2012年2月4日
“原発ゼロの社会へ”
歌づくりのエネルギー応募83曲の選考会
2月3日。“原発ゼロの社会へ”歌づくり、うたごえ新聞新年号で発表された入選詞への曲他、83曲応募の入選曲選考会が、選考委員に作曲家新実徳英氏、合唱指揮者岩本達明氏らを迎えて行われた。入選詞発表から1カ月半でこの曲数。このエネルギーのすごさ。この曲もこの曲もいい、絞るのも難しいだろうなあと思いながら選考会模様を取材。
結果は全国総会で発表となるが、その場で論議を聞いていて、詞の選考会の時も思ったが、以前、作曲家林光先生を中心に行っていた季刊「日本のうたごえ」企画、創作曲の合評「批評室」のシーンを想い起こしていた。合評と選考会はちがうが、選者のことばから、表現の視点、詞・曲をいかすためのヒントをまなぶことができる。
その後の懇親会で、新実先生の原発問題への歌を通しての行動の背景にある考え方、岩本先生は3月、合唱劇「カネト」東京公演を指揮されるが、「カネト」から捉える宇宙観など、大いに刺激を受ける。
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2012年1月31日
社会問題を歌う
アイドル「制服向上委員会」会長の橋本美香さんに取材
1月31日。数日前に、三多摩青年合唱団の箱崎作次さんから、制服向上委員会に取材しない?と電話をもらう。えっ。
脱原発、TPP反対、いじめの問題等々、社会問題を歌う制服向上委員会はちょっと注目していた。が、取材ルートは…となるとすぐに手が出せず、そのままになってしまうことは多々ある。取材したい!と思う相手にすぐにアポがとれるほど、残念ながらうたごえ新聞の知名度も追いかけるための人数もいないのが現実。なんてことを箱崎さんに言うと、「えっ、三輪さんがそんな気弱なことを言うなんて」と。本当です。私は態度はでかいけれど気は弱いのです。
箱﨑さんと制服向上委員会。それは9・19原発反対集会での彼女たちの演奏を聞いた国立在住のジャーナリスト今田真人さんが、「国立によびたい!」と三鷹で3・11集会が開かれる夜、国立でコンサートを、と企画し、賛同者を募ったのに箱﨑さんも参加しているとのこと。箱﨑さんはさっそく合唱団のみんなにもそのことをアピールしたい、ついては(制服向上委員会の)誰か合唱団の練習日に来てアピールしてほしいとのお願いを兼ねて、今田さんと事務所を訪ねる。そこで一緒に行って取材しないかとのお誘いだった。
“行動するうたごえ教師・箱崎作次”のエネルギーに感謝しながら「行きます!行きます!」と事務所へ。制服向上委員会会長の橋本美香さんと代表取締役の高橋廣行くさんにお話を聞く。ことばづかいも礼儀も正しく、取材に的確にこたえる橋本さん。高橋さんは忌野清志郎など著名なアーティストのプロデュースをされてきた方。社会問題をとりあげ歌う制服向上委員会のバックホーンを感じた。福島に行っての話も興味深い。記事を乞う、ご期待。
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2012年1月27日
震災復興と建築労働者
東京土建組合のコンクール
1月27日。ここ何年かやっている東京土建労働組合の機関紙コンクールの審査をする。これは結構、ハード。うたごえ新聞発行に季刊「日本のうたごえ」の最終編集が重なるこの時期に、単位組合30余各3紙計100余を読むには相当の時間が取られる。が、この新聞紙面からうた新の紙面作りを振り返りつつ、学ぶ大事な機会でもある。 各紙面は当然のことながら震災復興が大きく割いているが、仮設住宅建設、壊れた家の建て替え、と職人さんたちの活躍、全国の土建組合から届けられた道具など建築労働者の誇りと連帯がたくましく伝えられている。
そのなかで私が記事賞の一番に選んだのは、中学2年生の男の子の一文。
父親らと一緒に被災地にボランティアで行った。荒廃したままの被災地を見て、自分のする瓦礫撤去作業は本当に小さなもの、果たしてボランティアとして自分は来て良かったのかと、ずっと想いながら作業していた。が、「おっ、がんばってるな」と一緒に行った大人たちのひとこと、被災者の「ありがとう」ということばに、来て良かったのだ、やることはあるのだと思えた、とあった。
その素直な、ふりかぶらないで自分の手や足下から見て発せられた文章は強く心に届いた。他の審査委員のほとんどがこの記事を推していた。
このあと、審査委員の週刊「金曜日」の北村社長らとの懇親会も情報満載、このコンクールを担当している楽しみの一つ。
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2012年1月21日
妖艶な美女の哀しみ、オペラ世界に堪能
池辺先生のオペラ「高野聖」を見る
1月21日。先月、金沢と富山・高岡で好評を博した池辺先生のオペラ「高屋聖」東京公演を新国立劇場で観る。2日2公演満席。
出だしから、日本の物語「高屋聖」の世界に一気にひきこむ音楽。大洪水の後に、生き残った者たちの世界に、修行僧が迷い込み…。なんといってもこの日演奏したソプラノの沢崎恵美さんの、終始心の琴線をつかんではなさない美声に、人間の性、哀しみが縦横に奏でられ、ひきこまれた3時間だった。
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2012年1月17日
“つながり”大切さをうたあそびで訴えて20年余、
今、被災地へ“つながりあそび・うた”研究所
二本松はじめさん
1月17日は、“つながりあそび・うた”研究所所長の二本松はじめさんに取材。子どもたちに笑顔を、心の復興をと昨年からうたあそびと紙芝居「夢わかば」を持って被災地の保育園をまわっている二本松はじめさん。この「夢わかば」プロジェクトで感じられていること、“復興支援と文化”のテーマでお話を聞こうと思っていた。そこにはうたごえの震災復興支援活動へのヒントがいっぱい、あるはず。
忙しいなかを、うたごえ新聞社まで来ていただく(取材は近くの喫茶店で)。
「震災前から、ここ数年、“つながり”ということがマスコミでもいわれるようになったね。やっと時代が僕たちに追いついたと、いばっちゃうんだけど」。
「もともといのちって人と人のつながりから生まれるでしょ」「40億年前の生命の退場からずっとそのつながりで命は受け継がれ、同時に横のつながりでいのちははぐくまれていくもの」。そう聞いていると、“つながり”ってつまり連帯のことだ、と想いながら聞き入る。
根源的なことをやさしいことば、語り口調で話す二本松さん。咳をすると「風邪ひいてない?」。二本松さんって、どなったりすることあるのかしら。ほんわかしか気持ちで話を聞きながら、しかし、被災地の子どもたちの心の不安をしっかり見ている話に、この人の仕事の深さを思う。
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2012年1月11日
すわっ、京都へ! 3カ月待ちました
科学者・放射線防護学の安斎育郎さんにときめきインタビュー
1月11日。私含め多くの人は、東日本大震災とそれによってひきおこされた東電福島第一原発事故で、原発がいかに危険かを知った。しかし、これまで大量破壊兵器の核兵器とエネルギーの原発は区別されてきた。そのかけちがいはどこから。こうなったら専門家に聞くしかない、と安斎育郎さんに昨年9月からアタックしてきた。それがようやく叶い、名誉館長を務められている京都の立命館大学国際平和ミュージアムへ。
安斎さんは、最先端技術の原子力工学に惹かれ、東大のその分野の1期生となった。が、やがて原発の危険を知り、防護学を専行し、原発の危険を解いてきた。そのために受けたアカデミックハラスメント。
そして今回の事故、今、安斎さんはマスコミでもひっぱりだこ、おたやかな退職後の研究生活の予定は、大きく異なった。その合間をぬっての取材。
「放射能は危険だが、放射能に対して『過度に恐れず、事態を侮らす、冷静に怖がる』」。科学者の目は冷静。しかし、「“怖がる”は感性の問題」。事態に対処する科学の目と、心の問題を両輪で捉える視点に、さすが、安斎さん。京都まで飛んできて、よかったぁ!
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2012年1月9日
「人々の願いや闘い・支流が本流になるうたごえ祭典」
このうれしい名言
1月9日。2011年日本のうたごえ祭典inちば、いくつもの注目のステージから、これはぜひ直接聞いて季刊「日本のうたごえ」で紹介したいと思ったのは「演奏もよく、若い息吹を感じさせた」と好評の青年のステージ。では、と千葉・船橋で、青年合同の責任者逸見志保さんと青年合同指揮・中村和正さんに取材。詳しくは季刊「日本のうたごえ」№155を。
取材であらためて思ったのは、あのステージを作ったのは、青年が集まるという情報を得ると足を運んだ逸見さんら青年プロジェクトの活動があったからそ。
そのなかで指揮の中村さん(教員)と出会った。
「青年をつなげたい」逸見さんのこのことばに惹かれたという中村さん。は初の日本のうたごえ祭典の感想をこう語る。
「はじめて日本のうたごえ祭典に接して、たくさんの人たちが歌に想いを託して表現する姿に、いま生きる人々の願いや闘いの支流が一つになり本流になるのがうたごえ祭典だと思った」「祭典後、『こんなにすばらしいものだと知っていたらもっと多くの人を誘うのだった』という先輩たちの感想を聞いて、僕は千葉の青年は幸せだと思います。なぜなら、若いうちに体験できたのだから。そして、僕も今回、青年のステージを通して教員以外の職種の青年たちと出会えた。自分は教師だが子どもたちの親にはさまざまな職業があるわけで、それも良かったと思う」。
取材中、いくつ新鮮なことばで祭典の感想を聞かせてくれた。それがうれしい。このつながりを次へ。今年のメーデーは青年の舞台を見たい。
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2012年1月6日
年開け、最初の取材から うれしいサプライズ!
1月6日。お正月休みがあけ、仕事始め。
この日から今年の取材も開始。新年号の次はこの人、と年末にアポをとっていた東京公務公共一般労働組合副委員長、大塚のうたごえ酒場の小林雅之店長に取材。ねらいは、震災以降、震災を理由にした労働者の首切りが頻発している中で、非正規の公務公共労働者の組合としてもその余波はあるだろう。しかし、きっと小林さんからは活路を見いだす話を聞かせてもらえるはず。なぜなら、3年前、いやもう4年前になる取材の時、「貧困の岩盤が見えている今、立ち上がるしか、道はない」と言われたことばがずっと響いていたから。
その期待通りのお話は1/16号で紹介した。
新江さんの直筆と対面!
取材の前に、サプライズⅠ 「見せたいものがあるのです」と運ばれてきたホワイト・ボード。そこに書かれている文字は、山ノ木竹志さん(『人間の歌』他作者、本名新江義雄)の直筆。2008年日本のうたごえ祭典の時に、青年ユニオンの若者たちの想いを歌にして祭典で歌おうと、歌づくりが進められ、ある日新江さんが広島から来て応援に入った。ホワイトボードにはその時の創作論議が描かれている。実はその夜、新江さんを囲んで、詞を完成させた青年ユニオンのKaZumi君や大塚のうたごえ酒場を応援している南部合唱団の大井かつえ団長らと夜半まで話した席に私もいた。
「ずっと消せないんだよ」と小林さん。うたごえ新聞のホームページ、1/16号の紹介なかで、小林さんと中嶋祥子委員長が両脇に立つ写真のホワイトボードの部分をクリックすると字が浮かび上がってきます。ぜひ、見て下さい。
荒木栄没50年のねらい。なんと楽曲分析まで
本題の取材で小林さんの視点は光る。「震災後、多くの人が語ってきたように、家族や隣人との絆、それぞれが故郷などの大切なものを取り戻そうと、これまでより強く考えるようになったことは確か。現状への怒りと、そこから脱出するには思いやりと連帯しかないと多くの人々が気づき始めたところに希望を見ることができます。この内在したエネルギーの醸成は戦後のプロセスとは明らかに違う」。期待通り。
そして、サプライズⅡ
小林さんは、新江さんの「人間の歌」を語り、そこに通ずるという荒木栄の歌へ。小林さんへの取材のもう一つのねらいは、荒木栄没後50年、大塚のうたごえ酒場では毎回、荒木栄の「花をおくろう」で締めくくられる。きっと荒木栄の歌への想いも深いだろう、「小林さんと荒木栄の歌」だった。荒木栄の歌への想い、期待通り。しかし、最後の方で、予期せぬ荒木栄の歌の、楽曲分析には驚きと共に聞き入った。さすがうたごえ酒場の店長!
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2011年12月29日
12月29日。髪も逆立つ新年号製作を挟んだ年末も、あかつき印刷さんへの印刷代を支払いを終え、後は大掃除で仕事納め。原稿や連絡事項と仕事を抱えながもまずはしばし休暇へ。
その前に、私は大掃除はパスさせてもらい、“オペラシアターこんにゃく座創立40周年と林光さん80歳を祝う会”へ。10月22日、80歳の誕生日を病院で迎えられた林先生。一日も早いご回復を願っている。
みなさん、よいお年をお迎え下さい。
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2011年12月27日
12月27日。文学仲間と例会&忘年会。とりあげた作品は大田洋子「屍の街」。
この仲間もみんな忙しくても、例会の日だけはなんとしても確保して集まる。 「屍の街」。原爆投下直後から数カ月、被爆者を襲った状況がリアルに描かれている。装飾語は少なく、事実を切り取る鋭い目が現代に深く、原爆が奪い、犯していったものを伝える。
「ほとんど外傷のない人が、ひょんと死ぬのは八月二十四日後から」「縁側にすわる青年は老人のように髪は抜け、焼き茄子のような顔色、目のまわりは青インクでくまどったように…」「みんなうつろで心をうしなっている」…。
3・11の後、一つ一つ受け止め方が違う、とは一同の感想。
核兵器と核エネルギー、この二つをどこかで区別していたおろかさを知らされた東電福島の原発事故。いかに危険なものと隣り合わせていたのかを日々知ることと合わせて一年を刻む一冊となった。
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