2010年2月 のアーカイブ

「まとめ」という大役

2010年2月19日 金曜日

13、14日の全国協議会総会。本日発行の3/1号で第一報を伝えているが、一面の大見出しで伝えたように今総会は、核兵器廃絶へ“平和”、そしてうたごえ新聞読者拡大の文字通り“ビッグウェーブ”のなかで開かれた。

 若いメンバーの頼もしい発言等々、その内容はうたごえ新聞、季刊「日本のうたごえ」№148(これから編集し、4月末日には発行)を読んでいただくとして、私の感想は、上記に加えて、いわゆる小さなサークル・合唱団、またはうたごえの影響力が小さいところからの生き生きとした発言だった。三重の“緑と海の合唱団”、青森のうたごえからの発言。

 全国各地からの通信を活発に、とはいつも思っているが、もっと密に情報収集を、このことに真剣にとりくまなければと想いをめぐらせた。

20100214総会 (1)  そして今総会、私個人的には大きなプレッシャーがかかった。〈全体討論のまとめ〉をする役目が回ってきたのだ。副会長が順番にすることになっているが、何とか回避したい、今年は愛知の舟橋幹雄さんがやることになり、まあ、来年は逃れられないとしても先のこと、と高をくくっていた。が、総会数日前に突然、舟橋さんが親の介護等、どうしても身動きがとれない、総会を欠席せざるをえなくなったという連絡が入る。もう逃げられない。総会一日目は書記団を夢中で務めたが、その夜あたりから重圧が…。ほとんど正常心を持てないまま、突入。〈まとめ〉を終えるとどっと疲れ。でも、終わった!

 

  総会後、第一報の編集、“うた新ビッグウェーブ”をどう3月のうた新まつりin長崎までつなぎ、本当に最高読者数にするか、の会議、加えてアクシデントもあり、3/1号完全入稿は最終校正18日木曜日にかなり近づいていた。

  その夜、“千葉のあんちゃん”こと田辺輝行さんから電話が入る。あんちゃんの話は-

 昨年暮れ、愛知の浜島さんから「林学作品集CDを普及して欲しい」と連絡が入る。林学さんには以前長く研究生の創作合宿でお世話にもなったし、「はい、やってみます」「では20枚を」となり、暮れから年明け、30人の知り合いに、お願いの手紙を書いた。なんと、25枚普及。

 そのうちの一人は「半分は知らない曲だけど、楽しみにしているから」と1月15日の消印で申し込みの返事が届いた。その人はもう何十年も前の千葉合唱団6期研究生。「応えてくれたことがうれしかった、けれど…」とあんちゃん。CDが届く前に、その人は亡くなった。-

 「癌との闘病中だったのに、前を向いて歩いてたんだ。そのことを知って心が熱くなって、通信でそのことを送ろうと思ったけど、直接、声で伝えたくて」と言ってくれた。これがほんとのホットライン。あんちゃんのその心がうれしかった。

山ノ木コンサート後日談

2010年2月19日 金曜日

20100222うたごえ新聞1面ちょっと前の12日の話だが、  常任委員会の会場に行く途中で広島の高田龍治さんと会う。「載せましたよ」、と刷りあがったばかりの“山ノ木竹志をうたうコンサート”を掲載した2/22号を渡す。「載ったぁ」と受け取り、「この後日談があるんよ」と高田さん。

 このコンサートには高田さんが嘱託で働く会社・日本旅行広島から課長以下が聴きに来ており、翌日、会社では、すばらしいコンサートだったと話題もちきり。そして課長の「こういう歌声を職場でも聴かせて欲しい」から、さっそく会社での15分ミニコンサート開催となった。

 2001席を埋め尽くし、立ち見も出たコンサートの参加者には、“山ノ木竹志”についてあの場で初めて知った人も多かつたのだという。多くの説明は要らない。コンサートが山ノ木竹志・新江義雄を、うたごえ運動を伝えたのだ。

あめあがりコンサート

2010年2月19日 金曜日

  また、またなんと今回は前回書いてから15日も経ってしまった。

  この間、季刊「日本のうたごえ」№147の校了、全国総会、総会が終われば、発言原稿もあるし、少しは余裕が…、と思っていたが、これがまた…。というわけで、日誌でもあるこのブログに向かうのはやっと本日。

20100211あめあがりコンサート この間、11日は三多摩青年合唱団&42期研究生の“あめあがりコンサート”へ。会場のパルテノン多摩は満席。心地よい合唱の響きに引き込まれる。第1部は“春へ”と誘う「ななくさ」「さくら」など、第2部はオペラ「白墨の輪」、意欲的なプログラムだ。うたごえ新聞2/15号で「若者10人団にやってきた!」と、2009年日本のうたごえ祭典・京都のとりくみのなかで10人の研究生を迎えた京都・洛北青年合唱団のことを伝えた。三多摩青年合唱団も13人の研究生を迎えている。それも若者が多い。オペラの方はことばが聴き取れない、オペのドラマをもっと聴かせてほしいというところもあったが、ドラマチックに明瞭に仮称した“領主夫人”は若い研究生。なんと頼もしい。氷雨まじりの日、時間を割いて行ったが、聴けて良かったと心が温くなる。

読んでますか?季刊「日本のうたごえ」

2010年2月11日 木曜日

ブログとしてはちょっと遅れてしまったが、2月5日、季刊「日本のうたごえ」№147の校了。
新聞編集後の時間にやるのでついぎりぎりになる。
前日の夜まではほんと「必死」に時間とにらめっこ状態。

 「最近の季刊『日本のうたごえ』、おもしろい」と言われて喜んでいる。
内心、いや、毎号おもしろいと思いますが…はさておき、前々号、川田忠明氏「ゆれ動く時代のなかで」や前号の哲学者山科三郎氏の「ベートーヴェンの『第九』」は注目を集めている。
山科先生の原稿は、実に5時間余に及ぶ、リュックサックにいっぱい本とCD持参でのお話がその背景にあり、深いです。

 「なぜ、平和活動家に、哲学者に? 直球でいってほしいな」という声もあり、なるほど。
直球です。今号は。
100901teidan 今号、新春鼎談は、池辺晋一郎氏、全日本合唱連盟理事長の浅井敬壹氏、そして日本のうたごえ全国協議会高椅正志会長、司会は神戸市役所センター合唱団田中嘉治団長で、タイトルはうた新新年号に紹介しているが、その中身をじっくり読んでいただきたい。
広い土壌で“音楽”、それが平和な社会をつくるもとになる。

  そして、5月、NPT再検討会議成功、NY行動へ。
被団協事務局長田中熙巳事務局長のお話「核兵器廃絶は、被爆の実相が伝われば実現する」。

 季刊の編集後記にも書いたが「伝え聞くことを自分のものにし、その想像力で人々の心の琴線に触れる歌が届けられるか。鍵はそこにあるとあらためて思う」。

  栗山氏の「音楽の樹から」は読んでいて音楽浴した気分。
さあ、今号も“おもしろい”、ですよ。

東京土建との機関紙交流

2010年2月10日 水曜日

  2月3日水曜日は、東京土建の機関紙コンクールの審査委員として半日。
土建組合はどこも機関紙活動が活発。
東京だけでも約30支部から機関紙が出ており、各紙新年号と通常号をみるので100部ほどをみることになる。
すべてに目を通してチェックすると6~7時間はかかり、物理的には大変だが、学ぶところが多い。
今回の紙面からは、“コンビニ作戦”なるものを知った。

 組合員拡大に、昼食時前、コンビニにお弁当を買いに来る、土建関係者らしき人に声をかけるのだそうで、いろいろ工夫されているのだなあと感心。

 このコンクールの楽しみの一つは、審査員の懇談会。
土建組合の人の他、審査委員はうた新の何十倍もの読者を持っている商工新聞の谷編集長、週刊「金曜日」の北村編集長らからの情報交換が勉強になる。
今回は、政治の話、皇室の話。「ここだけの話だけど」は特におもしろい。

姫路から広島へ行く前の晩ですが・・・

2010年2月10日 水曜日

2月5日のブログで1月30日の姫路での様子を書いたが、その夜はしばし、ほんわかした一時。

 姪の家に泊まる。奈良蟻の会合唱団の田畑昭子さんに習って、私も姪にうた新購読を勧める。
田畑さんのように正攻法ではなく、「勉強しなさいよ。違う世界のこと。まあ、一問クイズに応募して元とればいいじゃん」
「それもそうだね。そんなに言うなら協力するよ」という感じで購読してくれた。

 さらに
「もう一つお願い、5月にニューヨークに行くの」
「えっ、いいなあ。私も連れてって」
「いいよ、これに署名してくれたら、署名用紙をつれていってあげる」。
こんな会話で、姪は大笑いしながら核兵器廃絶国際署名にサイン。

 連れ合い子どもの分も、と言うと、「わかった、わかった。とにかく核兵器なんてだめ」と家族の分を署名。
一宿二飯いや翌日のお弁当もつくってくれたから三飯と署名とうた新購読、姪に感謝。
ヒントをもらった田畑さんありがとう。

 

  広島での山ノ木コンサートの翌日、2月1日月曜日。
朝7時半の新幹線で帰京。
締め切りから始まるうた新発行の一週間が始まった。
が、この一週間はいつもと違う。火曜日夜は、全国総会を前に全国協議会の財政委員会。
うた新社の経営は、みなさんの読者拡大のおかげで順調です。
ただし、今年は増員急務。

ありがとう、新江さん!

2010年2月7日 日曜日
20100131Yamanoki01 31日、山ノ木コンサートへ。ちょうど一年前になる、“山ノ木竹志とその仲間たコンサート”。あの時は、車椅子だったが、山ノ木こと新江さんとことばを交わせた。「がんばってね!」「おう、わしゃ、がんばるでぇ」、そういった彼は、舞台スクリーンにおさまっている。2001席の広島厚生年金会館大ホールを埋めるアーティストはめったにいないと言われる会場は立ち見席含む超満員。一つ一つの歌に、新江さんと交わしたことばが思い浮かんでくる。 

 コンサートのことは次号のうた新に書くが、「町」という歌がなんとも心にしみた。この曲は昨年のコンサートでも聴いたが、今回は深く心が潤された。

 

 一昨年、北海道・夕張で北海道のうたごえの、創作&うた新フォーラム&ミニコンサート…、と盛りだくさんの集いが開かれた。その時、5月に大腸癌の手術した新江さんが、術後の身体を心配して同行した熊谷勇二・恵美子さん夫妻と、創作のチューターとして来ていた。

 

晩夏の北海道・夕張の空は真っ青な澄み渡り、山の木々もすっきりした色彩を放っていた。表で時折吹く風に「ええのう、このやさしい風がええんじゃぁ」と風に顔を向ける新江さんの横顔は、前夜の半徹での曲作りは大丈夫だったかと思うほど痩せて見えた。「大丈夫じゃ、食べ物も今は全部自分で調べて体にいいものを食べとる。(大好きな)ビールは、今は我慢じゃ。日本のうたごえ祭典の時まで我慢。祭典の日にいっぱいだけ飲む」。それほどに再発しないよう気遣っていた。あの夕張で、何年越し温めていた「町」を完成させたという。

 

 〽かぜよ みちゆくかぜよ どこから来たのか…

 

やさしい風が、どの町も包んでいく…、なんと心温かな歌だろう。

 

 そして、作業所のなかまたちの「もっと高く」。バックの映像、新江さんの笑顔が、なかまたちがおもいっきり手をかざして歌う〽もっと たかーく…を見守る。もっと高く、誇り高く…、歌が彼らを励まし、聴いている私が励まされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は池辺晋一郎氏の指揮でGreat Journeyから「ねがい」へ。大いなる旅立ちを会場を包んで響き渡らせた。

 

 

 

 

 

 

最後に、池辺氏からバラの花束が、舞台に上がった新江さんの奥さん・みどりさんと二人の子ども克己さんと史樹さんに贈られた。お礼に立ったみどりさんのあいさつ、それは2時間半のコンサートをさらにさらに豊かにする一言一言だった。二人で歩んだ時間、その珠玉の時、そして「私の旅はまだまだだ」、と。

高田さんが舞台から言った。「おーい、新江さん。聞きこえるか」「新江さん! ありがとう!」

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10日もご無沙汰です

2010年2月5日 金曜日

20100130Thomson01 なんと、この前書いてから10日目。
るんるん気分で奈良から戻り、週末はまた西方へ。
山ノ木竹志をうたうコンサート・広島に向かう途中、まず姫路で下車。
昨年から取材している日本トムソンの闘い、その支援を含む“「なぜ生きにくい?この〈自由〉な世界で ワーキングプアを考える市民集会”に行った。

20100130Thomson02 この闘いは、うた新で昨年も2回、このブログでも紹介しているので説明は省くとして、13人の闘いが気になっている。
闘いの中で昨年9月までの直接雇用を勝ちとったが、9月、会社は更新しなかった。
提訴した地裁も棄却している。
この日、会場の姫路市文化センターについてすぐ、トムソンの社員、西播センター合唱団団員で組合員の高井今夫さんに「藪下君、元気」と聞くと、「藪下なあ、今、ホームレス」。
………。

 13人で始めた闘いのリーダー、若干21歳(年を越したから22歳か)だが、妻も子もいる。
「仕事も生きることも教えてくれるこの会社に入って親父ができた」
施設で育った彼にとって「家庭は闘う原動力。会社の先輩は父親」だった。

 雇用期間社員は賃金が低く、妻子を養うため、彼はガソリンスタンドと居酒屋を掛け持ちでがんばっていた。
9月末解雇、二度目の首切りで、エネルギーが切れてしまい、仲間とも連絡を絶つ状態だった彼が、昨年10月末の支援集会の時は、戻ってきたとホッとしていたのに。

20100130Thomson03 失業保険の期限も切れ、正社員化を求めて提訴した地裁で棄却、メンバーはみなアルバイトをしながら、上告して闘ってはいるが、勝てるかと言われればそれは限りなく不安になるのは道理だ。
闘っていた13人は9人からさらに…。

 「世論でまきかえしていくしかない」、と集会は開かれた。

  藪下君は、のしかかる不安と先が見えないあせりのなか、朝起きられない日が続いて働いていたガソリンスタンドを解雇され、家庭もぎくしゃくして妻は子どもを連れて出て行ったという。

 「まだ20そこそこ、そら重たいと思う。こんなことを許す社会はおかしいんや、とたくさんの人に伝えて、彼ら励ましていくしかない」と高井さん。その世論を広げるために、うたごえは出番。そう動いていくことをひたすら願って会場を後にした。