。「3月28日は徳之島はサトウキビとじゃがいもの収獲で一番忙しい時でした。でも、島に米軍基地など…」と戦争の時代、米軍占領からの復帰運動を語り、「子宝と長寿の徳之島に米軍基地はいらない」と発言。ここにも9条の会があり、平和の闘いがあり、この徳之島の危機を阻もうと立ち上がっている…。そう思うと、そうだ! 次の紙面は…、と徳之島出身の国鉄のうたごえ・鶴嘉一郎さんに電話する。「郷里の人に徳之島の写真を!」

 鶴さんも早速、親類縁者に電話。徳之島からの写真を待っている。

20100414普天間基地03 4.14集会は、最後に、青地に白抜きの「基地NO」の文字を5000人が掲げてデモ行進へ。東京のうたごえは行進の先頭と後ろから歌い連帯した。

あと、2週間後には・・・

2010年4月16日 金曜日

20100411NPT練習会  11日。NPT・NY行動うたごえ代表団の合同練習と旅行の説明があり、葛飾区の四ツ木へ。北海道からも参加の代表団のみなさんは11時から練習、意気込みあふれる歌声を聞く。この日、新潟の大口さんは家族・合唱団・友人たちと集めた国際署名が1500余になったと報告。すごい!

  私も微力ながら友人に署名用紙を送り頼んだ。一人2枚ずつ送ったがみんな2枚10人分を埋め、「コピーして、までいかなくてごめん」との一筆も入れてくれているのに感動。そして一人はなんとコピーして50筆近くをこれまた「遅くなってゴメン」と書き添えて送ってくれた。

  その一筆一筆を見て、私がいつかこの人のことを書こうともう何年もあたためている人が言った「平和署名にとりくんだのが私の平和活動の原点」に、私も少し近づいた気分。

  旅行の説明で旅行社の人が「まれに、飛行場でスーツケースがどこかに行ってしまってその日に届かないということがありますので、その日の下着は手持ち荷物の方に…」に、3年前の悪夢の数日を思い出し、大きくうなづいた。

  あれは「悪魔の飽食」ヨーロッパ公演。ワルシャワについて、空港で飛行機から降ろされ運ばれてくる自分の荷物を待つ。なかなか来なかったが、何回も海外旅行に行っても必ずついてくる荷物になんの不安もなかつた。が、「荷物は全部出ました」のサイン。

 これからどうなるの…。結局その日から3日間、着替えと洗面は空港から支給された大きなTシャツ一枚と歯ブラシ、歯磨き粉、タオルのみ。化粧直しは手元にあったが、いわゆるメイクアップの類はスーツケースの中。化粧品を分けてもらい、着たきり雀。取材になると困るよね、とシャツやパンツを貸して下さるツアーお仲間の情に感謝。見つかったと連絡が入り、早朝、空港に取りに行き、わがスーツケースと対面したときは生き返った感。みなさん、手持ちバッグに壁塗りと着替えを。

ヒカルさん、お疲れ様でした。素晴らしかったです!

2010年4月16日 金曜日

20100410さんたまスクラムコンサート01 10日、“スクラムコンサートinさんたま”。4/26号に紹介したが、正直、期待以上の音楽会だった。行く前は、サブタイトル“職場と地域をむすんで”、今ひとつ“スクラム”が私には見えなかった。

 しかし、電通三多摩合唱団&コンサート合唱団、在日朝鮮女声コーラスとつづき、女声コーラスの凜とした歌声と、伝えられた今もなおある在日差別を超えて同じ社会を共に生きようと語られたことばに、サブタイトルが心に迫ってきた。

20100410さんたまスクラムコンサート02  続く、国鉄東京合唱団&国鉄のうたごえは、ちょうど前日に23年にわたる国鉄闘争の解決案が具体的に出されたこともあり、まさにその間も“うたはたたかいとともに”と歌ってきた演奏は力強く、かつ深く心を揺った。そして若い音楽家たちアンサンブルMOOIが楽しく新鮮な風を運び、後半の4団体合同のプログラムは、質量共に音楽のパワーで“スクラム”連帯のメッセージを伝えた。行って良かった!

錦糸町~中野

2010年4月10日 土曜日

20100408芹洋子昨日は、このブログの管理人、“エーちゃん”こと斉藤一正さんと歌手芹洋子さんへのインタビューで、東武ホテルレバント東京へ。このホテルの宴会場を借り切ってのうたごえ喫茶が昨年から開かれている。都心のホテル、シャンデリアの下で、うたごえ喫茶のシチューエーションもぐんと変わってきた。

 うたごえ喫茶大好きエーちゃん。退職した団塊の世代が青春時代に歌ったをもう一度。この企画がホテルとタイアップして大当たりと聞く。

 芹洋子さんといえば「四季の歌」、あの澄んだ歌声が歌にぴったりだったことを覚えている。「もう何千、何万回も歌ってきた『四季の歌』ですが、毎回新鮮な感動を教えてくれる」、目の前でそう語る芹さんの、かつて聴いたあの澄んだ声。その歌への想いが、このホテルでのうたごえ喫茶に来た人たちの心をつかむのだろう。2時間近くになったインタビュー、さわやかな気分で過ごす。詳しくは次号4/26号、お楽しみに。

 

 

20100409松本ヒロ 夕方は、参議院議員選挙勝利・日本共産党文化後援会のつどいに、中野へ。開演と同時に入ると、なかのZERO小ホールは満席。松元ヒロさんの笑いかつ痛快なコントと、20分の時間でヴァイオリンとヴァイオリニスト松野迅の魅力をあますところなく伝えた松野迅さん。「日本の青空Ⅱ いのちの山河」で主演した長谷川初範さんと参議院議員小池晃さんのトーク。東京のうたごえ後援会も太鼓と、「NPT・NYにうたごえから100人余の代表団を派遣します」と東京のうたごえ協議会会長轟志保子さんのあいさつで「歩いて行こう」と「人間の歌」を。そして最後は候補者の田村智子さん(学生時代合唱部)の指揮で全員合唱「たんぽぽ」。

 いやいや、大いに笑い、話に感動し、ヴァイオリンの音色に吸い込まれて、これで1500円は安い! 休憩時間、音楽センター発行の松野迅さんのCDは飛ぶように売れたそうだ。

20100409小池晃 長谷川さん、共同インタビューの時はずいぶん、押さえて話されたんだな、と。この日は、9条! 25条! そして、「政治には愛が必要。愛は希望を生み、生きる宝を育てる」とがんがん政治・憲法を語られる。取材の時、そう言ってくだされば大見出しにしたものを…。

 

 「永田町国会病院の治療に」「手術はしましたが術後がよくない…」、医師でもある小池さんの話もおもしろい。

 参議院議員の小池さんとは、2年前だったか、南部合唱団の演奏会の時、隣の席になった。「まあ、テレビや集会では壇上の小池さんのきょうはお隣」と言って座ると、「うたごえ新聞の三輪さんですよね」と小池さん。「まあ、なぜ私を」と言うと、「モスクワでご一緒しましたよね」。えっ、あの時の…。

 そう今を去ること20数年前、モスクワでの世界青年学生祭典で私は文化代表団事務局長、小池さんは学生代表たった。モスクワでは頻繁に会議も行われ、同席したのだった。あの時の青年が小池さん…。以来、急に小池さんを身近に感じたのでした。昨夜も帰りに握手すると、「さっきも三輪さんのこと話してたんですよ」。どうか、良い話題での登場でありましたように。

20100409うたごえ  さて本日は夕方は、スクラムコンサートinさんたま、三多摩へ。

ついに実現!

2010年4月2日 金曜日

   昨日はピアニスト中村紘子さんにインタビュー。たくさんのインタビューをしてきたが、今回は緊張度ベストスリーには入る。日本人でこの人の名前を知らない人はいないだろう。ピアニストとして第一線で50年のキャリア。その演奏の賛辞が世界のマスコミにも紹介される人。「豊かな個性と感性と知性のぎりぎりの極限に身を置いた深い表現」(ジョルナーレ・ディ・シチリア紙)などは中村さんの演奏はまさにそういう感じ、うまい表現と思う。

 しかも、ピアニストとしてだけではない、文筆活動では大宅壮一ノンフィクション賞、文藝春秋賞受賞。かつ、最近では「事業仕分け」による政府の文化予算縮減にしっかりと抗議される。

 この人にうたごえ新聞に登場してほしい! その想いが、池辺先生の尽力もあって、4月1日、15時、自宅で、とアポをもらった。もらったとたん、急に相手の大物さに尻込みしてしまう私。この間、かつて読んだ中村さんの本を引っ張り出し、あらたに2冊を数日で読み、「事業仕分け」、数年前の都の文化施設使用料値上げ反対でも、行動・発言された記録を漁った。調べれば調べるほど、すごい。特に、著書からは、50年、演奏家として触れた世界の音楽家たちのことその国、その世界のことが次々紹介されている。まるで、現代の人間音楽史を観ているよう。

 で、何を聞く? いくつもの質問事項をメモにし、昨日いざ、中村邸へ。

 

  ここは、紙面には出ない部分です。

  中村邸は…。都心なのに、JRの駅から車で5分も走れば、壁に囲まれた閑静なお屋敷群、その中の白亜のツインタワーにある。玄関に入ると受付(?)、黒いスーツ姿の若い女性が「どちらにご用でしょうか」と聞かれる。マンション、いやこういう億ションだろうところには、こうして受付をする「コンシェルジュ」という人が配されているのだそうだ。中村紘子さんにインタビューとの用件を伝えると、そこから中村邸に電話でとりつがれる。

  先客とのお話が長引いていて、10分ほど待って欲しいとの伝言をコンシェルジュから受ける。どうそどうぞ、と撮影記録で同行の鏡記者と、玄関からつづく広いホワイエで待つ。白いソファー、ガラステーブルの上には深紅バラ。都心のまっただ中とは思えぬ、そのホワイエからの眺めは、小さな竹林と石灯籠、その後ろは木々に覆われ、ピンクと白の花をつけた桜、少しすると竹林のそばにある手水鉢のように置かれた鉢に、カラスがやってきて、溜まった水で水浴びをする。

  いざインタビューと、と髪も逆立つ私の緊張感がしばしほぐれる。

 

  やがて、コンシェルジュの「お待たせしました。どうぞとのことです」、でインタビューに出発。

20100402中村紘子さん  私の録音ではインタビュー時間56分。その間、ただひたすら、中村さんの目を見て話を聞き、聞きながら質問メモからの質問事項を頭のなかでめぐらしていた。時間とともに、いろいろ話していただくことで気持ちも落ち着き…。でも、「ありがとうございました」と言うまで、録音の時間を見る余裕も、いつもは私も撮る写真の余裕もなかった。インタビューが終わって、また、お客さんとの話に戻られる中村さんの「どうぞ、召し上がっていって下さいね」と、勧められたチーズケーキを、カサブランカの香りの中でいただく。おいしかったぁ!

続 あたまが???

2010年4月2日 金曜日

 前回書いた「頭が??? 東混の『Z境』」の音楽会評が、4/2付け「週刊オン★ステージ新聞」に載っていた。

 そこにはこうあった。「『Z境』とは、『乗り越えられる見えない境界線』で、現代社会の断面を『世界同時多発テロ』とか『時間凍結弾』など詩人の感性で切り取っていく。…ただ、詩から伝わる何か、詩が伝える何かといった、テキストに踏み込んだ表現がないと言葉がすり抜け、心に響いてこないように思われた」

 つまり、詩の深さに対して「踏み込んだ表現ができなかった」ということ? そう書かれると、あの詩が理解できなかった私は落ち込む。けれど、印刷された詩は「世界同時多発トロ」でしたよ。ミスプリ? そんなばかな。ますます、わからん。